自分を
縛っていることに
全く気づいていない
人は多い。
これはずっと
変わらない。
私は自由に
生きる!
と
宣言している
人ほど、
その傾向が
高い。
自由の
履き違えだ。
・・・・・・
自由になる
ためには、
自由になれる
自分自身を
まずは
手に入れなければ
ならない。
それは、
どんな環境でも
生きていける
自分
に
なるという
こと。
環境を
選ばなければ
自由になれない、
という状態では
どこにいても
自由には
なれないからだ。
ただしこれは、
依存しては
ならない、
ということでは
ない。
人間はそもそも
依存し合う
生き物だ。
そこを
誤魔化して
いても
自由にはなれない。
大切なのは、
自らの意志として、
私は今、
何に
どのように
依存するか?
を
決めること。
これを自由に
決められることが
本来の自由への
第一歩だ。
・・・・・・
本来の依存
とは、
まずは
自らが自らの
足で立つ
ことができる、
もしくは
そうなろうという
本気の意志が
あることで
成り立つ。
ただ闇雲に、
意図せず
無意識に
依存する状態を、
寄生
と言う。
ただ本能的に
自分を守るため
だけに
寄生する。
残念ながら
そんな人は
多い。
日本の国力が
ずっと
下がり続けて
きたのは、
根本的には
それが
原因だと
私は思う。
・・・・・・
寄生する先
を
探し求める。
自由を
求めながら。
誰か、
私を自由に
してくれる人は
いませんか?
と
探し求める。
それを
続けている社会
では
いつまで経っても
同じ次元に
いるしかない。
そこを私は
変えたい。
と
思って、
もう30年近く
やってきた。
もちろん、
知らず知らずの
うちに、
私自身が
何かに
寄生していたことも
あった。
そこから
脱け出すのは
怖かった。
が、
そこにずっと
居続けることこそ、
本当の恐怖。
ということは
よくわかる。
人はもっと
強くあらねば
ならないし、
本当は
それはできる。
私にできること
は
限られているが、
それでも
できることの
最大は
やり続ける。
それが私の
自由だ。
つづく