あきらめ

今のままでいいわけないだろう

 

人には弱さがあっていい

と私は思っているし、

 

弱さのあるところが

人間味であるとも

思っている。

 

弱さがあるからこそ

できることがあるし、

 

弱さがあるからこそ

切り拓ける境地すらある。

 

しかし。

 

それは

「あきらめる」

こととは違う。

 

「弱さ」

「あきらめ」

対極にある

とさえ私は思う。

 

・・・・・・

 

自分の弱さを

本当に知り、

 

それを

受け入れ、

 

それを

時には反省する。

 

そんな人は

とても強い人だと

思うし、

 

実際にそういう人は

最大速で進むことが

できる。

 

逆に、

弱さを認められない人ほど、

 

止まる。

 

そしてさらに、

止まっていることを

ごまかす。

 

そして最後は

あきらめる。

 

何をあきらめるか?

 

「人生を」

である。

 

自分の人生を

あきらめてしまう。

 

あきらめたからと

言って、

人生が終わるわけでは

ない。

 

その人は

「人生をあきらめ」

ながら

人生を生きている。

 

そんな人が

今のこの世は

多過ぎはしないか?

 

・・・・・・

 

私の企業サポートは、

本質的に観れば、

 

人生をあきらめて

しまっている人達に

まずは、

「あきらめるな!」

と必死に訴え、

 

あきらめを

取り除くことから

始まっている。

 

・・・ということではないか、と

今日、気づいた。

 

あきらめている人達を

あきらめないように

するのだから、

 

マイナスからの

スタートだ。

 

しかし

そんな企業が

8割以上なのではないか。

 

出会った頃から

「あきらめていない人達」

のみの集団となっている

組織を

 

私はまだ

数えるほどしか

知らない。

 

もちろん。

 

あきらめていることを

本人達は

自覚していない。

 

だからこそ

タチが悪いのだ。

 

これが今の

世の中だ。

 

残念ながら。

 

・・・・・・

 

しかし、

今の若者達は、

 

特に

20代以下の人達は、

 

あきらめていない

人の割合が

明らかに多い。

 

一方で、

ここまで社会を

引っ張ってきた

大人達は

あきらめてしまっている人の

割合が圧倒的だ。

 

つまり。

 

あきらめた人達が

あきらめていない人達を

迎え入れて

教育と育成をしている。

 

これが今のこの世の

実態だ。

 

だいぶ

ドギツイ書き方を

しているな、今日は。

 

でも

はっきり書くと

そうなのだ。

 

これを私は

変えたい。

 

もちろん

「変えたい」

などと言うのは

傲慢だと知っている。

 

それでも

私は

現場で

実態を

ナマで

毎日

感じ続けて

いるのだ。

 

これくらい

言っても

良いだろう。

 

何とかせんと

いかんだろうが。

 

・・・・・・

 

私は人間なので、

人間として

できることしか

できない。

 

いっそのこと

魔法使いにでも

なりたいと

ほぼ毎日思っているが、

 

思っているだけでは

何も始まらないので、

毎日、

できる最大を

し続けている。

 

おかげさまで

私の周りは

「あきらめない人達」

ばかりになってきた。

 

でもここで

満足していては

ならない。

 

もっともっと

この輪を

広げねば。

 

本当のことを言えば、

私は自分の能力の

小ささを

毎日、不甲斐なく

思っている。

 

もっともっと

私に力があれば。

 

でも私の望む力とは

それはもう

「人間の力」ではないような

気もする。

 

「人間の力」でない力で

この場を乗り越えたとしても、

そこに

意味はない。

 

ということも

よくわかる。

 

だから

人間として

がんばるしかない。

 

あきらめてはいない

若者達を、

 

あきらめた大人に

変貌させてしまう、

 

そんな企業を

私は減らしたい。

 

だから私は

今日も明日も

私の持てる最大の力を

振るう。

 

あーチクショー、

もっと私に力が

あればなぁー。

 

つづく

この人のことは、あきらめよう

木村さんは、西畑さんのエンティティを

受けていた。

(→前回記事)

 

それがわかった私は西畑さんと面談

しました。

 

彼としっかり向き合うのは初めてでした。

 

向き合った瞬間、

「あぁこれは、ダメだ」

と思いました。

 

彼は、エンティティの塊でした。

 

しかし以前に、彼を遠くから見たときには

このような印象はありませんでした。

 

恐らく、彼自身に何かが起こり、

エンティティを大量発生させる彼に

なってしまったのでしょう。

 

彼の目は澄んでいました。

 

まっすぐに私を見てきます。

 

その姿勢は、一見、

とてもまっすぐで、素直で、前向きです。

 

しかし、エンティティいっぱいの人は

それらがすべて、どことなく、

ウソっぽい

のです。

 

残念ながら、一般の人はその区別が

なかなかつかないようです。

この区別がつくようになれば、

どんなに良いだろうか、と私は思います。

 

私は西畑さんに、

普段はどのような役割をされているのか?

何を大事にお仕事をされているのか?

などを訊きました。

 

とても前向きな返事が返ってきました。

 

木村さんのことをどう思います?

西畑さんにとっての木村さんはどういった存在です?

とも訊きました。

 

「同志だと思っています。」

 

そう言った西畑さんは、

木村さんの素晴らしさを並べ立てました。

 

しかし、私の心には

彼の言葉のたった一つも

入ってきませんでした。

 

「これは、いかん。」

 

と私は思いました。

 

と同時に、本当にすべての合点が

いきました。

 

木村さんが真本音度合いを高めつつも、

どうしてもある一線を超えられない理由は、

西畑さんでした。

 

彼が、木村さんの足を

引っ張っていたのです。

 

西畑さん自身は、

その自覚がありません。

 

彼のエンティティが

それをしていたのです。

 

実は、

こういった例が、本当に本当に

多いです。

 

とても言葉は悪いのですが、

西畑さんから私は

「進化する意欲」

を、まったく感じませんでした。

 

進化、とは人の本能の根本にあるものです。

それを彼は、

打ち消しています。

 

進化する気持ちをすべて打ち消し、

進化しているフリをする。

前向きなフリをする。

素直なフリをする。

協調するフリをする。

 

それが彼でした。

 

本当に言葉が汚くて申し訳ないのですが、

それが事実でした。

 

残念ながら、現時点では

私は西畑さんを変えることはほぼ無理である

と感じました。

 

もちろん、すべての人には可能性があります。

きちんと真本音度合いを高めれば、

進化への道を歩み始めるでしょう。

 

しかし、彼に対して無理にそれをするよりも

もっと効果的な道があるように思いました。

 

西畑さん自身を変えようとするよりも、

木村さん自身をもっと強くする。

木村さんの次元をもっと高める。

 

その結果、その影響によって

西畑さんが変わっていく。

 

それが、最も自然な順番であり、

最も楽な道であると

私は思いました。

 

コーチとは、このように

最も楽な道を見出し示す存在

だと私は思っています。

 

ですから私は、現時点では、

西畑さんのことを

「あきらめました」。

 

この、「あきらめる」ことも

とても重要です。

 

何を「あきらめて」

何にパワーを注ぐか?

 

その選択こそが命です。

 

私はすべてを木村さんと弓江さんに

お話しすることにしました。

 

二人を同時にコーチングする

道を選んだのです。

 

つづく