チームパフォーマンスコーチ

操られる

まるで
操られるように

自分を
操る。

主がどこに
あるのか、
わからなくなる。

それでも
構わない。

自分を超えた
場所で
生きたいのだ。

自分という
範疇に
いたくないのだ。

自由で
いたいのだ。

自己イメージ
という
解釈を
創り上げ、

その中で
生きる。

その窮屈さ。

もういいだろう。

そこから
出ても。

もう充分
だろう。

自分、に
こだわるのも。

自分という
枠を
超えようとすると、

人間では
なくなってしまう
不安感がくる。

が、
本当は
それこそが本来の
人間の姿では
ないか。

本来の自分
ではないか。

この世の中は
もちろん
限界だらけだが、

だから自分を
閉じ込めなければ
ならない、
とは
ならないはずだ。

むしろ、
限界の中だから
こそ、
自己開放が
起こるのではないか。

限界の中で
自由になる。

その時、私達は
真に限界を
超越する。

限界を超越した
私達は
限界の中でも
自由に生きることが
できる。

自由と限界
とは
相反するものでは
ない。

むしろそれは
共存、
というよりも
融け合う
もの。

融け合い
一つに
戻るもの。

だから私は
自分を操る。

操る自分に
操られる。

つづく

あと3日

今日を入れて
あと3日で、

7月が終わる。

実在レベルでの
大きな節目を
迎える。

私達の人生の
大きな節目
でもある。

手放すべきものは
手放せたかい?

完了させるべきことは
完了できたかい?

決めるべきことは
決断できたかい?

やり残したことは
ないかい?

泣いても
笑っても
あと3日。

後悔の
ないように。

つづく

断ち切れないなら

断ち切れない。

強力な
ゴムのように、
張り付いている。

何を
どうやっても
断ち切れない。

そんな場合は、

切る、ことを
諦めるしかない。

張り付くゴム
そのものを、

愛するしか
ない。

愛すれば
浄化される
かどうか、


わからない。

浄化を
目的としては
ならない。

ただ、
愛する。

愛の意識を
向ける。

愛のエネルギーを
向ける。

それ自体を
目的とする。

すると、
何らかの
変容が起こる。

それにより
結果的に
わかることがある。

ゴムのように
張り付いていた
それは、

執着では
なかった、
・・・とか。

それには
想像以上に深い
意味があった、
・・・とか。

まぁ、
わからない
けどね。

そういった
意味を最初から
考えるのではなく、

断ち切れない
ものは、

徹底的に
愛す。

中途半端だから
見えないことも
あるんだ。

断つ、

愛す、
か。

どちらにしても
徹底的に。

つづく

いじけ虫へ

こんなに明るい
場所なのに、

暗く
閉ざされている。

いじけ虫。

ウジウジと
いじけ続ける。

光が
眩しすぎる。

だから
目を閉じた
まま。

耳を塞ぎ、

感受性の
すべても
閉ざしたまま。

決して
その狭い世界から
出ようとしない。

もう
くさってしまった
から。

人間、
一度くさると、
そうそう簡単には
出られない。

もう一生、
このままで
いい。

とすら
思う。

もう、人生に
疲れたのだ。

生きていく
こと自体に。

だから
誰に何を言われても、

もう絶対に
耳を貸さない。

頑なに
自分を閉ざす。

いじけ虫。

・・・

いじけ虫の
世界の中に
入ると、

何となく
守られている
感覚がある。

なるほど、

これがあるからこそ
出られなく
なるんだな。

しかも世界は
奥に奥に
続いているから、

外部から強引に
近づけば、

さらに奥へ
奥へと
逃げてしまう。

逃げることのみ
俊敏だ。

・・・

これまで
何度も何度も
私自身が
いじけ虫になった。

その都度、
何度も
自分の中では
我が人生を
捨てた。

捨てたのに
なぜだか
今は
ここにいる。

なぜあの世界から
抜け出せたかは、
わからない。

誰かに
救ってもらえたのか
とも思うのだが、

ちょっと
違うようだ。

・・・

ある時から
私は、

いじけようと
思っても
いじけられなく
なった。

その
寂しかったこと!

その
不安だったこと!

まるで
逃げる場所を
失ったように。

夢の中で、
かつてのいじけ虫の
私と会った。

彼は
何も見ていなかった。

目の前に
私がいるのに、
それに
気づいていなかった。

私は彼の
背中に
手を当てたのだが、

無反応だった。

・・・

心の中に
台風があった。

凄まじい勢いで、
心のすべてを
壊そうとしていた。

台風に呑まれ、
必死に
逃げた。

逃げることに
俊敏ないじけ虫も、

台風には
かなわなかった。

その台風は
自ら起こしたもの
だったから。

他者が与えた
ものではなく。

・・・

いじけ虫。

今、
私の目の前で
いじけているあなたを
見ていて、

やっと
わかったよ。

台風とは
唯一の
救いだった。

あなたは
台風を創り出そうと
しているのだな。

それは
キツいことだが、

それしか
ないのだな。

私に
あなたの台風を
創ることは
できないが、

台風の創り方
なら
わかるよ。

必要なら、
教えようか?

つづく

風の合図

止まっている。

静かに。

鼓動すらも。

目を閉じ、

耳のみに
神経を向けながら。

ほんのわずかな
風の音をも
聴き逃すまい、と。

世の中は
まるで
影絵のように

止まったまま。

ところが、

フッと、
まずは私の
胸の奥が
揺れた。

風はないの
だが、

恐らく
風の前兆では
ないか。

私は胸の
奥に
蝋燭を灯す。

すると、
小さく
その炎が
揺らめいた。

耳には
何も聴こえない。

このような
本当に些細な
始まり、なのか。

と、
驚き、半ば
あきれつつも、

私は大急ぎで
駆け出した。

たとえ、
0.0000000001だと
しても、

ゼロからの
変化としては
とてつもなく大きな
こと。

55年も
待ったのだ。

この風を
逃してたまるか。

つづく

風船の決意

子どもの頃の、

ついつい
手を離してしまった
風船が、

ぷかぷかと
空に浮かび、
上がっていく。

帰ってきてよ!
と叫んでも、
どんどん小さく
なっていく。

自分の大切な
ものが
自分の手を離れ、

消えていく。

あの体験、

喪失感を、
ふと、思い出す。

風船は
どこまで行って
しまったのかな?

いつまで
空中を
飛び続けたのかな?

最後は、
どうなったのかな?

私は同じ
地面に立ったまま、

想像するしか
ない。

想像するのだが、
私の中では
今でもあの風船は、

飛び続けている。

心の中に
残る思い出は、

その時の
映像のまま、

残り続ける。

永遠に。

あれから
50年近く経ち、

あの時の風船が
私に
語りかけてきた。

あれから
私は
あなたをずっと
空から見守り
続けてきたよ。

あの時、あなたは
決心したはずだ。

僕は
どこにも
飛んでいかない、

僕は
ずっと
ここに居続けよう、

とね。

そして
50年、
居続けたね。

何度も
飛んで行きそうには
なりながらも。

そうだね。

確かにあの時
私は
決心したよ。

あの時に
覚悟を決めた
のかもしれない。

ここ
で頑張ることを
ね。

あと
23年だね。

そうだね、
あと
23年だな。

短いね。

あぁ、
短いな。

できるかな。

やってやるさ。

つづく

行うは易し

ずっと
自分の踊りを
続けてきた。

自分の踊り
であることを
大切にしてきた。

そここそを
自分の拠り所と
してきた。

にも関わらず、

もはや踊ることが
できなくなる。

踊ろうと思っても
力が出なくなる。

道が閉ざされる
感じがする。

・・・ならば、
それは
自分の踊りでは
なかった
ということだ。

本当の踊りは
別にある。

それを
事実として
受け止めるのは
非常に
キツいことだ。

これまで
やり続けてきた
ことが、
すべて無意味である、
無価値である、

認めるような
ものだから。

しかし
そうではない。

これまで
ずっと
とことん
やり続けたが
故に、

自分の踊りでは
なかった
ということが
わかったんだ。

これは
とてつもなく
大きな一歩。

またゼロから
始めるなんて
無理。

そんな気力は
もう出ない。


思うかもしれないが、
人間は
そのようには
できていない。

自分の踊りでは
なかった。

・・・と
正面から
受け止める人には

その内側から
これまで
体験したことのない
パワーが
漲ってくる。

それこそが、
自分の本当の
踊りへと

導いて
くれるんだ。

一言で言えば、

“ゼロに戻る覚悟”。

言うは易し、
行うは難し、

だが、

実際に
行ってみれば、
思ったよりは
易し、
だ。

つづく

些細なことか?

顕微鏡で
観察するように、

物事の本質を
細かに
観る。

これまで
見ようとしなかった
細部まで、
とことん。

ミクロの見方は、
全体から見続ける
マクロの視点による
発想を、

根底から
覆すことがある。

細かなことなど
どうでもいい。

瑣末なことには
こだわるな。

という考え方も
あるが、

やはり私は
両方大事だと
思う。

ある人の
ほんの些細な
振る舞い。

例えば、
ちょっとした
一言。

ちょっとした
表情。

ちょっとした
空気感。

フッとよぎる
違和感。

・・・そういった
一瞬の小さな
現象に、

物事の本質の
すべてが
反映していることが
あるのだ。

自分自身に
対しても
そう。

自分のちょっとした
心の揺らぎ。

ほんのわずかな
感覚。
一瞬の。

そこにしっかり
目を留めよう。

そして
しっかりじっくりと
観察するのだ。

まるで
顕微鏡で
覗くように。

結構、
怖いだろ。

でも、
必要なことだ。

私達は
生きているの
だから。

一点に
全体は
現れる。

全体は常に
そのように
サインを
送り続けている。

ふと、

気になる
その一点を

観察せよ。

つづく

全力で投げる恐怖

緩めのボールを
投げてみる。

緩めにバウンド
してくる。

今度はかなり
強く投げてみる。

凄まじい強さで
バウンドする。

強く投げれば
投げるほど、

その2乗倍に
なるかと
思うくらいの

想定外の
激しさで
返ってくる。

こうなると
もう、
強く投げることに
恐れを抱いて
しまう。

自分の投げた
ボールを
自分で
受け止めることが
できるという
自信がなくなる。

そこをだね。

それでも
思い切って
投げてみて
ほしいのだよ。

受け取れなく
なるのを
覚悟でね。

これをしなければ、
自分の
本当の
力は

開花しない
のだよ。

もはや、
自分の範疇での
動きでは、

どうにも
進めない。

その進み方
では、
満足できない、

間に合わない。

だから
怖さを超えて、

全力以上で

投げてみる。

これでもう
自分が倒れたら
しょうがない、

という
意気で。

行けそうかい?

それが
あなたが本来
望んでいる
進み方なんだけどね。

つづく

マグマの湧く距離を

自分の中に
マグマのような
強烈なエネルギーが
新たに
湧き出ている、

ということに
自分で気づける
人は
本当に稀だ。

だから
側から観た上で
フィードバックしなければ
ならない。

それは
未熟、ということでは
なく、

人間とは
そのようにできている
と言った方が良い

私は思う。

自分では
自分のことが
わからない。

特に、
進化・成長という
視点では。

だからこそ
お互いが共に
向き合い、
切磋琢磨する。

お互いの
関わりの中で
進化・成長を
確かめ合う。

それが
人間本来の
在り方なのだろう。

私とは何か?

という
根本的問いに
関しても
同様。

その答えは、

他者を通じて
こそ、
初めて
観えてくる。

つまり
自己理解とは、
他者との関わりを
通じてこそ
成される。

だからこそ、
共に真剣に
進化・成長を
望む人と
進みたい。

自分が
誰とどのように
関わるか?

ちゃんと
選んだほうが
良い。

誰ともっと
近づき、

誰ともっと
離れるか?

しっかり
自分で
決めよう。

人生の調和の
ためには、

まずは、

人との
調和。

そのためには、
人との距離の
調和を
丁寧に決めること。

今、
至急に必要な
こと。

つづく

崩れ去りそうか

すべてが
崩れ去るような
感覚が来たら、

チャンスだ。

すべてが
崩れ去るままに
任せるといい。

委ねると
いい。

何も残らない、

となる恐怖が
あると思うが、

私達人間は

にはならない。

むしろ
崩れ去るものへの
執着によって、

自分で自家製の

を自分の中に
創り出してしまうのが
私達だ。

私達は
私達自身が創り出す

に、恐怖心を
抱いているわけだ。

これも人間の
一つの宿命かも
しれないが、

今はそこに
こだわっている
暇はない。

先に進まねば
ならない時だ。

一気呵成に。

すべてが
崩れ去る感覚は、
そのために
必須なもの。

むしろ
スムーズに自分は
進めているのだと
いう証、

くらいに
捉えるといい。

崩れ去る恐怖
よりも
進もうとする
悦びを
感知できる自分に
なろう。

すべてが崩れ去る
感覚は
今後の人生において
頻繁に
訪れるだろう。

それ自体を
楽しめる自分に
なれば、

強いよ。

つづく

ヒントはある

真っ暗な
雲の中から

一筋の
光が差し込む。

光の示す
地面の一点。

その印を
見逃すな。

それは
わずかなヒント
かもしれないが、

間違いなく
未来へと
自らを導いて
くれるもの。

雲に巻かれる
ことに
慣れてしまうと、

私達は
光を恐れる
ようになる。

本当はそこに
光が
差し込んでいるのに、

目を塞いで
しまう。

明るさが
怖い。

一点が
見えてしまうのが
怖い。

見えてしまえば
進まなければ
ならないから。

どれだけ
雲に巻かれても、

慣れてしまえば
そこが
コンフォートゾーン
となる。

まぁこのままで
いればいいや、
と。

慣れる、
というのは人間の
大きな力の
一つであるが、

本当に
慣れてしまって
良いのか?
今の状況に。

・・・と、
しっかり自分に
問わねばならない。

常にヒントは
ある。

自分が自分に
示してくれる。

ヒントを
見つめる。

しっかりと。

目を
逸らさずに。

今、最も
必要なことだ。

つづく

違和感ばかりだ

始めなければ
ならない
ことがある。

・・・という
焦りと共に

私は人生を
生き続けてきた
ように
今となって
思う。

そして実際、
いろんなことを
始めて
きたが、

そのどれもが
今一つ
しっくりこない。

どうして
しっくりこない
のだろう?

という問いと
向き合い、

また次の
何かを
始める。

その
繰り返し。

そうしている
うちに、
だんだんと
しっくりこなさ

減ってきた。

違和感が
減ってきた。

そして
ある時から、

ほぼ

合致できているな

思えるように
なった。

が、
やはり

ほぼ

なのだ。

現時点で、
私は
私の為してきた
ことの
すべてに対して

違和感を
抱いている。

こんな書き方
をすれば
誤解を生むと
思うので、

念のために
書いておくが、

少なくとも
私自身が
真本音で生きる
ようになってからは、

私は
私自身のすべての
選択と行動と

始めたこと

について
完全に満足
している。

間違ったことは
していないし、
もちろん
後悔もない。

特に
現在進行形の
活動のすべては

深い悦びと共に
進めている。

・・・という
前提の上での

違和感

だ。

つまりこれを
“真本音の違和感”
とでも
命名しようか。

この違和感
こそが
私のここからの
宝物となる。

これまでの
私自身への
違和感。

今の私への
違和感。

これらすべてを
私は
引き受ける。

だからこそ
次のステージ、

8月から先


進める。

この違和感こそが
大いなる
ヒントだ。

つづく

今、超重要な問い

何となく
薄々わかっては
いたが、

やはりそうか。

この7月は
非常に大事だ。

7月31日と
8月1日の間に

とても大きな
節目がある。

実在レベルでの
話だが。

この節目を
しっかり越える
ために、

今は次の問いが
超重要だ。

・・・

この7月末
までに、

何をやり遂げる?

何を手放す?

・・・

やり遂げるべき
こと、

手放すべき
こと。

しっかり
完了感が出る
まで。

ここを疎かに
してしまえば、

もう一度、
やり直し
となる。

そう決めている
人が
多いのだ。

やり切れば
次のステージへ。

できなければ
やり直し。

とても
わかりやすい
節目。

あと
半月だ。

つづく

歩けなくなったら

道が影って
くると、

一人であることが
身に沁みた。

結局、
誰もいないじゃ
ないか、と。

この道を行く
のは、
私一人なんだな、
と。

そうなると、
跪くしかない。

倒れ込む
寸前。

立つ気力は
ない。

じっと地面を
見つめながら、

そのまま
待つんだ。

次の気力が
湧き上がるのを。

意識は
心臓の音にのみ
向ける。

余分なことは
もう
考えないようにする。

自分が生きている
証。

その一呼吸、
一呼吸にのみ。

私は確かに
ここにいる。

こうやって
跪いている。

歩けなく
なっている。

でも少なくとも
生きている。

生きようとは
している。

その気力は
潰えそうだが。

ポンっと、
私自身から
意識が離れる。

上の方から
自分を
見降ろす。

跪いている
小さな私。

あぁ、
可哀相に。

あんなに
ボロボロなのに
周りには
誰もいない。

助けてくれる人は
いないものか。

いないよな。

じゃあ、
自分で立つしか
ない。

気力がないなら
待つしかない。

そしてまた
私に
戻る。

戻ったら
孤独感が
溢れてくる。

苦しいな。

辛いな。

壊れそうだな。

でも
このまま。

何もしない。

ただ、
待つだけ。

「待つ」
というのは、
能力なんだよ。

待てるか
どうか。

ちゃんと待てば、
何とかなるさ。

もう、
前を見ることは
やめる。

足元だけで
いい。

足元の
砂粒を数える。

それで
いい。

そうやって
待つのだ。

「待つ」というのは
能力だ。

私の最大の
能力の一つだ。

抗わない。

無理に
動かない。

無理に
歩かない。

ただ、

今は待つ。

つづく

憧れだったよ

私の大好きな
あの人が
亡くなった。

私にとっては
憧れで
あり、

ファミリーでも
あり、

ある種の
師匠でもあり。

この世に
存在がある
という
そのことだけで、

私には
励みになった。

でももう、
いないんだな。

心には
ポッカリ
空虚があるよ。

でもやはり
ずっと
一緒にいるよ。

言葉にならない
語りかけ。

言葉にならない
キャッチボール。

ツーン、
トツ、トツ、
と。

私を
慰めてくれて
いるのか。

寂しいな。

しかし
こう言うと変だけど、
悲しみは
ないんだ。

それよりも
一種の
祝福感のような
ものがある。

あなたとの
繋がりだ。

ツーン、
トツ、トツ、
と。

耳の奥に
響くよ。

胸の内まで
伝わるよ。

あなたも
悲しんでは
いないようだ。

それは
何より。

ただ、
言葉のやりとりをね。

実際の声を
使ってね。

身近でね。

どんな会話に
なるか。

ここからの
私とさ。

ここからの
私だからこそさ。

ここからの
あなただからこそさ。

してみたかった
な。

同じものを
目指していた。

同じ目的で
生きていた。

まったく異なる
人生だった
けどね。

少なくとも
私は
あなたを見つめて
いた。

目の前にね。

常に
ね。

夢の中では
話をしてみよう。

それくらいは
いいだろ。

つづく

ずっと一緒にいたよ

その時、
風が吹いて
きたな。

一見、涼しい
けれど、
しかし
とてもあたたかい。

あたたかい
けれど、
ねっとりしている
わけではなく、

さらさら。

風に吹かれて
いるうちに、
意識がなくなる
ようだった。

ひょっとすると
眠っていたか。

会話に
あまり記憶が
ない。

それくらい
懐かしい感じ。

ずっと初めから
一緒にいた
感じ。

生まれた時
からね。

あまりに
自然だと
いるのかいないのか
よくわからなくなる。

その人も
私も。

別の存在
なのか、
実は、一つ
なのか、

よくわからなく
なる。

そのうちに
眠ってしまう。

もちろん
魂は起きている
のだが。

心が居心地
良過ぎてね。

いや、
逆か。

魂が
眠ってしまった
のかな。

風の波長は
よく知っている
それだ。

いつもの
それ。

ずっと
吹いていたよ。

この出会いの
前からね。

ずっと一緒に
いたよ。

ようやく
出会えたけどね。

つづく

小開花

ちょっとした
開花だ。

なんという
ことはない。

何がどう
変わったかも
わからない。

ただ、
一つ、
割れた。

暗黒のような
亀裂の
その向こうから、

何かが
出てきた。

開放・解放
された。

それが何かを
確かめる
間もなく、

それは
私に
溶け込んだ。

何も
変わらない。

しかし確かに
わずかに
開花した。

今は
何の評価も
判断も
解釈もなく、

このままで
いよう。

ちょっとした
開花。

しかし
重要な一歩。

つづく

力まなくていい

一見、
岩のように
固い意志でも、

実は中身は
空洞だったり
する。

人は見かけに
よらないが、

人の心も
見かけには
よらない。

一概に
決めつけてしまっては
ならないが、

常に前向きさを
前面に出し続けている
人は、

案外、コロッと
落ち込む。

それよりも
淡々と
今、やるべきことを
一つ一つ
丁寧に行なっている
人は

様々なことが
長続きする。

信用できる。

決めつけは
いけないが、
人間の傾向として
そういったものは
確かにある。

だから、
あんまり、
無理すんな。

・・・と
よくアドバイス
する。

もっと
普通に進めば
いい。

あなたのまま
でいいでは
ないか。

ただ、

やる、と
決めたことを
ちゃんと
やる、

・・・だけ。

力む必要は
ない。

肩の力は
抜いたままで
いい。

何も難しい
ことはない。

ただ、
そのまま、

やる

のみ。

一つ決めて、
一つやる、

のみ。

つづく

掬いようがない

自ら地面に
穴を掘り、

その中に
入り込み、

苦しい!
出られない!


悶える。

こんな穴に
落ちてしまった
から、
私はもう
進めない!


嘆く。

でも当人は
しっかり
自覚はできていて、

この穴は
自分が
掘ったものだし、

自分から
落ちたものだ、
と、

そういった
選択を
自分でしながら
苦しんでいる、

非常につまらない
生き方を
自分はしている、
と。

そこまで
わかっていながら、
その生き方を
変えることが
できない。

それが私の
宿命だと、
変な風に
開き直る。

これを一生
続けるのだ、
私は、


うそぶく。

そうしながらも
そんな
アホなことを
している自分を

誰よりも
自分自身が
ずっと
責め続けている。

宇宙全体から
してみれば、
それは
些細なお遊びに
過ぎないだろう。

しかし、

人は
宇宙そのもの
でもある。

内と外は
同じ。

内と外の
境目が

“人”

である。

だからもう、
そんなアホな
ことを
し続けている

余裕はない。

それに、
そういった人達を
側から
掬い出そう
とする

時間も
エネルギーも

もはや
なくなってしまった。

私自身が
邁進しなければ
ならない。

でないと、
間に合わない。

だからもう
“コーチ”でいられる
時間は、

ここからは
極度に
減るだろう。

自分で掘った
穴ボコだ。

充分に
手加減も
しているだろう。

出ようと思えば
いつでも
出られるだろう。

もう、
自らの意志で
出てほしいな。

私は
先に行くよ。

つづく

小さき、が故に

小さな存在
だな。

この広大な
大地の中で。

あのような
小さな

にしか過ぎない。

そのような
小さなものが、

大志を
抱いている。

身の程知らず。

・・・と
一言で片付けたい
ところでも
あるが。

しかし、
存在とは

小さきが故に
強い。

とも言える。

大きな存在が
大志を抱くのは
当たり前。

小さきものの
大志だからこそ
価値あること、
・・・か。

その証拠に、

が聴こえる。

“世界”
の鳴らせる
音だ。

あの、
小さきものに
共鳴している
ようだ。

小さき
発信源。

それが
“世界”を
わずかだが
震わせる。

しみじみと
その波長は

消えゆくほど
だが
間違いなく

“世界”の果て
まで
届いているでは
ないか。

ならば私も
その小さき波長に
共振して
見ようか。

どうするか、は
そこからだ。

つづく

無意味だろうが

渾身の力で
地面を叩く。

当然、
それくらいで
この大地は
揺らいだりしない。

自分の手が
痛いだけだ。

それを
わかっていて、
それでも
渾身の力で
地面を叩く。

揺らいでいない
ように見えて、
しかしそれでも
微小な振動は
伝わっているのだ。

それを信じて
叩き続ける。

手が腫れて
もうこれ以上は
無理、
というところまで。

普通に頭で
考えて、

こんなことで
効果が出るとは
思えない、

ということで
あっても、

それでも
真本音でやろう
と思えるなら、

私は
やる。

馬鹿になって。

これ以上ない
真剣さで。

根拠のない
行動。

理由のわからない
行動。

理屈で納得
できるかどうかは
どうでもいい。

ただ、
「やる」

自分が自然に
持つ意思は

ただ、
私自身が
大切にしたい
だけだ。

本当に
無意味なことも
あるだろう。

しかしそれが
どうした?

といった
ふてぶてしさが
今の私には
あるようだ。

自分のことなのに
少し
頼り甲斐を
感じるよ。

で、
それはそれと
して、

一見、無意味な
ことを
私は
力の限り
やり続ける。

今日も
明日も。

つづく

早く

向き合う
怖さ、

というのが
ある。

きっと
誰だって
ある。

向き合う前は
怖いものさ。

自分を晒す
のは、

億劫な
ものさ。

でもいざ
向き合えば、

その瞬間から
楽になる。

この人と
このような繋がりが
あったのか、と。

その、深さに
愕然となる。

なぜもっと
早く・・・。

というのが、
ほとんどの人の
後悔だ。

後悔
先に
立たず。

・・・という言葉の
真逆を
言うようだが、

これこそ
私は
この言葉の
本質だと
思っている。

熟考して
止まるより、

早く
向き合え。

つづく

還った

吹き荒ぶ
風の向こうに、

霧の向こうに、

黒い影が
ある。

巨大な
山のようだ。

ところが
そこに近づけど、

何もない。

小さな
せせらぎのような
川が
一本、流れている
のみ。

ここには
山があった
はずだ。

その呟きは
ただ
せせらぎに
消えていく。

その流れに
足を浸して
みる。

・・・と、
ドクンという
強い衝撃のような
ものが
私の胸を打った。

山、だ。

山、は
確かにここに
ある。

目には
見えないのに。

そうか、
やはり、
ここに、
あったか・・・。

およそ
人間という存在の
持つ
ありとあらゆる
感情が

内側から
一気に解放され、

滝のような涙が
私の目から
溢れ続けた。

川のせせらぎに
私は
仰向けに
倒れ込む。

山、と
共にある。

と、
さらにわかり、

さらに、
泣いた。

あまりに
時間が
かかり過ぎたよ。

でもやっと
戻って
来れたんだ。

つづく

世界の軸

天と地を
結ぶ軸があり、

その中に
私がいる。

世界の軸の
中に
この身を
委ねている。

そんな感覚に
初めて
見舞われたのは、

もう随分前の
ことだ。

20年、・・・までは
行かないだろうが。

それを
実感したのは、
まさに
研修の真っ最中。

それは、
多くの皆さんの
前に立ち、

逃げ場のない
状態の中で、

皆さんの人生に
大きく影響を与える
話をしなければ
ならない、

という

今、思えば
当時の私が
よく耐えられたな
と感じる
シチュエーションだった

・・・からこそだろう。

追い詰められた
状態で
それでも自分の
最大以上の力を
出さねばならない時、

一種の開き直り
のようなことが
起きる。

いわゆる
踏ん切りがつく、
とか
覚悟を決める、
とか。

そういった
ことだろうが、

そんな時にこそ
私は
天地に繋がる
軸を
感じ取ることができた。

その感覚こそが
私を
救ってくれたのだと
思う。

でなければ、
私はとうの昔に、
体を壊し
倒れていただろう。

この仕事を
こんなにも長い間、
続けることは
できなかっただろう。

まぁ実際、
半分、体を壊して
しまった時期は
あったのだけど。

世界に
軸はあり、

それは
「摂理」とも
言えるもので、

それを普段から
感じ続けることが
できれば、

私達はもっと
楽に
生きることができる。

もっと
調和して
生きることができる。

世界に
軸はあり、

私達は一人ひとり
誰もが
その軸を

自分の軸として
持ち備えて
いる。

つづく

井戸を掘る人生

井戸だな。

ここを
掘ればいい。

どこまでも
掘ればいい。

途中で
諦めるかも、


思うなら、

最初から
掘らない方が
いい。

例え、
永遠に掘り続ける
ことになっても
構わない、

それでこの
人生が
終わってしまっても
構わない、


思えるなら
掘ればいい。

掘る井戸を
変えない、
というのは

執着
ではない。

なぜなら人は
人生で
たった一つしか

井戸を
掘れないから。

実は、
どこを掘るかも、
それほど
重要ではない。

大切なのは、
一つを
決めること。

ここを掘ると
決める、こと。

どこを掘れば
良いか?を
人に訊く人が
いるが、

もしくは
情報を集めて
判断しようと
する人もいるが、

それでは
ダメだ。

それでは
残念ながら
長続きしない。

それは
どこまで言っても
他者による
答えだからだ。

自分の答え
ではないからだ。

さて。

掘る、と決めたら
とことん掘ろう。

毎日毎日
完了感が
出るまで。

毎日毎日だ。

それができる人は
内側から
パワーが
湧き続けるように
なる。

井戸はね、
パワーの源
なんだ。

つづく

嵐は去る

昔、大学2年の時、
冬山で
大嵐の中で
閉じ込まれてしまった
ことがある。

まるで台風の
よう。

数人のチームの
登山だったが、
我々はテントを張り、
その中でじっと
嵐が止むのを待った。

が、
その気配がずっと
ない。

約2日、
閉じ込められた。

3日目も、
やはり凄い状態。

我々は
テントを畳んで
逃げることを考えた。

しかしテントから
出た瞬間に
テントが飛ばされた。

必死になって
テントに食らいつき、
なんとかテントを
地上に降ろした。

「これはダメだ」

もう一度、我々は
テントの中に
入ろうとした。

周りは暗いガスに
覆われている。

と、
次の瞬間だった。

今でもあの展開は
信じられないなと
思うのだが、

急にピタリと
風が止んだのだ。

本当に、急に
ピタリと。

そして、
暗く覆われていた
ガスも
一瞬で晴れた。

宇宙を思わす
青空と、
銀色に輝く
3000m級の冬山達。

我々は
「おっしゃ〜〜!」
と大声を張り上げた。

我々は
夢中になって
出発の準備をし、
予定通り
山頂を目指した。

そこからの時間は
まるで
夢のようだった。

・・・

あの感覚。

これが今も
私の胸に大きく
残っており、

だから私は
自分の内面において
嵐に見舞われても、

嵐から逃げずに
必死に嵐を
感じ続けながら、

待つことが
できた。

嵐は必ず
過ぎ去る。

これが
自然の摂理だ。

嵐は必ず
過ぎ去る。

強烈な嵐で
あればあるほど、

それをしっかり
感じ続けよう。

逃げるのでは
なく。

それにより
ある瞬間に
一気に次のステージに

我々は
ジャンプアップ
できる。

嵐の後の青空は、
これまでに
見たことのない
青空だ。

つづく

重要な問い二つ

今回は
二つの問いを
投げよう。

このタイミングで
とても大切な
問いです。

・・・

あなたの「人生全体」は
今のあなたに
何を語りかけている?

今、何をやめ、
何を始める?

・・・

「人生全体」とは
もちろん、
過去の人生
今この瞬間
未来の人生
すべてを含む
「人生全体」だ。

「人生全体」と
語り合ってみて
ください。

つづく

未来で待ってる

実は、
ある重大な
人生の決断をして、
この7月1日で
ちょうど30年
経った。

あの決断が
なかったら、
その後の私の
あらゆる出会いは

なかっただろう。

そして当然、
今の私は
ここにはいない。

どころか、
この世にはもう
存在していない
だろう。

それだけの
重要な決断。

どんな人にも
そういった決断は
あるだろう。

よくあのような
勇気のある
決断ができたもの
だと、

30年前の私を
私は
褒めてあげたい。

・・・と、
ちょうど30年経って
初めて本気で
思えたのだ。

今でも明確に
思い出す。

あの決断に
向かう私の
傍らに、

決断に向かって
歩く私を
取り囲むように、

“みんな”
がいた。

一瞬だが、
私は“みんな”の
気配を感じた。

あの瞬間の
おかけで、
私は最後の一歩を
踏み出せた。

あの感覚は
ずっと
覚えていた。

でも、今日
初めてわかった
ことがある。

“みんな”とは、
今、私の周りにいる
みんな、だ。

そう、
あの時の私から
してみれば、

未来に
出会うべき人達。

みんなが、
確かに
あの時、私の
周りにいて、

私を一押し
してくれた。

私達は
誰もが、
“みんな”と共に
いる。

“みんな”は
待っているんだ。

“出会い”
をね。

みんな、
そうだ。

それが
私達だ。

つづく

すごいのが来そう

自分の中に
明るい光が
観えた時、

すぐさま
それと
一体化する。

すると
必ず何か
浮上する。

その光が
まるで何かの
出口のように。

扉が
開かれるかの
ように。

出口の向こうに
あるのは
実在の世界。

そこには
あらゆる存在の
本体が
あるのだが、

私達のこの
分離の世界で
最も必要なものを
選んで

届けて
くれる。

私は、
本当に必要な
ものしか
受け取らない。

そう決めることが
できたら、
むしろ
実在からは
より多くのものが
届くようになった。

それらは
一見すると
意味はまったく
わからない。

わからないが、
いつしか
私はそれに
素直に
動くようになった。

意味が
わからなくても
動く。

勇気の要る
ことだが、
もう慣れた。

恐らくで
あるが、

もうすぐ私は
何かまた
とんでもないものを
受け取るだろう。

予感が
するのだ。

受け取ったら
まずは
人間らしく
びっくりして
恐れるだろう。

意味が
わからん!と
わめくだろう。

で、
そうした上で、

人間らしい
可愛らしさを
我ながら
味わった上で、

きっとそのまま
動いて
行くのだろうよ。

つづく