チームパフォーマンスコーチ

その生き方とはさよならだ

槍で、
腹部を貫かれた
ような

そんな鈍い
痛みがきた。

吐きそうに
なる。

そこをグッと
こらえる。

これは
目の前の
この人の
痛みだ。

いつも
こんな痛みと
共に
生きているのだ、
この人は。

そう思うと
泣けてくる。

しかし
泣いている場合
ではない。

同じ人間として、
ついつい
同情してしまう
のだが、

その気持ち
(反応本音)

横に置き。

この人には
厳しい一言を
伝えねば
なるまい。

「生き方を
根本的に
変えなさい」

槍に
貫かれた状態で
生きることは
決して
美しいことではない。

自己犠牲が
美徳だなんて
誰も
言っちゃいない。

あなたの
その痛みは、
誰も
喜んでいないのだ。

あなた
だけだ。

自己満足的に
喜んでいるのは。

その事実に
いい加減に
気づきなさい。

と、
そのように
伝えた。

当然、
その人は
怒った。

もうこれで
この人との
関係は
終わってしまうかも
しれない。

が、
今こそちゃんと
言わなければ。

もっと
楽に生きよう、
とは
このことだ。

怠惰に生きる
ということでは
もちろん、
ない。

あえて
自分で自分を
苦しめ、
痛めつけるような
生き方を
やめよう!
ということだ。

誰も
喜ばないし、
かつ
混乱しか
起こさない
その生き方。

もう本当に
さよならを
するときだ。

つづく

樹との対話

樹の根っこ
にいる。

巨大な
樹だ。

見上げても
この幹が
どこまで伸びて
いるか、
わからない。

宇宙まで
繋がっているのでは
ないか、と
思うほど。

根は
ガッシリと
大地を掴んでいる。

私はそこに
全身を
委ねている。

樹にも
魂はある。

会話すらも
できる。

だから
強烈に
伝わってくる。

強烈な
意志だ。

私は
この樹に
応えなければ
ならない。

どれだけ
巨大でも
樹は
この場所を離れる
ことはできない。

であれば、
私が
動くしかない。

樹の意志を
受け取った
上で。

いつの間に
私は
この樹から
これだけの信頼を
いただけるように
なったのだろう?

根っこに
貼り付けば、
いつも
大いなる祝福を
受ける感覚だ。

私はやはり
これに
応えなければ
ならない。

何がなんでも。

私のような
生き方をして、
すでに
人生を終えられた
人もいる。

私はその人を
芯から
尊敬している。

その人に
負けないよう、
私も私の人生を
生ききるつもりだ。

今、
樹が感じている
ことは、

これまでの
人類の歴史には
なかった
何物か、だ。

この巨大な
樹が
武者震いを
しているようだ。

私も
武者震い。

樹と
魂を共有し、
ここから先を
進んで行こう。

つづく

孤独なんだろ

まだ
臍の緒で
繋がっているうちは
良かったのだ。

しかし
母親の体内から
出た直後に、

その臍の緒
さえも
切られる。

その瞬間
から
私達の孤独は
始まった。

分離感。

断絶感。

すべての存在に
対して。

その孤独に
争うかのように、

そして
その孤独を
打ち消すかの
ように、

時には
逃げるかの
ように、

私達は
生きてきた。

こんなに
辛い世界は
本当は
他には
ないんだよ。

それくらいに
辛く
苦しい
人生の始まり。

それはもう、
真本音を
多くの人が
忘れてしまうのも
よくわかるよ。

私自身も
そうだったし。

私達は
皆、
孤独だ。

という現実を
受け入れられるか
どうか?

それにより
人生の進み行きは
根本から
変わってくる。

孤独を
愛そう!

などとは
言わない。

そんな
生優しいものでは
ないから。

ただ、もう
目を逸らすのは
やめよう。

孤独は
ここに
あるのだから。

この世で
生きている
限り、
ここに
あるのだから。

目さえ
逸らさずにいれば、

孤独から
逃げるための
願い、

孤独を
打ち消すための
願い、

から
私達は
解放される。

そこで初めて
知るのだ。

その奥に
潜んでいる
自分自身の
本当の願いを。

つづく

生きている意味はない

私に
生きている
意味なんか
ないのじゃないか。

という
とても痛い
想いを
浴びた。

まだ若い
その人は、

私の目を
はっきり見ながら、
自問自答の
ように
そう呟いた。

その瞬間、
思い出した
のだ。

私もずっと
そうだったな、
と。

私の場合は、
その人のように
明確に
自覚していたのでは
なかった。

でも、
今、振り返れば、
私の人生とは、

私の存在
なんて
意味はない、

という
無意識の呟き
と 
共にあったのだ。

通常なら、
そんなことは
ないよ、
人には皆、
意味はあるんだよ、

慰めるべき
ところだろう。

ところが
私の口から
出た言葉は、

その気持ち
こそを
ずっと大切に
してほしい、

・・・だった。

もちろん
今の私からは
その気持ちは
跡形もなく
消えている。

しかしそれは
経験
によってでは
ない。

良い経験を
積めば
解消される次元
ではないのだ。

むしろ、
解消されない
からこそ・・・。

そう、

あなたは
あなたで
いられる。

本来の
あなたに
戻るために。

つづく

喉にくるメッセージ

喉が
ヒリヒリする
のだが、

こういう時は
何らかの
強いメッセージが
ある、

ということだ。

何か
私自身が
気づかなければ
ならないことが、

今ここに

ある。

今ここを
逃すと、
その気づきに
もう一度
辿り着くまでには、

かなりの時間が
かかってしまう。

今ここに
ある
気づきは、

今ここで
気づかねば
ならない。

こう書くと、
なんだかいつも
縛られている
ような
印象になるかも
しれないが、

逆だ。

まったく
逆だ。

今ここに
しか
存在しない
気づきを

求める
旅。

これが
人生。

その
人生の醍醐味
は、
言いようのない
爽快さと、

自由さ

がある。

私はこれを
続けている
うちに、

喉が、

アンテナの
ように
合図をくれるように
なった。

喉メッセージ。

今、
ここに、
一つの、
気づきがあるよ、
と。

ゴホンゴホン

咳き込みそうに
なる。

なるほど、
これはかなり
大きな
気づきのようだ。

つづく

どっちが師匠だ?

表面的には
師匠と弟子

関係でも、

本質的には
それが
逆転している
コンビがいる。

本当は
師匠が弟子で、
弟子が師匠。

師匠が
教えているが、
実は
師匠は
教えられて
いる。

結構
多いんだ。

そんな
コンビを
拝見すると、

いつも
思うのだが、

美しいなぁ、
と。

それぞれが
謙虚に
真摯に
表面的な役割を
担いながらも、

それぞれが
ちゃんと
学び合っている。

親子でも
同様の
コンビがいる。

本当は
親が子で、
子が親で。

親が子を
守っているが、
実は
子が親を
守っている。

親が子に
教えているが
実は
それを通して、
教えられて
いる。

これもまた
美しい。

こういう
関係性を
観ると私は、

人間って
美しいなぁ

思うんだ。

つづく

一瞬だけ本当の場所に

今、
ここに
いるのだが、

本当は
もっと
上空にいる。

高いところ
から
ここを
見降ろして
いる。

本当は
そこに
いる。

だから
短時間だが、
本当の場所に
戻ろう。

感じている
ことが
あるはずだ。

そろそろ
あの
気づきの
タイミングだ。

潮流の
変わる時。

一気にそれを
ここから
始める時。

だが、
仮の場所では
わからない。

本当の場所
から
世界を
眺めなければ、

現在地すら
満足に
把握できないのだ。

狭い世界
だ。

狭い
というのは
視界が狭い
ということだ。

私達は
わざわざ
この
視界の狭さの
中に
埋没している。

あえて
そこで
自分が
どう
生きるか?

それを
試し続けて
いる。

もがく
自分。

あがく
自分。

その
もがき方
あがき方

じっと
自ら観察し、

ある瞬間に
完了感
を得る。

そして
本当の場所を
取り戻す。

取り戻しても
ずっとそこに
いられるわけ
ではない。

時々、
肝心な時に
だけ
一瞬、
戻れる。

ずっと
息のできない
状態でいて、
一瞬だけ
一呼吸だけ
できたかの
ように。

でも
その一呼吸が
大事だ。

それさえ
あれば
確実に
自分の
方向は
わかる
んだ。

つづく

あの人に近づこう

一本指を
立てている。

何かを
呟いている。

あと
一度だけ!

か、

おぅ、
いいねぇ!

か、

この指
止まれ!

か。

意味は
わからないが
あの人は
じっと
一本指を
立てている。

顔は
結構、
寂しげだ。

でも確かに
何かを
期待もしている。

一本指を
立てながらも、
目は
どこか遠くを
見つめている。

虚ろ
ではない。

むしろ
意志がある。

冷静に
見えても、
奥の方で
フツフツと
煮えたぎる意志だ。

もう、
隠すことは
ない。

もう、
始めるのだ。

そうか。

自己開放

しようと
しているのか。

であれば、
私は
あの人に
近づこう。

そうか。

あの指は
アンテナか。

特殊な
波長の。

私はそれに
引っかかった
というわけだ。

つづく

崩壊への亀裂だ

「現実」に
亀裂が
見えるかい?

崩壊の
兆し。

しかしそれは
怖がるべき
ものでは
ない。

その亀裂に
立ち向かうか?
逃げるか?

人の態度は
両極端に
分かれる。
面白い
くらいに。

あなたは
どちら?

気がつけば
亀裂
だらけだ。

どこから
崩壊が
始まっても
おかしくはない。

こんな世の中に
誰がした?

とは
問うなかれ。

こんな世の中に
したのは、
すべての人達
だ。

大人も子供も
関係ない。

皆の
総意だ。

あなたであり
私だ。

だから
この現実は、

この
亀裂たちは、

私達が
自ら
引き受けるべき
ものだ。

修復は
可能か?

残念ながら
不可能だ。

というよりも、
この亀裂を
こそ
私達は
望み続けたのでは
ないか。

積年の想いが
ようやくにして
叶い始めて
いる。

その象徴が
この
亀裂だろう。

ここで
逃げたら、
これまでの
私達の
長い長い

いや、

永い永い
道のりが
意味を失って
しまう。

だから
立ち向かおう。

せめて
私達だけでも。

つづく

さよならの時だ

新たな道に
進むのは
怖いかも
しれないが、

どうせなら
笑顔で
行こう。

涙が出るかも
しれないが、

それが人間
だろう。

そりゃ
ずっと同じ場所に
いたいだろうよ。

居心地が
良いからさ。

わざわざ
大好きな人達を
手放す必要も
ないよ、と
ささやく自分も
いるだろう。

行かないで
ほしい、

懇願する人も
いるだろう。

それでも
キッパリ
行く。

スッキリ
進む。

誰が
なんと
言おうが。

それが
あなたの
道だ。

本当に
心から
魂から
応援するよ。

つづく

何もなくなったら

何もない。

私の中には
何もない。

そう
感じたら、

それは
チャンスであると
捉えるといい。

ないように
見えて
実は
すべてがある
状態。

満ちている
状態。

欲が何も
出ないなら、

そのままで
いい。

フッと

無欲の中の
強烈な
願いが浮上
するかも。

もしくは、

何となく
軽く
これをやって
みようかな、

思うかも。

いずれにしても、
無闇に焦って
何かをする
ことなく、

ただ
待てばいい。

自然に
湧き出ずる
ものを。

つづく

フラッシュバックばかり

普段から
過去の私の
振る舞いが
よく
フラッシュバック
するのだが、

最近は
その頻度が
極端に増えている。

真本音度合いの
高まる以前の
私の人生は

後悔
ばかりだ。

いや、

後悔
という概念を
一つにまとめて
形にすると、

私の人生に
なるのではないか、

思ってしまう
くらい。

フラッシュバック
する度に、
その時に
私と関わっていた
人達に向かって

ごめんなさい


謝り続けて
いる。

私は、
余分なこと
ばかりを
していた。

余分なことを
するくらいなら、
何もしない
方がいい。

だが、
何もしない
などということが
私達人間に
可能だろうか?

もちろん
不可能だ。

だから
余分なことを
日々、
積み重ねて
しまう。

余分なことの
集積。

そういった人生から
一つずつ
余分なものを
排除したり、
捨てたり、
手放していく。

真本音で
生きる、とは
そういうこと。

そして、

余分が
なくなることで
初めて
姿を現すものが
ある。

それこそが
自分の
本当の意志
であり、

願いだ。

自分の意志

人生を切り拓く。

自分の願いに
向かう。

そのためには、
できるだけ
シンプルに
生きよう。

一つずつ
余分だと思うものを
減らして
いくしかない。

人によっては
ゼロ
になった方が
良いかもしれない。

かつての
私のように。

過去の
やり直しは
効かない。

その事実を
もっと
厳粛に
私達は
受け止めた方が
いい。

つづく

なぜあの時、行けた

あの時、

逃げるか?
立ち向かうか?

その
たった二つの
選択肢を
突きつけられ、

30秒ほどで
答えを
出さねばならない
くらいに

追い詰められた
あの時。

まだ
真本音という
概念にも
出会っておらず、

それどころか
自分と向き合う
ということ自体が
まったく
できていなかった。

その私が、
ギリギリの状態で
選択をしなければ
ならなかった。

あの時、
もし逆の選択を
してれば、
間違いなく
今の私はなかったし、

私の人生も
とっくの昔に
潰えていたことは
今となっては
よくわかる。

よくぞ、
ちゃんと
選択した、

よくぞ
逃げなかった

あの時の
私を
褒めてあげたい。

でもなぜ
そこで私は
ちゃんと
選択できたのか?

それが
いまだによく
わからない。

心の中は
余分なもの
だらけ。

余分な行動
余分な振る舞い

権化だった
当時の私が、

あの時だけは
間違えずに
進めた。

人が
真本音の道を
進む
ということが
いかに難しいか。

それを
今の私は
痛感し続けているが、

だからこそ
あの時の私の
その選択が、
奇跡のように
思えるのだ。

あの時
なぜ
私は
逃げずに
進めたのか?

どうみても
当時の私から
すれば
デメリットしか
ない
恐怖の道だったのに。

もちろん、
いろんな答えは
考えられるし、
分析もできる。

でも
この問いは
安易に答えを
出してはならないと
思うんだ。

つづく

見降ろすと全然違う

私はよく、
意識を
上に上にと
持っていく。

天から
地を見降ろす
くらいに。

すると、

自分の視界では
見えなかった
もの達が
突然に
観えてくる。

見降ろす感覚

独特のもので、

私の場合、

そこで
いつも
私自身の小ささを
感じ取る。

私にとって
それは
とても良いことで、

それにより
私は落ち着き、

無駄な行動
無駄な選択が
一気に消える。

なんだ、
私には
何もできないじゃ
ないか。

私に
できることは、
私に
できることのみ、
だ。

その事実を
受け止めた
上で、

自分の視界に
戻る。

すると
かなりクリアに
自分の
すべきことが
わかってくる。

誰に何を
お願いすれば
良いか?

誰に何を
お任せすれば
良いか?

特に
そういったことが
わかってくる。

と、共に
内側から
湧き上がる
感謝の気持ち。

感謝とは、
こうやって
自然に湧くもの
こそが
心地よい。

つづく

一日で必ず必要な時

じっとしている
べき時に、

クルクルと
回り続ける人が
いる。

落ち着かない
のだ。

クルクル回る
から
余計に
ものがよく観えなく
なる。

そして
安易な一歩を
選択して
しまう。

落ち着け。

まずは。

じっくりと
現実と
向き合おう。

闇雲に
動いてもよい
時代は
終わった。

今は、
一度、安易な
選択をしてしまえば、

その挽回に
かなりの時間を
要す。

ここが、
以前と今の
違いだ。

もちろん、
ただガムシャラに
脇目も振らずに
進むべき時も
ある。

しかし
本当にそれを
すべき時かどうか
は、
しっかりじっくりと
見極めなければ
ならない。

一度、
止まる時間。

すべてを、
見渡す時間。

自分を
整え、落ち着かせる
時間。

それらが
ここからは、
本当に
必須だ。

一日の中で、
必ず
そういった時間を
持とう。

自分を失う
ほど
忙しい時こそ。

つづく

何も上手くいかなくとも

夢に描いた
ものが

第一歩目から
まったく
上手くいかず

失望の連続

続くとしたら、

どうする?

何があっても
夢に向かうか?

サッと
諦めて
次に向かうか?

そういった
人生の選択に

答えは
ない。

答えは
自分で決める
しかない。

大切なのは、
自分で決めた
その答えが、

自分自身で
正解である、

信じられること。

だから
そのためにも

真本音で生きる
ことを
お奨めする。

真本音で
生きるとは、

すべて
上手くいく

ということでは
ない。

ましてや、
すべて思惑通り
ということは

まったくもって
ない。

むしろ、
真本音で生きれば
生きるほど、

予想外、
想定外、

日々、増していく。

じゃあ
何も良いことは
ないじゃないか、

思われるかも
しれない。

しかし
そういったことも
すべて含めて、

調和性が
増していくのだ。

つまりは、

良い試行錯誤が
始まる

ということだ。

良い試行錯誤に
なるために
とても大切なことが
一つある。

それが、

自分の選択を
自分が信じる

という
ことだ。

ところが、
「信じる」
とは
結果ではない。

「信じる」
とは
意志である。

そのため
自分にとって
最も確固たる
意志に基づいた
選択をすることが
必要だ。

だから、
自分の真本音で
決める。

一つ一つ
最大の意志で。

そして
一つ一つ
の歩みを
自分自身が
信じる。

そうすれば

思う通りに
いかないこと
ばかりでも、

それは必ず
次に
繋がる。

そして、

そういった
生き方
行き方

じっと見つめ続ける
存在がある。

そう、
自分自身だ。

自分の生き様を
自分が
ずっと見つめ続け、

良い生き様だなぁ

という
実感と共に
自己イメージが高まり、
自分の歩みは
さらに確固たるものと
なる。

そして
これを続ける人は
常に
「ゆとり」を
持てるようになる。

どのような
現実が
あっても、

どこか
ゆとりを持って
客観的に
それらと
対峙できる。

そこに、
「道」は
拓かれる。

そう。

だからこそ、
まずは
真本音だ。

自分の
真本音で、

今の一歩を

決めるんだ。

つづく

この感覚、あるだろうか

一人では
ない。

皆が
いる。

と、
感覚的に
思う。

感覚的
に。

それを私は

“ファミリー感”


呼んでいる。

実在レベルの
感覚だ。

心では
どれだけ
孤独になっても、

必ず
自分がしっかり
真本音で
生きていれば、

その
ファミリー感
はあった。

その感覚には
随分と
助けられた。

その感覚が
なければ
決して生まれない
発想は
数知れず。

特に、
コーチングなど
人と
接する時間に
それを感じると、

その場
そのものの
次元が
明らかに
高まった。

物事の
展開の仕方の
根っこが
変化した。

この感覚は
他の皆さんにも
あるものか?

もし
すべての人が
この感覚を
得られれば、

世界は
根底から
調和するのでは
ないか。

ファミリー感は
いろんな方向
からくる。

今、私は
それを
背後から
感じている。

私の背中に
あたたかい
光がある
ような。

この感覚と
共に、
私は
世界(現実)と
向き合う。

すると、
私の
すべきこと、
してはならないこと、

ありありと
わかるんだ。

つづく

0が1となる

足音が
後ろから
追いついて
きた。

ずっと
待ち望んで
いたやつだ。

遅いよ。

待ったぞ。


言いたいところ
だけど、
それはまぁ
さすがに
可哀想か。

むしろ、

よく来たなぁ、

悦ぶことに
しよう。

そう、
これは
純粋な
悦びだから。

待つことに
慣れすぎた
私の人生かも
しれない。

待ちながら
一生が
終わってしまう
可能性だって
まま
あったのだ。

しかし
そのような不安の
中でも
じっと待った。

やってダメなら
しょうがない、

ではなく

待ってダメなら
しょうがない、

という
気概だ。

0が1
となる。

1は2
となり、

2は4
となり、

4は8
となる。

今、私が
聴いているのは

1の足音
だ。

遅いぞ、
1よ。

でも、
嬉しいぞ。

つづく

気づきは要らない

この
気付きは、

私の
これまでの
経験則から

来ている
ものか?

とても
納得感のある
すがすがしい
気づき
であるが。

もし
そうである
ならば、

私は
これを
捨てよう。

もはや
気づきに
すがすがしさ

要らない。

経験則など
もっと
要らない。

そのような
もので
もし
事が成せたと
しても、

それは
私の望んでいる
ものではない。

もう、
気づきには
振り回されない。

私は
私の気づきは
もう
要らない。

世界の気づき

ほしいのだ。

つづく

孤独のくせに

その人の
孤独は

ここに
残ったままだ。

それを
静かに
拾い上げる。

胸に抱く。

苦しい。

ずっと
孤独と共に
あったのか。

誰にも
言わずに。

人には
耐えられる
ことと
耐えられない
ことが
あるのに。

これを
拾い上げて
しまっては
もう、

ひょっと
すると

私も
耐えられない
かも
しれない。

人間
なのでね。

でも、
耐えて
見せる。

人間
なのでね。

これも
あなたが
残したものだ。

あなたの
ものだ。

だから
私が
最後まで
抱く
こととする。

孤独は
光の中ですら
生きる。

孤独の
くせに
永遠だ。

しかも
そこには
あなたの
愛が
少しだけ

残って
いるよ。

つづく

感覚だけの目標

目標があれば、
まっすぐ
進める。

一目散に。

そこのみに
集中して
未来に向かえば
いい。

目標は
必要だ。

ただ、

その目標を
今、

顕在化

するか
どうか?
だ。

目標は
確かにある、
という
実感・感覚のみを
知るだけで、

あえて
それを明確に
せずに
胸に抱き続ける。

その状態の
方が、
脇目も振らずに
まっすぐ
進める人も
いる。

そういう
時もある。

あなたの
今は
どうだ?

あなたには
真の
目標がある
はずだ。

それを
顕在化する?

しない?

それを
今、
決めるべきだ。

つづく

始まりは脱力

緩やかに
進んでいるように
見えて、

実は
それこそが
最短ルートで

直登

だったり
するんだよ。

だいたい、

力を込めて
全身が
強張りながら
進んでいる時は、

自分が
思うほど大して
進んでいない
もんだ。

力を
抜こう。

脱力だ。

それが
基本だ。

力を抜いて
一度、
すべてを

あらゆる
現実を

しっかりと
見つめて
みよう。

観察だ。

あるがままに
観るんだ。

どうしても
力を
抜けないなら、

力を抜ける
自分になる、
ことこそを
まず第一の課題と
した方がいい。

脱力しなきゃ
観えないんだ、
いつまで経っても。

力を
入れ続けながら
焦って
次の判断を
し続ける。

・・・このループから
いかに早く
脱け出せるか?
だ。

自己管理の
第一歩は
まずは
脱力、から。

その上で、
全力を出すべき
ことを
しっかり
選別しよう。

ここは
私のすべての
力を
注ぐ場所であり、
瞬間である、

本気で決める
こと。

そして
そこにこそ
照準を合わせて
進んでいく。

それが本当に
できるのは
「自分」
だけ。

自分の人生に
おいては。

脱力、

そして

集中。

そのように
進める自分に
なろう。

つづく

そのがんばりは頑張りだ

自分は
何に
がんばれば
よいか?

ここを
間違えては
いけない。

何でもかんでも
がんばることが
素晴らしい、
とは
思わないこと。

それでは
肝心なところでの
成長が

かなり

遅くなる。

私は今
何に
立ち向かう
べきか?

その要所を
掴むこと。

ズレたがんばり
は、
ただの
“頑張り”。

つまり、
頑固に我を
張っている
だけ。

もう
それでは
何も進まない
どころか
大きく後退する、
そんな
時代なんだよ。

特に
今年からは。

今、
世界は
二つに分かれている

捉えるといい。

「進む人達」
のいる世界と、

「進まない人達」
のいる世界。

どちらの世界に
身を置くか?

進み方の
調和性は
根こそぎ、変わる。

“頑張り”
とは
単なる
自己満足。
つまりは
「進まない人達」
の世界における
行為だ。

それくらい
明確に
捉えるといい。

本当は
あなたは
何に
立ち向かうべき?

今は!

つづく

一瞬以外は風

一振りで
済むところを、

二振りも
三振りも
しない。

最低限
最小限
でいい。

余分なことは
一切しない。

そのかわり、
その 
一振りに

魂を込める。

魂を
込めるには、
力を
抜き切る
ことだ。

全身全霊

脱力。

ただ、

一振りの
瞬間のみ
1000%の
力を出す。

一瞬の
勝負。

一瞬に
すべてを
懸ける。

そんな生き方

いつからか、
私は
目指してきた。

が、

今年は
ますます
そこを極める。

研ぎ澄ます
だけ
研ぎ澄ます。

そう
決めた。

もう
回り道は
しない。

最短で
行く。

ダイレクトに
そのままの
自分を出す。

ただし、
一瞬だけね。

あとは
風に
流される。

風に
連れて行って
もらうよ。

一瞬の
ために。

つづく

何もなくなる私もなくなる

私が
私である、
という
自我を失くし、

不特定多数
の中の
一つの存在
である、

ただ
それだけ、

という
感覚になることが
時々ある。

何の色も
ない。

“私”という
概念すらなく。

自分を失う
というのは
怖そうなイメージが
あるし、

それは
自分であることを
放棄するような
投げやりな
イメージもあるが、

実は
その瞬間の
私は
結構、悦びで
満たされる。

私は
何者でも
ない。

その
言いようのない
開放感。

解放感。

当然そこには
私の使命は
なく、

願いもなく、

すべきことも、
人生そのものも、

ない。

過去も今も
未来もなく。

ただ、
そこにある
一個の存在。

その感覚で
街を歩いて
いると、

とても純粋に
“風”を
感じることが
できる。

“風”は
常に
吹いているのだ、

わかる。

“世界”は
常に
動き、揺らめいて
いるのだと。

脈々と
何かが
流れている。

それをただ
不特定多数の中の
たった一個の
存在として
感じている。

ある種の
“無”の感覚。

それは
孤独ではない
のだ。

孤独という
概念そのものが
消えている
というか。

そんな感覚に
しばらく
浸っていると、

その後、
いつもそうなる
のだが、

ある瞬間から
急に
ガーっと
“私”が
入ってくる。

まるで
夢から覚める
ように。

そして
凄い勢いで
私の中で
“私”が輝き出す。

そこで
思い出すのだ。

私は
“私”であった、
と。

そして
素直に思える
のだ。

私は
“私”を
引き受けよう、
と。

この感覚が
ひょっとすると、
“覚悟”
ということかも
しれないね。

つづく

不満足の結晶体

短くて
いいから、

最も
的確な
言葉が
ほしい。

短くて
いいから。


だけでなく、

身体の
すべてが、

全部の
細胞が
悦ぶような。

言葉を
介してしか
表現できない
ような
この
限られた
狭い世界の
中で、

窮屈さを
いつも感じながら
私達は
自己表現を
し続ける。

自分を
表す術を
探しながら、

いつ何時も
満足を
得られずに。

不満足の
結晶体、
人間。

不満足が
不満足な
言葉で
自己を表す。

不満足
同士の
やりとり。

それが
我々の
関わり、
コミュニケーション。

あなたに
どうしても
伝えたいことが
ある。

でも
それを
どうしても
的確に
表せないんだ。

伝えられ
ないんだ。

この言葉は
私じゃない。

でも、
私そのものの
言葉を
見つけたい。

あなたに
伝えるために。

私自身が
あなたに
伝わるために。

私が
あなたを
理解するために。

つづく

こんなことが楽しいなんて

丘に登る
一本道が
ある。

だが
その道は、

二次曲線的に
どんどん
急になる。

最後は
まるで
垂直の壁の
ようだ。

こんなの、

と言えるのか?

こんなところを
私は
行こうと
しているのか?

いやだよ。

だって
進めば進むほど
急になるんだろ?

進めば進むほど
苦しくなるんだろ?

最初は
そう思っていた。

しかしそれでも
その一本道を
行ってしまう自分。

勝手に
足が前に出る
のだ。

そして
だんだんと
二本足では
進めなくなり、

四つん這いで
進むように
なり、

とうとう
垂直に
攀じ登る状態と
なるにつけ、

実は
この進み方が
一番、楽で

しかも
楽しい!

ということが
わかってしまった。

なんだ
人間も、
本当は
四つ足で進む
生き物なのか。
ただし、
それは
垂直な場合に
だけ。

と、
妙な納得を
した。

垂直とは
最短。

四つ足
とは
全エネルギーを
進むことにのみ
使う状態。

つまりは
全集中状態。

最短ルートの
全集中状態こそ
我々人間の
悦びなのだ。

これまで
ずっと
恐れてきたことが、

実は
最も楽で
楽しいことだったとは!

なんという
ある意味
不条理な
世界か。

さて。

そうやって
垂直の壁を
攀じ登り、
ついに
丘の上に出た。

するとなんと
丘だと
思っていたのに、
まだまだ
先があった。

なだらかに
広い平原が
続き、
ずっと先に
次の二次曲線が
見えていた。

あそこもまた
最後は
垂直なのだろう。

しかし
あの二次曲線までは
遠い。

あそこまで
また
二本足で
トボトボと
歩いて行かねば
ならないのか。

二本足は
つまらない。

だから
走ろう。

また垂直の
壁を
攀じ登りたい
のだ。

あぁ、
これが
人間の
宿命か。

つづく

ちゃんと継ぐよ

命とは
儚いものか?

いや、

命とは
永遠だ。

私達は
別個の存在
じゃない。

すべて
繋がっているよ。

もし
誰かが
いなくなっても

他の誰かが
その人の
意志を継ぐ。

しかも
その人は
いなくなったのじゃ
ない。

ちゃんと
実在し続けている。

私は
あなたの
意志を継ぐ。

ずっと
そう決めて
いたし、

これからも
そうだ。

私は
あなたの
意志を継ぐ。

つづく

出口への一歩

一つのものを
千の視点から
同時に
眺めるような

不思議な
感覚が、その時
あった。

万華鏡の
ような、

無数の
プリズムの
ような、

交錯する
光の
乱舞の中で、

私は
一つとても
大事なことを
気づかせて
もらったんだ。

目の前には
垂直の
壁があり、

その壁は
全体が
滝になっている。

八方塞がり
で、
どこにも
進みようのない
状況。

そこに
確かに
出口を見たんだ。

出口は
ここには
ないのだが、

でも確かに
ここにしか
ない。

ないのに
ある。

あるのに
ない。

その意味が
最初は
わからなかった
のだが、

それがやっと
その時
わかったんだ。

すべての
次元は
今ここに
重なり合っている
と。

次元は
分離しているが、
すべて
ここにあり、

その意味に
おいて
一つである、と。

であれば
私のいる
次元のまま、
あの出口を
出られるはずだ、
と。

ここに
ないのに
ここにあり、

ここにある
のに
ここにない
もの。

その両方を
私は
すべて
信じよう、と。

どちらが
正しいか?
ではなく、
どちらも確かに
ここにある。

そして、ない。

そのすべてを
引き受ける
こと。

それこそが
覚悟なんだと、
ようやく
気づけたんだ。

そして
次の瞬間に
自分が
どの一歩を
踏み出せばよいか、

手に取るように
わかった。

理屈では
ない。

理由も
ない。

ただ、そこには
確信
のみが
あったんだ。

つづく

大いなるものがある

大いなるもの

としか
言いようのない
何かを

感じたことは
あるかな?

霊感とか、
スピリチュアルとか、

そういった
ものを
超えて。

あくまでも
現実的な
レベルの
感覚として。

それは、

内面的とも
言えるし
外面的とも
言える。

そういった
ものさえ
超えている。

ただ、
一言で
表せば、

「実在」

ということに
なる。

確かに
ここに
存在している
もの。

何か。

言葉では
表現できない
けれど、

もし
無理矢理に
表現すると
すれば、

大いなるもの

としか
言いようのない
もの。

人生を
真剣に生き、

挑戦すべき
ことに
挑戦し、

向き合うべき
ものに
向き合い
続ける。

そういった
生き様で
進み続ければ

誰もが
どこかで
感じ取るものでは
ないか。

大いなるもの。

あえてさらに
無理くりだが、
別の表現で表せば、

世界の全てが
そこに
凝縮された存在

とも
言える。

もしそれを
感じ取ることが
できるなら、

できれば
それを
一日中、
感じながら
生きるといい。

「それ」が
あなたを
支配することは
ない。

むしろ
「それ」は
あなたの自律を
望んでいる。

あなたの
自律こそが
「それ」そのものの
パワーとなる
のだから。

より
自由に。

そういえば
今日のクライアントさんが
とても
良いことを
言われていた。

「私の求める
自由とは、

Freedom
ではなく、

Liberty
である」
・・・と。

そう、
「それ」は
あなたの
Libertyを
望んでいる。

「それ」は
あなた自身でも
ある。

そして
「それ」は
あなたが
活用できるものだ。

あなたが
主だ。

つづく