美しさについて

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美しさ、

という言葉は
昔は
それほど
気にしていなかった
のだけどね。

最近は
特に気になる
ようになった。

きっと
多くの人達が

本当の
美しさ


求めているの
だろう。

・・・・・・

私自身と
言えば、

生まれた直後、
物心ついた
時から、

とにかく
自分の顔や
体を
鏡で見るのが
嫌だった。

美しく
ない。

気持ち
悪い。


強烈に
思っていた
からだ。

その名残は
今でも
あって、

できれば
今も私は
自分の姿を
見たくない。

写真を
撮られるのも
いまだに
少し体が
拒絶する。

仕事上、
動画を撮ったり
もしてきたのだが、

最初の頃は
大変だった。

顔が
引きつって
引きつって。

自分の姿を
世の中に
晒すのが
本当に
嫌だったんだ。

・・・・・・

そんな
自己イメージの
低さは、

人と
向き合っている
時には
消散された。

なぜか、
人と向き合う
その瞬間だけは、

自分を
オープンに
できたんだ。

だから
ある意味、
人と向き合っている
その場面こそが、

本当の私
なのかもしれない。

・・・・・・

私はいまだに
私自身に
美しさを感じた
ことはないが、

しかし、

私のクライアントさん
を初めとした
周りの人達は、

美しい人
ばかりだ。

美しさを
私がどこで
感じているのかは、
わからないが、

多分、
魂で感じて
いるのだと思うが、

皆さん、
美しい生き様
である、
ことだけは
確かだ。

・・・・・・

世界は、

本質的には
日々、
美しくなって
きている。

のを
強く感じる。

一方で、
表面的には
美しくないものは
たくさん
あるけどね。

本質が
美しくなれば、

美しくない
ものは
当然、
表面に炙り出される。

それが今、
行われている
こと。

そしてその
炙り出された
美しくないものと

しっかり
向き合いっている
人は

美しいな、

思う。

・・・・・・

バランスの
取れているものが
美しい、

よく言われるが、

本当に
そうだろうか?

アンバランスの
中にも
美しさは
いくらでも
見出せる。

むしろ、
アンバランスの
美しさを
求めるのは

人の本能
ではないか?

だって
人間そのものが
もともと
アンバランスに
創られている
のだから。

・・・・・・

そういえば、
私の
クライアントさん達は
特に、
アンバランス度合い

激しい。

その激しさを
そのまま
受け入れて、

引き受けて、

自分として
生きようと
しているのだから、

きっと
そこが
美しいのだろうな。

私は
私のことを
美しいとは
思わないが、

日々、
美しさを
高めようとは
思っている。

私もまだまだ
本来の私
ではない。

もっと
私らしさを
追求したい。

つづく

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