
昨日までの
吹雪が、
嘘のように
晴れた。
満点の
星だ。
星が降る
とは
このことか。
ただ茫然と
見上げながら、
自分の小ささ
を
感じる。
そのまま
感じる。
こういう時
こそ、
自分の鼓動も
感じることが
できる。
生きているな
私は、
と思う。
生きて
ここにいる。
吹雪の中を
歩いた記憶は
もうほとんど
飛んでいる。
前に足を
出し続けること、
自分の体の
バランスをとること、
にのみ
必死だった。
自分が
自分なのか、
自分じゃないのか、
も
わからない状態。
そこから
ここに
生還したような、
やっと
自分に戻れた
ような。
冬山の体験
が、
きっと私の
セルフコーチングの
基盤に
なっている。
自分を
失い、
自分に
戻る。
自分に
戻れば、
これまでとは
異なる自分が
そこに
いた。
それを
しっかり感じる
ことで、
また
自分を失う。
自分を失う、
とは
「個」である自分を
離れることでも
ある。
それは時には
「世界と一つになる」
という
実感をもたらすことも
あった。
あの感覚を
体験したことは、
セルフコーチングを
探究する上で、
本当に
宝となった。
山には
感謝しかない。
当時の
私にとって、
山に登ることは
最上の喜び
だったのだが、
この仕事を
始めてから、
もう30年くらい
山には
一度も行っていない。
山に登る喜びと
同じ喜びを、
日々、
感じることが
できているから。
山に行く
欲求そのものが、
なくなって
しまった。
あえて
表現すれば、
私は、
人生を登る
ように
なった。
それが
真本音で生きる
ということだ。
山に登って
いる時は、
その一歩一歩が
とても
愛おしかった。
今は、
人生を進む
一歩一歩、
一分一秒が
愛おしい。
山でのあの
充実感が、
まさか
日常生活で
日々、
手に入れられる
とは、
当時の私は
思いも
よらなかった。
ただ、
ふと
もし今の私が
あの山の世界に
もう一度
入ったら、
そこで
何をどのように
感じるだろうか?
と、
考えることは
ある。
今だったら
きっと
あの時よりも
もっと簡単に、
山と一つに
なれるだろう。
そうすると
私は
山々から
どのようなメッセージ
を
受け取るだろうか?
まぁでも
これは、
あくまでも
興味本位の
問いだな。
山に行く
時間とエネルギーが
あるならば、
私はそれを
もっと別のことに
使いたい。
私も変わった
もんだな。
人は、
変わるのだ。
つづく