そのまま

甘えればいい

 

何もない

がらんどうの

世界に

 

翼の感覚も

繋がりの感覚も

忘れた状態で

 

まるで

ツルンとした

何の引っ掛かりもない

裸の姿で

 

私達は

生まれてきたのだ。

 

あまりの

手応えのなさ。

 

その最初の

虚無の

感じが

 

言いようのない

孤独感を

心に刻む。

 

それが

人生の始まり

だ。

 

誰もが

辛さから

始まった。

 

そして

辛さと共に

生きる。

 

自我として。

 

だから

悲しいのも

寂しいのも

当たり前だろう。

 

それを

抑え込む必要が

どこにある。

 

心が震えるのは

普通ではないか。

 

だから

太陽の暖かさが

身に沁みる。

 

特に

寒い日の

陽だまりは。

 

目を瞑り、

光を感じ、

暖かさに委ねる。

 

その感覚は

本来は私達が

当たり前のように

持ち合わせていた

もの。

 

だから

身に沁みる。

 

その光に

頼ればよいでは

ないか。

 

あらゆるものが

私達を

支えようとして

くれている。

 

本来の感覚を

失った

私達を。

 

もっと

甘えればよい

ではないか。

 

心を

何とかしようと

するな。

 

感覚を

ごまかそうと

するな。

 

そのままの

自分が

そのままの

自分だ。

 

そのままの

世界が

そのままの

世界だ。

 

そのままで

いい。

 

私達は

そのまま

進めるのだ。

 

つづく

 

考え過ぎるな

 

人を傷つけないように

生きよう。

 

とすればするほど

知らないところで

人を傷つけていた。

 

あるがままで

生きよう。

 

とすればするほど

知らないところで

人を愛せていた。

 

人は

面白いものだな。

 

・・・・・・

 

私達の前には

必ず道があり、

 

そこをただ淡々と

進めばよいだけなのだが、

 

なぜか

余分なことばかりを

してしまう。

 

そして結果として、

余分なことばかりが

起こる。

 

何をしても

何をしなくても

 

道はそこに

あるのに。

 

ただそこを

進めばよいだけ

なのに。

 

・・・・・・

 

日が昇れば

活動をし、

 

夜が訪れれば

休めばいい。

 

嬉しい時には

笑えばいいし、

 

悲しい時には

泣けばいい。

 

やれないことを

やれない、と

悩むよりも

 

やれることを

一つずつ

丁寧に

やればいい。

 

進むことを

望むならば、

 

一歩ずつでも

足を前に出せば

いい。

 

隣の人と

笑い合いたければ、

 

隣の人に

こちらから

笑いかければいい。

 

一人になりたければ、

一人になればいい。

 

共に進みたければ、

共に進めばいい。

 

・・・・・・

 

海の風に

吹かれたければ、

 

海に行けばいい。

 

それなのに、

なぜか人は

山に行ったりする。

 

そのまま

 

その気持ちのまま

 

でいいのに。

 

自らを

物事を

評価したり

解釈するよりも、

 

私達には

できることがある。

 

したいことがある。

 

すべきことがある。

 

それを

そのまま

すればいいよ。

 

それが

自分

でいることだ。

 

つづく