後悔しても
後悔しても
後悔しても
足りないことが
ひょっとすると
あなたの人生には
あるかもしれません。
その出来事以来、
あなたは
大切な何かを
失くしてしまった。
それを
常に探し続けては
いたけれど、
ただ、
探し続けていただけで、
実は
もう見つからないだろう、
と
その時からずっと
あきらめてしまっている。
あきらめては
いるのに、
しかし心のどこかで、
ずっとずっと
探し続けている。
まるで
地面を這いずり
まわるかのように。
ずっと
探し続けている。
・・・・・・
15歳の時。
クラスで一番元気な
級友がいた。
彼はいつも明るく
溌剌としており、
いつも皆を
笑わせた。
そんな彼が
たった一度の
ミスをした。
そのミスで
彼は泣いた。
しばらく
学校を休んだ。
再び学校に
現れた時、
彼は元通りの彼に
見えたが、
しかしその元気さは
空回りのように
私には見えた。
それから
16年後。
31歳の時に、
同窓会が行われた。
久しぶりに彼に
会って、
私は驚いた。
彼は別人のように
なっていた。
あの溌剌さは
微塵もなくなって
いた。
妙にペコペコし、
斜に構え、
ため息ばかり
ついていた。
皆で談笑している時、
何かの折に
彼が独り言のように
つぶやいているのを
私は聴いた。
「あの出来事で
俺の人生、
変わっちゃったから・・・」
16年前の
15歳の時の
出来事。
31年の人生の中で
半分にも満たない
地点での出来事が、
残りの半分以上の
人生を決めた、
そして、ここから先の
人生も
決めている。
と、彼は
そう思っているのだ。
それを知って
私は愕然としたが、
でも
人間とは
そういうものなのだろう。
・・・・・・
私のクライアントさんにも
そういった人は
いっぱいいた。
彼のように
15歳の出来事であれば
まだマシな方で、
もっと小さな
小学生の頃の
出来事とか、
幼少の頃の
出来事とか、
まだ人生の始めの頃の
ある出来事に
ずっと引きずられている
人が多かった。
というよりも、
本当のことを言えば、
誰もがみんな
そうなのかも
しれない。
私達はみんな、
人生における
何らかの出来事に
引きずられながら
生きている。
・・・・・・
私のお仕事の
重要な目的の
一つは、
そこからの
解放
なのだと思う。
あらゆる出来事
からの
解放。
しかしそれは、
これまでの出来事を
否定したり、
消去したり、
書き換えたり、
することでは
決して、ない。
出来事の中に
閉じ込められて
しまっている
自分自身を、
外に出し、
「出来事の中の自分」
ではなく、
「自分の中の出来事」
にするのだ。
過去は
変えられない。
しかし、
過去の捉え方は
変えられる、
とはよく言われるが、
私は
過去の捉え方自体も
別に
変えようとする必要は
ない、と思う。
その捉え方自体も
すべてを含めて、
自分がそれらを
抱くのだ。
大切に
抱く、のだ。
それにより
私達は皆、
自由になれる。
私達は
雲の中に
閉じ込められる。
雲の中にいると、
何も
見えなくなる。
その真っ白な
世界が
すべてだと
思い込んでしまう。
しかし
違う。
私達は
地球だ。
私達は
もっと大きく
もっと揺るがない
存在だ。
地球が
雲を抱いているに
過ぎない。
その雲に
意識の焦点を
当てているに
過ぎない。
あの出来事は
雲の一つだった。
その雲は
とてつもなく
大きな雲では
あるが、
しかし私は
地球なのだ。
あらゆる雲は
地球である私が
抱いている。
そんな事実と
真実に
自ら立ち返ることが
私達には
必要ですね。
つづく