やさしさ

愚かで悲しいけど

 

もがいている人は

多い。

 

もがくのが

人だろう。

 

人の愚かさを

蔑んだり、

あざ笑う人が

いるが、

 

私にはどうしても

それができない。

 

もちろん

人は

愚かだ。

 

例えば、

もがく必要のない

ところで

もがいたりする。

 

例えば、

もがいている

フリをする。

しかも

その事実に自分自身が

気づかない。

 

例えば、

自分は被害者だ、

と言いながら

もがきながらも

他者を傷つける。

しかも

それに自身では

気づいていない。

という

人もいる。

 

本当に

愚かだと思う。

 

でもやはり

それが人だとも

思う。

 

この仕事に

真剣に向かえば

向かうほど、

人の愚かさを

許している自分がいる。

 

しかしだからこそ

私は

人に厳しくできる

のだと思う。

 

・・・・・・

 

昔、

学生時代の友人が

 

「やさしさとは

厳しさだ」

 

と言った。

 

おー、いいこと

言うねー!

 

と私は共感したが、

もちろんその時の私は

単に言葉の格好良さに

共感していただけだ。

 

今の私は

どうだろう?

 

ちょっとは

その言葉の真の意味は

わかったのかな?

 

時折、私は

自分でも驚くほどに、

人に対して

厳しくなる。

 

よくあれだけ

厳しくできたもんだ、

呆れることもある。

 

でも、

それこそが

その人への最大の

やさしさだ、と

 

やはり信じているから

できるのだと思う。

 

・・・・・・

 

やさしいフリは

もう

やめた。

 

やさしいフリは

人を結果的には

傷つけることを

何度も経験した。

 

いつから

フリ

をやめたのだろうな。

 

もう覚えていないが、

その代わりに

自分の中に

湧き上がる怒りや

憤りを

大切にするように

なった。

 

怒りや憤りを

しっかりと見つめていると、

その根底には

「愛」を感じた。

 

あーそうか、

この怒りをその人に

ぶつけることは

「愛」をぶつける

ことなんだ、

確信するようになった。

 

そんな時は

必ず、

怒りをぶつけるように

した。

 

そこに私は

躊躇をしない自分で

あろうと

ある時から決めた。

 

面白いことに、

そうしてから

私の人生の調和が

始まった。

 

・・・・・・

 

私は人格者では

ない。

 

ただの一人の

人間だ。

 

だから

私自身、愚かな部分を

無限に

持っている。

 

私はいつも

その自分の愚かさを

見つめている。

 

もしこれが

できなくなったら

今の仕事は

即、辞めるだろうな。

 

恐らく今、

私は

「人間」というものが

とても好きだ。

 

愚かな部分に

関しては

本当に嫌なのだが、

それでもきっと

人間が好きだ。

 

今日も

とても悲しいことと、

とても嬉しいことが、

両方あった。

 

悲しい時は

本当に悲しくなり、

嬉しい時は

本当に嬉しくなる。

 

あー俺は

人間なんだ、と

今日も

思った。

 

だから明日も

人間のできる最大を

やろうと、

心に決めている。

 

つづく

 

それは本当に必要な厳しさなの?

厳しさ、

とは何でしょうか?

 

学生の頃、私は登山をやっており、

一人の登山仲間にこの質問を投げてみました。

 

彼は答えました。

 

厳しさとは、

やさしさである。

 

これは今でもかなり

本質をついた答えだなぁ、と

私は思います。

 

本当の厳しさを自分に向けることは、

自分自身への本当のやさしさです。

 

しかし、

本当の厳しさを自分に向けている人が

どれだけいるでしょうか?

 

自己満足の厳しさ

の人はたくさんいます。

 

つまり、

厳しくする必要のないところで自分に厳しくし、

それを乗り越えることで

自己満足しています。

 

そういった人は、

真本音度合いが著しく減少します。

 

こんなに厳しくしているのだから

いいじゃないか。

・・・そんな言い訳をしながら生きています。

 

自分を誤魔化しています。

 

だから人とも向き合えなくなります。

 

自己満足の厳しさを自分に与えているうちは

どんな人と向き合っても

調和は起こりません。

 

ですから私は

本当の厳しさを自分自身に向けることが

できる状態になるまでを、

まずは一人一人サポートします。

 

本当の厳しさとは、

「本当は今、自分は、どんな現実(課題)に

向き合えばいいか?」

をきちんと明確にすること。

 

そして、自分の状態がどのようなものであっても

毎日真摯にその現実(課題)に

立ち向かうことです。

 

こうやって書くと、

それは本当に厳しい感じがするでしょうが、

実は、これをすると私達人間の心は

明らかにパワーが溢れます。

 

内側から力が湧いてきて、

いつも満ち足りた状態になります。

つまり、

幸せなのです。

 

ですから、

本当の厳しさを自分に与えることのできる人は

本当に純粋に

「楽しい」

と実感します。

 

それこそが、自分にやさしくする

ということではないでしょうか。

 

厳しさとは

気持ちよいものなのです。

 

これが、

真本音で生きる、ということでもあります。

(→前回記事)

 

木村さんは最初、

本当の厳しさと自己満足の厳しさの区別が

ついていませんでした。

ですから、

「プロコーチになる」などという

自己満足のビジョンに向かったりしました。

 

でも徐々に

「自己満足は気持ち悪い」

ということが、感覚としてわかるようになりました。

 

そこまで来れば、

充分に人と調和することができます。

 

一方の弓江さん。

彼女が今、向き合うべき現実(課題)は

木村さんだったのです。

 

彼をサポートすること。

それが弓江さんの最重要課題です。

 

ようやくこの二人が

向き合える状態となりました。

 

私はワクワクしながら、

二人コーチングの場に臨みました。

 

つづく