意志の源

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じっと
落ち着いて、

身じろぎも
せず、

狙っている。

あの的(まと)を。

絶対に
外しては
ならないから。

的は
どんどん
難易度を高めている。

その度に
もう
私の実力では
無理だろう

思うのだが。

今回も
全く自信は
ないのだが、

私の意志は
揺るがない。

しょうがない
ので
意志に
任せる。

・・・・・・

意志とは
一祈
である。

純粋な
祈りほど、
人を動かす
ものはない。

それを
知ってから
私は
ずっと
自分の中の

一つの祈り


即して
生きている。

それを
外したことは
ない。

外せば
気持ち悪い
から。

・・・・・・

純粋な祈り

言葉はない。

言葉に
ならない
のだ。

かと言って
言葉というものを
軽んじている
わけではない。

言葉には
言葉の
非常に重要な
役割がある。

そして私は
言葉を
愛す。

澱みのない
言葉達が
飛び交う世の中に
したいと
常に願っている。

が、

やはり、

祈りに
関しては、

これはもう
どうやったって

言葉には
ならない。

・・・・・・

祈りは
ただ、
感じるもの。

自分の
始まりである。

自分自身の
もと
である。

その祈りは
自分に向けた
ものでもあり、
周りに向けた
ものでもあり、

世界全体に
開放された
ものでもある。

・・・・・・

祈りの和。

・・・そういえば、
四半世紀前に
独立した当時の
私の中に
よく
浮上してきた
言葉だ。

一人の祈りと
一人の祈りが
紡がれ合い、

和を
成していく。

当時は
ただの
概念だったが、

今は体験として
それが
わかるように
なってきた。
少しずつ。

本来、
世界とは
祈りの和であるのが
基本だ。

その基本を
私達のこの世界は
とうの昔に
忘れてしまった。

私達の
歴史はずっと

祈りの分離

の歴史
だった。

もう
変えよう。

祈りの和への
一歩一歩に。

つづく

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