足枷が痛い

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足枷が
あったとしても、

それが何だと
言うのだ。

むしろ
ある程度の
足枷がある方が、

安定するのでは
ないか。

イケイケどんどんに
ならないから。

足枷のない
現実などない、

くらいの
生き方の方が

この世の中では
ちょうど良い
のではないか。

・・・・・・

というのは
ある意味、

真理だとも
言える。

が、
本当のことを
言えば、

足枷が
あるとかないとか、

どっちも
良いでは
ないか?

そんな視点
自体が
不必要なのでは
ないか?

・・・・・・

とも思い
ながら
進んだ時期も
あったが、

知らぬ間に、
その姿勢は

足枷を
無視する

という在り方に
変換されて
いた。

で、
当然だが、

無視すれば
するほど、

結局は
それに囚われ、

かつ
執着する
自分に
なっていた。

難しいな、
人間は。

・・・・・・

足枷とは
大概の場合、

自分きっかけ


形創られる。

どれだけ
理不尽さを
感じていても、

多くの場合、
その
理不尽そうに
見える現実は

自分自身が
起点と
なっている。

それに
気づきなさい!


言いたいところ
だが、

それに
気づけないのも
人間の
特徴だ。

そう簡単に、
自分で自分の
ことは
わからない。

・・・・・・

何が
足枷か?

という
視点で生きれば、

すべてが
足枷のように
見えてくる。

真実は
どうか?

よりも、
そんな見方を
している
自分自身を

そのまま
見つめよう。

あぁ今の私は
全てが足枷だ、
という
気持ちに
なっているな。

そうなんだな。

で、
終わりだ。

それ以上でも
それ以下でも
ない。

対策も
要らない。

・・・・・・

足枷と共に
進みたいなら、

そうすれば
いい。

私は結構、
足枷と友達で
いたいタチなので、

いつも
ジャラジャラと
様々な足枷を
引きずっている。

むしろ
いろんな種類が
あるので、

今回は
こんな種類の
足枷が来たか、


楽しんでいる。

足枷を
外そう、という
気分になれば、

そうする。

そう。

外そうと
本当に思えば、
その瞬間に
外れるのが
足枷。

それに
例外はない。

・・・・・・

現実は、
思う通りに
運ばない?

まぁ
そうだろうね。

足枷で
足が痛い?

足が重い?

まぁ
そうだろうね。

痛いのも
重いのも
しょうがない。

足枷が
あってもなくても

私のすることは
最速で
進むことだ。

そこは
変わらない。

変えないように
している。

つづく

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