私の本当に望む人生とは何だろうか?
この問いにすぐに答えられる人は
稀です。
時々、すぐに答える人と出会いますが、
その答えは、大概、浅いです。
そんなに簡単に答えられる問いではないですね。
でも、
この問いに真摯に向き合うことは
本当に重要なことだと、
私はこの仕事を通じて、深く実感しています。
私の本当に望む人生とは何だろうか?
答えがわからなくとも、
その答えを真摯に見つけようとする。
そういった人には、独特の空気感が
現れます。
その空気感をシンプルに表現すると、
「明るい」
「軽い」
「あたたかい」
となります。
逆に言えば、
その問いと真摯に向き合ってない人の空気感は、
「暗い」
「重い」
「冷たい」
となります。
人は、自分の人生と真摯に向き合う時に
本来の魅力を発揮します。
私の本当に望む人生とは何だろうか?
その答えを見つけようとしている人は、
「真剣」です。
そして真剣な人は、
明るく、軽く、あたたかく
なります。
それは行動ベースの話ではなく、
空気感の話です。
自分の人生と向き合わない人は、
「深刻」になります。
深刻な人はすぐに、
暗く、重く、冷たく
なります。
あなたは、
真剣な人でしょうか?
それとも
深刻な人でしょうか?
平井さんは、
深刻な人から、真剣な人へと
変化したのです。
それにより、
彼の醸し出す空気感が変わりました。
ただそれだけのことです。
では、「真剣」とはどういうことでしょうか?
これに対しては私は
明確な答えを持っています。
真剣とは、
「自分の真本音に素直に生きること」
です。
ということは、
「自分の真本音を無視して生きること」
により、人は深刻になっていきます。
真剣な人生は、
明るく、軽く、あたたかく
なっていきます。
深刻な人生は、
暗く、重く、冷たく
なっていきます。
自分が今この瞬間に創り上げている人生がそのまま
その人の空気感となって現れます。
ただそれだけのことです。
そして人は、
真剣に生きる自分を
喜びます。
深刻に生きる自分を
蔑みます。
自分を蔑み続けている人が
自分自身を本当の意味で信頼することは
不可能です。
そういった人は、
自分の中に「見たくない自分」が生まれると、
間違いなく、その自分にフタをします。
見たくない自分。
例えば、
怒りまくる自分、
人を憎む自分、
すぐに揺れる弱い自分、・・・。
そういった自分にフタをして、
見たい自分だけを見るようになります。
見たい自分。
例えば、
前向きな自分、
エネルギッシュで強い自分、
人を愛する自分、・・・。
見たい自分は居心地がいい。
見たくない自分は居心地が悪い。
だから、居心地の良い自分だけを承認します。
そして、
「私は何があっても前に向かうんだ」
と言います。
「私は、どんな時もプラス指向だ」
と言います。
そして明るい表情を作り、
元気を作り、
たくましさを作り、
進みます。
そして、
それができている自分に
自信を持ちます。
自分はすごいなぁと、
自信を持ちます。
しかしその自信とは裏腹に、
心の奥底ではどんどん不安が増します。
深刻さが増します。
自信のある自分だからこそ、
立っていられる。
でもこの自信がなくなってしまったら、
自分はどうなるのだろう?
・・・そんな深刻さが日々、増していきます。
何としてでも、
自信のある自分でなければならない。
この自信を失ってはならない。
そんな恐怖感が、心の奥底に
溜まり続けます。
その恐怖感を消すために、
さらに前向きな自分を作ります。
・・・そんな人が多過ぎる!
そんな人が世の中を牽引している。
その現実が、私はとても悲しいです。
自分の良き部分のみに光を当て、
自分の見たくない部分にはフタをする。
それを前向きとは、言えません。
本当の前向きとは、
自分のすべてを受け止めること。
自分のすべてを見つめること。
その上で、それでも前に向かおうとすること。
それが真の前向きだと私は思います。
そしてそういった人は例外なく、みんな
明るく、
軽く、
あたたかく、
なります。
もっともっと自分の心と
向き合えばいいのに。
もっともっと、あるがままの自分を
見つめればいいのに。
そうすれば、
もっと楽に進めるのに。
そうすれば、
もっと望む現実を創り出せるのに。
・・・私はそう思うのです。
人は本来、
真剣です。
真剣に生きることが
楽しいのです。
真剣に生きる楽しさを
思い出すだけのことだと
私は思うのです。
それが私のサポートのすべてです。
真剣になることの楽しさを
思い出せば、
人は皆、(・・・そうです、全員です)
びっくりするような行動を起こし、
現実を創り上げていきます。
そんな時私はいつも
人ってやっぱり凄いんだなぁ、
と感嘆します。
つづく