
一本の細い
糸のように、
無限の過去
から
無限の未来
へと
続いていく。
ピンと張った
糸。
それは
何ものによっても
穢されることは
なく、
何ものによっても
揺るがず、
ただ淡々と
一定の速度で
伸び続ける。
「時間」。
私達はそれを
そのように
捉えている。
「時間」は
絶対であると。
私達が何を
為そうとも、
時間は
進み続ける。
そこに意志は
なく、
ただ淡々と
進み続ける。
ある意味
無慈悲な
存在。
絶対的
無慈悲。
そのように
捉えている。
が、
本当にそうか?
と
疑問を
持ち始めた瞬間が
ある。
私はある時、
「時間」と
対話をしている
自分自身に
気づいた。
しかもその場面
では、
「時間」そのもの
が
観えた。
それは
一本の線
ではなく、
面
だった。
「時間」は
今ここにおける
一点から、
前後左右斜め
すべての方向に
無限に
広がりゆく。
一本の糸が
無限に
分岐し、
それらの
無限の糸が
さらに無限に
絡み合う。
しかしそれは
あくまでも
面、であって、
決して
立体、には
ならない。
なぜなら
「時間」という
面を、
その全体
を、
俯瞰する
客観的な目
が
存在するから。
その目こそ
私自身、
私達自身の
目に
他ならない、
と
知ったとき、
私は何かが
とてつもなく
深く
腑に落ちた。
面、
の中にいる時、
私達は
今ここしか
見えない。
しかし
面、から
外れた場所に
移動すれば、
全体を
観渡すことが
できる。
本来、人間
とは、
その二つの目を
持ち合わせている
もの。
だからこそ
ここ
にいる。
私達は
すべてを
知っている。
知った上で
ここに
いるんだ。
つづく