
足元がない、
と
気づいたら、
人は
落ちる。
気づいたら、
落ちる。
気づかない
うちは
落ちないのだ。
だから
気づきたくない
という人が
多い。
でもそれは
本当に
幸せなことか?
と、
ずっと
問うてきた。
人にも、
自分にも。
知らないことが
幸せなことは
確かに
あるだろう。
が、
足元が
本当は自分には
ないのだ、
という恐怖は、
その
ストレスは、
自覚していない
だけで
ずっと「ここ」に
あり続けるのだ。
それによって
その人の
心は、
ずっとえぐられ
傷つき続ける。
そして
その痛みを
誤魔化すことに
エネルギーを
使い続け、
ついには
エネルギーが
限界を迎え、
自覚して
しまう。
で、
足元がない
ことに気づき、
落ちる。
実際に
落ちてみて
わかることは、
「落ちる」
とは
底がある
ということだ。
永遠に
落ち続けることは
ない。
必ず
底があり、
そこまで落ちれば、
あとは
再浮上しかない。
こんなこと
なら、
最初から素直に
落ちておけば
良かった、と、
しっかり
落ちた人は皆、
思う。
自分はなぜ、
あんなにも
落ちることを
恐れ、
自分を
誤魔化し続けて
いたのだろうか?
と。
要らぬ恐怖を
溜め続け、
自分を誤魔化す
ことに
エネルギーを
費やし続ける
という
終わってみれば
意味のないことを
なぜ
あんなにも
長い年月、
続けてきたの
だろうか?
と。
それなら
もっと早くから、
自分の足元を
自らの力で
少しずつでも着実に
醸成し続ければ
よかった。・・・
私も
そうだったし、
多くの
そういった人たちを
見てきた。
足元が
ないなら、
落ちるしか
ない。
が、
落ちて
もう一度。
初めから。
難しいようで、
実は
そうでもない。
私達は
いつからでも
始められる。
つづく