豪雨だな。
豪雨だ。
凄まじい
勢いの。
これでは
視界は
閉ざされる
どころか、
身動きすら
取れない
だろう。
・・・・・・
にも
関わらず、
動け!
と言う。
残念ながら、
人は
それほどまで
には
強く
できていない。
人間理解
の
一つの重要な
要素とは、
人は
どこまでなら
できるか?
という
人としての
限界点、
もしくは
その人の
臨界点、
を
知ることでは
ないか。
・・・・・・
では、
世の中に
臨界点
は
あるのだろうか?
答えは、
「ある」。
と
今は断定した
方がいい。
これからの
時代は
特に。
そこを
「ない」
と
信じ込もうとする
行為そのものが
臨界点を
狭める。
臨界点を
越えれば、
物事の展開の
仕方が
根本的に
変わってしまう。
これまでは
挽回できた
ことが
できなくなる。
創造のための
破壊
だったものが、
単なる
破壊のみと
なる。
次元を上がる
ための
ステップだった
ものが、
単に
「滅する」ための
プロセスと
なる。
臨界点を
意識した活動が
全般的に
必要なのだが、
残念ながら、
そういった意識を
本気で向ける人は
ごく
僅かだ。
・・・・・・
取り返しが
つかない。
という
言葉がある。
今後、
この社会では
この言葉が
世の中を
ますます
賑わすことに
なるだろう。
だからと
言って、
指を咥えている
わけには
いかない。
臨界点を
越えぬ
ために、
あえて
豪雨の中にも
繰り出していく
ことを
私は
する。
できる
最大のことは
し続けたい。
つづく