あっ、今
この選択をすれば、
私は私で
なくなってしまうかも
しれないな。
これまで
「私である」
と思っていた私が
壊れてしまいそうだな。
「私」というダムが
決壊して
しまいそうだな。
・・・そんな風に
思う瞬間は
ありませんか?
そんな風に
思う瞬間を感じる人
が増えているのでは
ありませんか?
自分が自分を
壊す、
というテーマについては
これまでも何度か
書かせていただきました。
その時に、
「どのようにすれば
自分を壊すことが
できるのでしょうか?」
というご質問を
いただいたりも
しました。
まずは、
「自分を壊す」
というのは決して
悪いことではない、
ということを
頭で認識することが
大事です。
壊れるというのは
とても怖そうな
ことですが、
そして、
壊れてしまうと
「私」という存在が
なくなってしまう、
そんな喪失感も
ありますが、
壊れても
壊れても
決して消えないのが
「私」
なんです。
壊れても
壊れても
そこに「私」は
存在し続けます。
そして
壊れれば
壊れるほどに
「私」は
「本来の私」に
近づいていきます。
しかもそれを
「進化」と
言います。
壊れることは
決して悪いことでは
ありません。
では、
どうすれば
壊れるのか?
まずは意図的に
「壊そう」とは
しないことです。
意図的に壊す方法も
もちろんありますが、
それはある意味
「上級者」のできる
ことです。
ほとんどのケースでは
「勝手に壊れていく」
のです。
「自然に壊れていく」
のです。
ただし、
壊れる方向の
何らかの選択をする
という「きっかけ」が
必要です。
「きっかけ」とは
その選択への
「第一歩」
を踏み出すことです。
・・・・・・
冒頭に書きました、
「あっ、この選択をすれば
自分は壊れるな」
という感覚を
私達は何となく肌で
感じることができます。
それを肌で感じた場合、
実は私のこれまでの
現場感覚では、
ほぼ9割くらいの人が
そこでその選択から
逃げてしまいます。
まぁ、
当たり前ですけどね。
だって、
怖いから。
怖い方向には
人は行かないですから。
しかし、
真本音度合いが高まると、
その「怖い選択」が
気になってしょうがなく
なります。
これまでは
あっという間に
逃げていたのに、
今回は
逃げようとはするけど、
なんか気になってしまう。
「本当に逃げてしまって
いいのだろうか?」
という疑問が
湧き始めるのです。
そしてある時に、
その「怖い選択」を
ついに、
エイヤッと選んで
しまいます。
そしてその人は
本当に
壊れます。
しかし、
壊れた後の開放感も
同時に得ます。
それが一つの体験
となり、
その後も
「壊れる選択」を
続けるようになります。
そして、
「壊れる選択」こそが
最善だとわかるように
なり、
「壊れる選択」こそが
最も楽しく充実し、
しかも最も楽である
ことも知るように
なります。
そしてついには、
「普通に進む」とは
壊れる選択を
し続けることだと
いう状態になります。
ここまで来ると
ほぼ、
真本音度合い100%
です。
進化への道
まっしぐら、
という状態です。
そしてこれも
これまで何度も
書かせていただきましたが、
その
進化への道まっしぐら
という状態こそが、
私達人間が
最も安定し、
安心できる状態である
ということです。
決壊することは
怖いのに、
本当は
決壊し続けることこそが
最も楽だった。
・・・という、
人間とは実に実に
面白い存在です。
つづく