真本音度

真本音度と集中力

 

集中力は、

とてつもなく

大事だ。

 

いざという時に

100%の集中力を

発揮できる

自分でいること。

 

もし

その瞬間、

100%発揮できれば、

 

人生の道が開く

決断ができる。

 

しかしもし

その瞬間、

100%が発揮できな

ければ、

 

たとえ

99.9%発揮できた

としても、

 

本来の決断は

成されない。

 

つまり

人生展開が

そこから

180度変わってしまう。

 

たった

0.1%の差が

人生を左右する。

 

これが

私達の生きている

この人生だ。

 

真本音度を

高める、

とはつまり、

 

100%の集中力を

出せる自分の

度合いを高める

ということだ。

 

だから当然の

ように、

人生は調和していく。

 

最初は、

100%の集中力

というと

難しいように

思うだろう。

 

でも、

慣れれば、

印象は

真逆になる。

 

100%でない

集中力など

気持ち悪くて

しょうがない。

 

100%でない

集中力を発揮する

方が

実は我々人間には

不自然で

居心地悪く

耐えられないことである、

ということが

だんだんわかってくる。

 

100%の集中力

とは、

言葉を換えれば、

 

自然体

 

ということだ。

 

それは無理に

発揮されるもの

ではなく、

 

自然に

そうなるもの。

 

自然に

戻るもの。

 

真本音度を高める

とは、

自然に戻る

という

ことなんだ。

 

つづく

 

願いは叶うか?

 

こんなこと

叶うわけが

ないよな。

 

・・・と

思うことでも、

 

それが自分の

真本音からの願いだと

思うなら、

 

大事にすると

いい。

 

私は

どれだけ現実離れを

していても、

 

真本音の願いは

いつも

いつ何時も

大事にしている。

 

だからと言って

叶うかどうかは

わからない。

 

でも、

その願いを

誠実に抱き続けている

自分だからこそ

 

為すことのできる

行動や振る舞いは

確かにある。

 

行動や振る舞いが

変われば、

現実が変わり

始める。

 

その積み重ねに

よって、

 

当初描いた願いが

思いもよらぬ形で

叶う、という

体験をいくつも

させていただいた。

 

いや、

 

今、振り返れば、

私が本当の本当に

願っていることは、

 

気がつけば

すべて

叶っているかも。

 

私は預言者では

ないし、

預言者でありたい

とも思わない。

 

それどころか、

未来がまったく

わからないことを

心から

楽しんでいる。

 

でも、

真本音の願いは

どうも

必ず叶うようだ。

 

自分自身の

真本音度を

高め続ける人生を

進むならね。

 

つづく

 

真本音度と混乱

 

激流に呑まれ

大混乱に

なっている。

 

右も左も

わからない。

 

上も下も

わからない。

 

自分がまったく

わからなくなる。

 

その状況の

中で、

 

いや、

 

その状況の

中でこそ、

 

とてつもなく

静かな自分が

現れる。

 

それは

自分自身を

じっと

見つめている。

 

何も言わず。

 

その静かな自分の

目と

対峙する。

 

じっと

見つめ合う。

 

スーッと

何かが

抜けていく。

 

余分な混乱が

抜けていく。

 

余分な混乱が

抜けたとしても、

 

それでも

混乱は残る。

 

もはやそれは

余分なものではなく、

今の自分にとって

 

最も必要なもの

だ。

 

この混乱があるから

こそ、

 

次のステージに

行けるのだ。

 

それが確信として

わかるので、

 

あとはもう

委ねればいい。

 

混乱に

身を任せる。

 

我を失えば

いい。

 

大混乱。

 

それを

味わい尽くす。

 

必要な混乱とは

味わい尽くせる

ものだ。

 

我を失いながら、

どんどん

自分が鎮まっていく。

 

そして、

もうすぐ

生まれるのが

わかる。

 

新たな自分

が。

 

より

本来に近づく

自分が。

 

混乱は

人生に必要な

ものだ。

 

しかし

余分な混乱は

要らない。

 

この混乱は

余分なものか?

 

必要なものか?

 

真本音度が

高まれば、

その判別が

 

簡単に

つくんだよ。

 

つづく

 

真本音度と感性

 

激しい流れだな、

思う。

 

この流れに

飛び込むのが

私のすべきこと

だろうか?

 

ちょっと

迷ったが、

 

でも瞬時に

答えは出た。

 

飛び込むんだな、

と。

 

では、

いつ?

 

今でしょ。

 

しょうがない。

 

じゃあ行こう。

 

・・・

 

飛び込んだ

後に

わかるのだ。

 

あー、

あのタイミングを

逃したら、

「次」はなかったな、

と。

 

あのタイミングこそ

絶妙。

 

あれが最善であり

最高。

 

おかげで

今は

とても調和している、

と。

 

・・・

 

飛び込めば

すぐにわかる、

いろんなことが。

 

でも、

 

飛び込まねば、

何もわからない。

 

ずっと

迷ったまま。

 

本当にここに

飛び込めば

良いかどうか?

 

そして

いつ飛び込むか?

 

真本音度を

高めるということは、

 

この感性を

養うということだ。

 

この感性が

研ぎ澄まされれば、

 

人生は

楽しくてしょうがなく

なる。

 

つづく

 

真本音度を低める口癖

 

自分が普段、

何気なく

喋っている口癖

意識を向けて

みよう。

 

とは言え、

それは

自力で自覚するのは

とても難しい。

 

なので

周りの人達に

訊いてみるといい。

 

「私っていつも

どんな口癖がある?」

 

と。

 

結構、

思わぬ返答が

あるかも。

 

それら口癖を

できるだけたくさん

見つけよう。

 

そして

それらをメモ

する。

 

列挙された

口癖のうち、

 

「これは私の

真本音度を低く

してしまうなぁ」

 

と思うものを

選ぼう。

 

そしてその

口癖を

やめるための

努力をしよう。

 

その最も簡単な

やり方は、

 

①その口癖が出るのを止める

そして、

②別のセリフをつぶやく

 

という方法だ。

 

口癖を自覚できれば、

①は比較的

容易にできる。

 

あ、出るな

と思った瞬間に

つぶやかないように

止めるだけだ。

 

止めたらすかさず、

②をやる。

 

そのためにも

あらかじめ

②のセリフを決めておく

ことだ。

 

例えば、

 

「疲れたなぁ」

という口癖を

やめたいとする。

 

その場合

②の口癖としては

例えば、

 

「ちゃんと休もう」

 

みたいな

感じにする。

 

ちなみに、

「疲れたなぁ」

を止めるために

「私は元気!」

みたいなセリフを

用意するのは

不自然だ。

 

ちょっと

無理があるでしょ。

 

そうではなく、

できるだけ自然で

かつ

自分の真本音度を

下げないものに

変えるわけだ。

 

そんな感じで

一つ一つ

口癖を自分で

改善することで、

 

想像以上に

 

私達のエネルギーは

高まるんだよ。

 

つづく

 

真本音度の高い物たち

 

あらゆるものは

人の意識の反映

なので、

 

人だけでなく

「物」にも

 

真本音度は

ある。

 

パソコンも

机も

洋服も

車も

鉛筆も

ノートも

洗剤も

カーペットも

 

あらゆる

物たちに。

 

真本音度の

高い物は

やはり

それだけで

心、というよりも

魂が癒される。

 

癒されない

までも、

スッキリした自分で

いられる。

 

テレビの番組

とかも

そうだね。

 

真本音度の

高い番組もあれば

低い番組もある。

 

食べ物も

そう。

 

飲み物も

そう。

 

まぁあまり

敏感になる必要は

ないが、

 

どうせなら

真本音度の高い物に

囲まれた方が

いい。

 

「そんなこと言ったら

今の世の中、

真本音度の低い物

ばかりでは?」

 

と思う人も

いるかもしれないが、

 

そうでもないの

ですよ。

 

例えば、

コンビニで売っている

食べ物でも

真本音度の高い物は

いくらでもある。

 

身近に使う物達は

結構、高い物は

多い。

 

だから

真本音度の高い物たちに

囲まれるのは

 

思う以上に

簡単だ。

 

価格の高いものが

良い、

ということでもない。

 

大切なのは、

 

その「物」に

ただただ純粋に

意識を向けたときに、

 

何の解釈も

なしに、

 

自分がそれを

どう感じるか?

 

すべて。

 

「いいな」

と感じれば

それを選べばいい。

 

単純なこと。

 

自分の

感性を信じる

 

ということね。

 

で、

実際にそれを

使ってみて、

また

自分がどう感じるか?

試せばいい。

 

世評や一般的認識

惑わされず、

 

自分の感性と

直観で

 

自分の身のまわりの

物たちを

 

選び直して

みよう。

 

つづく

 

真本音度が高まると

 

真本音度が

高まると、

どんな良いことが

あるか?

 

という答え方は

これまで

いろいろしてきた

のだが、

 

最近、

とっても腑に落ちる

良い表現が

出てきた。

 

まぁ当たり前の

答えなのだが。

 

まず、

 

真本音度が

高まると、

 

あらゆることが

想像通りに行かなく

なる。

 

それはもちろん

悪いことではない。

 

自分の想像を

超える展開に

なるのだ。

 

それはそうだ。

 

これまでの自分

という

範疇を超える

生き方になっていく

わけだから。

 

その前提の

上で、

表現すると、

 

真本音度が

高まることで、

 

『楽しさが

すべてを超える』

 

という

日々が始まる。

 

この表現。

これが今は

最もピンとくる。

 

「すべてが楽しくなる」

のでは

ないのだ。

 

いつも書いている

通り、

私達は人間なので、

 

痛いことは

痛い!

 

苦しいことは

苦しい!

 

と感じることが

大切だ。

 

現実はもちろん

楽しいことばかり

ではなく、

辛いことも

たくさんある。

 

それは

真本音度が

高まっても、

何ら変わることはない。

 

ただ、

 

あらゆることは

そのままに、

 

その上で、

 

『楽しさがすべてを超える』

のだ。

 

想像通り

いかない。

 

痛いものは

痛い。

 

でも、

そうなる。

 

ということさ。

 

そうなれた

時の

人の強さと深さを

私はずっと

観てきたし、

 

味わってきた。

 

そういう人が

もっともっと

増えてほしい。

 

だからこそ、

私は

私の範疇を

 

現実レベルで

 

超えるための

活動を

本格スタートさせる。

 

私自身が

真本音度の高い

日々を、

 

さらに

満喫するだろうよ。

 

つづく