そこが分岐点だ

LINEで送る
Pocket

 

大学3年の夏、

私は3週間、山の中に入り、

縦走を続け、

最後の目的地点として

剣岳という山の

ピークに立った。

 

このピークまで

メンバー全員と

無事にたどり着けるか

どうか?

というのは、

今から考えると、

私の人生においては

非常に重要な

分岐点だった。

 

つまり私は

真本音で

決めていたのだ。

 

剣岳のピークに

立てれば、

人生の次のステージに

進もう。

 

立てなければ、

もう一度、

同じステージを

やり直そう。

 

そう

決めていたのだ。

 

もしあの時、

剣岳まで

たどり着けなかったと

したら、

私の人生の展開は

20年は遅れて

いただろう。

 

この20年は

大きい。

 

人生の質そのものを

大きく決定する

大切な分岐点

だった。

 

私達の真本音は、

このような分岐点を

人生において

いくつも設定している。

 

・・・・・・

 

剣岳のピークに

立つこと自体も

もちろん大事で

あったが、

 

さらに私の真本音は

もう一つの条件を

自分に課していた。

 

それは、

メンバー全員が

笑顔でピークに

立つこと、

だ。

 

それをするためには

私は

メンバーを愛せる

リーダーとして

成長していることが

必須だった。

 

人を愛し、

そして

結果を出す。

 

私の真本音は

これを

私自身に

課していた。

 

剣岳のピークに

立った時は

快晴だった。

 

私達が

3週間かけて越えてきた、

北アルプスの山々の

ほとんどが

見渡せた。

 

それを

全身で受け止めながら、

私は

それまでの私の人生を

感じていた。

 

そして、

そのピークにおいて、

私は

それまでの私の人生を

手放した。

 

もう一度、

自分を

「ゼロ」に

戻したのだ。

 

ある意味、

私のこの人生の

流れは、

あの時あの瞬間に

決定したと

言っていい。

 

・・・・・・

 

そういった大事な

「分岐点」

を、

私はすべての人が

自覚できるといい、

と思っている。

 

そして

自分の設定した

分岐点に

自分で責任を持つ。

 

それをすることが

自立、そして自律の

基本だと思う。

 

残念ながら、

分岐点の手前で

逃げてしまう人を

私は

何人も見てきた。

 

その度に

私は自分の無力さを

悲しんだが、

しかしこれはもう

他者には何とも

し難いことだ。

 

きちんと

自分自身と約束した

分岐点に

たどり着くこと。

 

それは

本人の意志でしか

成し得ない。

 

分岐点の

手前までは

サポートすることは

できる。

 

しかし最後の一歩を

踏み出すかどうか?

は、

本人が決めることだ。

 

・・・・・・

 

今、

分岐点を

目の前にし、

 

戸惑っている人が

たくさんいる。

 

私は

心からその人達を

応援したい。

 

そして、

祈り続けている。

 

しかしやはり、

そこだけは

私には何もできない。

 

してはいけない。

 

分岐点に

きちんとたどり着けば、

その人は

開放される。

 

次のステージに

進むことで、

より「自由」を

手に入れられる。

 

しかし、

分岐点の手前では

とても不安定に

なる。

 

その不安定さと

向き合い、

勇気を持った

一歩を踏み出すこと。

 

私はとにかく

それを

祈り続ける。

 

つづく

 

コメントを残す

*