人は祈りか?

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ずっと
祈り続けている
自分がいる。

心の中心、
魂の中心
で。

それは、
宗教とか
信仰という
枠の中の
ものではなく、

もっと
広くて
深いもの。

言葉には
到底
できない。

表現
できないのだ。

が、
確かにずっと
祈り続けて
いる。

一日24時間、
一瞬も
絶えず、
ずっと
ずっと。

もし私が
死んだとしても、

この祈りは
ずっと
残り続けるのでは
ないか、
とも
思える。

ということは、
もともと
先に
祈りがあり、

それが
一つの形として
私が生まれたのか?
とも思う。

もちろんそれは
私だけの
話ではなく、

みんな誰もが
そうではないか?
と。

ある時に
そう仮説を
立てた。

そして
それを確かめ
始めた。

きっとこれが
私が
この仕事を
続ける
本当の動機だ。

確かめ
始めてから
もうすぐ30年に
なる。

まだ、
結論は
出してはいない。

が、
誰とどう
向き合っても、
やはり
その人の中心には
その人の祈りが
あるんだな、
という実感は
続く。
毎日。

それでも
ひょっとして
そうではない人も
いるのではないか?

思い、

あえて
そう思いながら、

あえて
疑いながら、

私は人と
向き合い続ける。

経験則で
言えば、

人の中心は
祈りだ。

・・・となる。

祈りが
形となって
生まれたものが
人、だ。

・・・となる。

経験則
ではね。

でも、
あえてまだ
仮説のままで
行きたい。

もっと深く
もっと強く
私は
それを確かめたい。

もうあと
20年強、
それをし続ける
つもりだ。

つづく

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