後悔の念が生まれたら、
まずはその後悔の念と
しっかり向き合うこと。
それにより、
後悔の念をしっかりと
理解すること。
これが、
「後悔」を「未来」につなげて
いくための必須のことです。
後悔から逃げてしまうと
せっかくの「未来」が
開けなくなります。
後悔とは、
チャンスです。
後悔の念を
しっかり理解することで、
その「念」は
それだけで随分と
浄化されて軽くなります。
その状態になれたら
次に私達がすべきは、
自分自身の
「真本音との対話」
です。
言ってみれば、
ここまでは
自分の中に湧き上がった
「反応本音との対話」
をしてきたわけです。
反応本音をしっかりと
理解したら、
次に行なうのが
「真本音との対話」
なのです。
これも、
単に「思考する」とか
「発想する」というのとは
異なる行為をします。
自分自身の真本音と
まるで他人のように
向き合い、
真本音からの声を
キャッチするのです。
・・・・・・
まずは、
真本音の場所を
特定する必要があります。
私のセミナーや研修や
コーチングを
受けていただいた方は
その場所がすでに
ある程度わかると思います。
まだ受けていただいて
いない方の場合は、
次のことをするとよいでしょう。
まずは
自分の体の中心軸を
感じます。
「中心軸」というのは、
おへその奥の体の中心と
頭のてっぺんの中心を
結んだ線です。
その「中心軸」を
まずはしっかりと
感じ取ってください。
人によっては
それだけでもう
真本音発想の始まる
ケースもあります。
「中心軸」を意識する
だけで、
シャンとした
「本来の自分」に
戻れる感覚が
あるかもしれません。
もしここで、
「中心軸」を感じ取ること
自体が難しい場合は、
まだまだ「後悔の念」との
対話が不足している
ということです。
その場合は、
今一度、「後悔の念」を
理解しようとするための
対話を続けてください。
反応本音をある程度
浄化することができて
初めて、
私達は自らの真本音を
感じ取る感性を
取り戻せるのです。
さて。
「中心軸」を
感じ取ることができたら、
次に、
その中心軸上のどこかに
自分の
「中心核」
となる場所があります。
「中心核」とは、
「ここが自分の中心だ」
と思える場所のことです。
中心軸上のどこか
にあるはずです。
その場所を
特定してください。
なかなかわからない場合は
「ここに私の中心核が
あってほしいな」
と思うところで結構です。
・・・・・・
「中心核」の場所が
わかりましたか?
そこが、
あなたの真本音の
場所です。
ここが特定できましたら、
今度はその
真本音の場所に
意識を向けます。
すると、そこに
何かが観えてくると
思います。
もしくは、
人によっては何かを
感じるだけ、
というケースもあります。
できれば、
「何か」がしっかりと
観えるまで
意識を集中していただけると
よいですね。
例えば、
そこに意識を向けると、
「とてもまばゆい光
があります。
それは緑色に輝いて
います」
とか、
「大樹の根っこのような
ガッシリとしたものが
あります」
とか、
「すごく柔和な笑顔
が浮かんでいます」
とか。
人によって様々な
ものが観えます。
ここで大切なのは、
それは
無理にイメージした
ものではない
ということです。
自然に浮かぶものが
よいです。
自然に浮かぶものは
「実在」
です。
単なるイメージとは
「幻影」
です。
「実在」と「幻影」は
本質的に異なるものです。
「幻影」は単なる
イメージですので、
次々に変化します。
儚く消えたりします。
「実在」とは
そこに本当に実在する
ものであり、
この現実世界における
「現象」を生み出す
大本のようなものですから、
そこに意識を向ければ、
いつでもそれがそこに
在ります。
それは
絶対的な存在感
です。
その「実在」を
特定できたら、
いよいよ真本音との
対話です。
・・・・・・
まずは、
その「実在」である真本音に
次のように問いかけます。
「ここまでの
私と、私の後悔の念との
対話を聴いていて、
どんなことを思った?」
と。
そう問いかけたら、
「答え」を
待ってください。
その「答え」は
まるで本当に会話を
しているかのように、
言葉として
返ってくると思います。
もしくは、
そうでない場合は、
自然に意識の塊のような
ものが、
浮かんでくるかも
しれません。
いずれにしても、
「答え」を
待っていてください。
もし何も返ってこない
場合は、
返ってくるまで
待ちます。
今はまだ全然、
返ってくる気配がないなぁ、
と思ったら、
問いだけをそこに残して
セルフコーチングそのものを
中断します。
そして、思い出した瞬間に
何度かその問いを
自分の真本音に投げてください。
それを続けていると、
ある瞬間にふと、
「答え」が浮上してくる
ことがあります。
そうなるまで、
何日もかかるかも
しれません。
しかしそれは単に
慣れていない
というだけのことです。
慣れるまでは
時間がかかるかも
しれませんが、
原則は同じです。
つまり、
「問うて、待つ」
のです。
つづく
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