
人間は
本来はもっと
逞しいはずの
存在だ。
ひょっとすると
人間を
最も
活かしきれていない
のは
我々人間自身
ではないか。
何ものにも
縛られない
大自然の中に
ポンっと
放り出された時、
初めて私達は
自分自身に
内在された
力を
自覚するのでは
ないか。
人間社会は
本当に
“人間”を
育てたか?
私達の
これまでの歴史
は、
本当に
“人間”を
育てたか?
私達は、
“人間”としての
進化は、
ずっと
果たさずにきた
のではないか。
いや、
進化とか
退化とか、
そういった視点を
論じる以前の
状態、
ただ単に
私達は
雑になってきている
だけではないか?
自然の摂理
に
丁寧に自分を
合わせ、
その中で
自分らしく
生きていく。
・・・これは
古代の人達の
方が、
今の私達よりも
格段に
進んでいたのでは
ないか。
雑になり、
雑になり、
自然の摂理
から
外れても、
その気持ち
悪さに
鈍感になり、
鈍感になり、
自然を感じず
ただ
孤独感のみを
高め、
孤立した
存在として
脆弱に
生きる。
そんな
脆弱な存在が
ただ
肩を寄せ合って
依存し合って
生きるための
社会。
自律して
いない
社会。
それを
創り上げたのが
私達では
なかったか。
過去の人達
の
せいにしては
ならない。
皆、
同じだ。
過去も
今も、
そして
これから私達が
創り出す
未来も、
皆、
“自分”
だ。
“人間”
だ。
雑、
というのは、
何も考えない
ことだ。
無頓着。
鈍感。
無関心。
狭い視野。
狭い世界。
自分の
内側だけの。
今は
ほとんどの
人が、
「世界」を
見ていない。
自分の
内側に
浸っている
だけだ。
世界と
向き合うことを
恐れている。
恐ろしい世界
を
創り出して
しまったから。
それを
本能的に
知っている
私達は、
じっと
自分の内側
だけに
閉じこもる。
だけど、
本当は、
内側にも
安全な場所は
ない。
内と外は
同じ
だからだ。
内と外の
境目。
それが
人間。
だから
安心を得たければ、
世界にしっかり
目を向けるしか
ない。
進化の道を
今、ここからでも
歩み始めるしか
ない。
歴史は
繰り返す?
いいや、
もう
繰り返さない。
繰り返したら
もう
終わり、と
なるだろう。
もう、
そんな場所まで
来てしまったよ。
だからもう
歴史は
繰り返さない。
自然の摂理
には
いつからでも
戻れる。
進化の道には
今、
ここからでも。
そんな
社会になれる
よう、
今日の一日を
私は
生きる。
つづく