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人生において
飛び立つチャンスは
何度もある。
しかし、
本当に飛び立つ
べき時に
それをしないと、
その生き方が
癖になる。
そして、
その癖のまま
チャンスを何度も
逃すことになる。
そのうちに
自分自身のその
生き方に対して
自分自身が
(無意識的に)
腹を立て、
自分のことなのに
自分にそっぽを向く
という状態になる。
私はそれを
「真本音が
くさった状態」
と呼んでいる。
くさる、とは
本当に腐ってしまった
という意味ではなく、
気が滅入って
もうどうでもいいや、
となってしまう
あの状態である。
自分の真本音
すら
自分のことに
呆れてしまうのだから、
その人の周りにいる
人達は
言わずもがな。
あの人はもう
変わらんよ、
何をやっても。
と
諦めた状態だ。
そうなるともう
みんな、
その人に対しては
本音を言わなくなる。
建前の話、
適当な関わり、
表面上だけの
仲良しこよし、
となるか、
もしくは
無関心
となる。
正直、これは
自業自得だ。
私も
サポートのしようの
ないことが
多い。
でも、
そういう人達も
最初から
真本音がくさって
しまっていた
わけではない。
一つ一つの
大小合わせた
たくさんの
人生のチャンスを
自ら
向き合わないように
し続けた
結果なんだ。
一つ一つの
積み重ねだ。
自分自身との
信頼を高める。
自分の真本音
との
信頼を高める。
そういう生き方
こそ
大切であり、
そのためには、
チャンスの時は
飛び出そう!!
だ。
つづく
時の流れに
もし
断絶というものが
あるならば、
次の大きな断絶は
もうすぐ
訪れるだろう。
いや、別に
恐ろしいことでは
ない。
これまでも
何度もあったことだ。
もちろん私達の多くは
それに
気づかずに来た。
次に来る断絶も
ほとんどの人が
気づかないだろう。
日常が変わる
わけではない。
世の中が大きく
変わるわけでは
ない。
しかし、
断絶、とは
一度、すべてが
リセットされ、
次の一瞬で
すべてが甦るような
ものだ。
気づかずにいれば
何も起きていないのと
同じであるが、
もし感性が豊かな
人であれば、
ここが
かなりのチャンスである
ことがわかるだろう。
・・・・・・
私達人間は皆、
思い込み
の集積で生きている。
思い込みが
次の現実を
創る。
もちろんそれを
なくすことは
必要のないことだし、
第一、無理だろう。
しかし、
それが
真本音の望む思い込みか
どうか?
は
私達の人生にとっては
とても重要だ。
どうせ思い込むなら、
自分が本当に
望む方向の
思い込みで
生きてみたいのでは
ないかな。
自分の本来の道を
阻害する思い込み
と
後押しをしてくれる
思い込み。
どちらを選ぶかと
言えば、
大概の人は後者だと
思う。
「断絶」は
自分の中の
自分の道を阻害する
思い込みを
手放すチャンスだ。
・・・・・・
とは言え、
ここではその
「手放し方」を書こうと
しているのではない。
なぜなら
顕在意識のレベルで
それをする方法は
ないからだ。
しかしその「手放し」は、
潜在意識のレベルでは
恐らく
多くの人が行なうだろう。
ただしそのためには
条件がある。
それは
私の表現を使えば、
真本音に素直に
生きていること
だ。
言い換えれば、
自分の本当の願いを
大事に日々、
生きていること
だ。
これまでコツコツと、
たとえ成果が
出なかったとしても、
ここを大事にして来た人は
今回の「断絶」によって
大きな力を
得ることになるだろう。
何やら
予言めいた言い方に
なっているが、
これは予言ではなく、
空気感だ。
「断絶」の空気感が
そこかしこに
漂っている。
すでにその影響を
受けている人も
多い。
皆、変化を始めている。
こういったことを聴けば、
あぁなるほど!
と
思う人も多いのでは
ないかな。
・・・・・・
人生は自分探究の
旅でもある。
その探究を
真摯にコツコツと
やり続けて来た人は
やはり最後は
強い。
ただし
「やり続ける」というのは
考え続ける、という
ことではない。
試行錯誤をし続ける、
つまりは
行動をし続ける
ということだ。
本当の自分の願いを
自分でしっかりと
見つめ、
それを行動に
起こし続ける。
その単純なことを
コツコツと
日々、
・・・そう、「日々」だ、
やり続ける人は
やはり強い。
チャンスを
ものにできる。
「断絶」を
チャンスとすることが
できるんだ。
つづく
今は
加速すべき
時です。
もし
迷っている人が
いるとすれば、
私は必ず
そうアドバイス
するでしょう。
今はもう、
止まっている
時では
ありません。
準備は
整っています。
あとは
必要なのは
前に踏み出す
勇気のみ。
勇気を出せた
人は
一気に進み、
勇気を出せなかった
人は
ずっと止まり続ける。
その
わかりやすい
二者択一の
どちらを選ぶかによって
恐らく、
今後の何十年かの
人生展開が
根本的に
変わるでしょう。
それくらいに
今の
世の中全体の
「潮流」は
重要な時を
迎えています。
・・・・・・
私は
進むべき価値のある
人間でしょうか?
そのような
問いを受けることが
あります。
いやいやいや、
それを決めるのは
あなたでは
ありません。
それに、
それを決めるのは
今では
ありません。
むしろ、
もし自分の愚かさを
知っているので
あれば、
それはチャンス
です。
本当に愚かなのは、
自分の愚かさを
自覚していないこと。
愚かさを知る者は
ちゃんと
「観えている」
のです。
そして、
観えている人
こそが
加速できるのです。
自分の価値は
人生の最期の
瞬間くらいに、
きっと自然に
わかるでしょう。
・・・・・・
あなたの中に
夢や希望が
ありますね。
それは
「幻影」
ですか?
それとも
「実在」
ですか?
もしも
「実在だな」
と思えるのならば、
すぐにでも
加速を
始めてください。
今は
本当に
チャンスです。
今、始めなければ
いつ始めるの?
というくらいの
チャンスです。
それは
あなた自身が
本当は
最もよくわかっている
はず。
あなたの中に
確信は
あるはず。
そこに素直に
進んでください。
勇気とは
今のこの時の
ために
あるのです。
つづく
私達の心の中には
いくつもの願いが
浮かんでは消えていきます。
達成されることで
成就し消える願いもあれば、
達成せずとも
自然に消えてしまう願いも
あります。
願いを持つのが
私達人間の宿命。
願いに生きるのが
人間の本質です。
ただ、
その願いの中で
何があっても、
自分がどれだけ成長しても、
どのような経験を積んでも、
環境がどのように変わっても、
まったく揺るがずに
心の中心に在り続ける
願いがあります。
それは
心の中にある願い
と言うよりも
魂の中に抱いている願い
と言った方が
良いかも知れません。
そしてそれは
願いであるのと同時に
自分自身へのテーマであり
課題でもあります。
その願いでありテーマであり
課題であるものを
私達は人生を通じて
探求・探究しようとします。
それをあえて、
「真本音の願い」
と私は呼んでいます。
真本音優柔不断タイプの人は、
その真本音の願いが
ある意味、ですが、
強過ぎる人なのです。
その願いを自ら
認識してしまうと、
その時の自分の状況を顧みずに
一直線にそこに
向かってしまうのです。
それはある意味
危険なことでもあります。
自分が制御できなく
なるくらいに
その願いが強烈なのです。
ですから、その人は、
・自分自身の準備と
・環境の準備が
整うまで、決して
自分の願いを顕在化しないように
してきました。
願いが強烈な分、
慎重になっているのです、
真本音が。
そのようなタイプの人達に
今回、私が投げている
メッセージが
「もうスタートして大丈夫ですよ」
というものです。
これはある意味、
かなり強烈な
メッセージのはずです。
これをまともに受けた人は
自身の人生が
大きく変わってしまうかも
知れません。
・・・・・・
でも、私は
その覚悟を
持ってほしいと
願っています。
何事も、
タイミングが
大事です。
いえ、
少し極端に言えば、
タイミングこそが
大事で、
タイミングが
すべてです。
恐らく、
真本音優柔不断タイプの人達が
自身の願いを解放し、
自身の本気さを解放するのは
人生で一度きりの
チャンスしかありません。
それが、
今です。
今を逃したら、
恐らく二度とこのチャンスは
来ません。
それくらいに
重要なタイミングが
来ています。
ですからあえて
申し上げます。
「もう大丈夫です。
自分の本気さを
取り戻すチャンスです。
今しかありません」
と。
・・・・・・
真本音優柔不断タイプの人が
自分を解放する方法。
昨日の続きを
お伝えします。
(→前回記事)
「最も強い自分の心」が
自分自身の「大地」となり、
その「大地」と対話をしながら
自身の行動を決める。
・・・というところまで
来ました。
これを続けていただくと、
ある時ある瞬間に、
「大地」から
メッセージがあるはずです。
「もう、君の中に
入ってもいいよ」
というメッセージです。
それがあったら、
「大地」となっていた
「最も強い自分の心」を
自分の体の中に
入れましょう。
ここで大切なのは、
あくまでもこれは
「大地」の判断で、
というところです。
あなたが判断しては
なりません。
あくまで「大地」から自然に
「入ってもいいよ」という
メッセージが来るまでは
決して自分の中には
入れないでください。
「大地」の意志を尊重する
ことが重要ポイントです。
「大地」は
見極めているのです。
あなたの「準備」が
整うことを。
「準備」が整わないのに、
無理に「大地」を自分の中に
入れようとすると、
「大地」の反発を受けます。
するとまた最初から
やり直さなければなりません。
常に「大地」と対話をしながら
「大地」との信頼関係を
築いていくのです。
それは「自分自身」との
信頼関係であり、
「本来の自分」との
信頼関係です。
「大地」のペースに合わせ、
「大地」の言うことを
尊重してください。
そして「大地」が
「もう中に入ってもいいよ」
とメッセージしてくれたら、
体の中に入ってもらいます。
どこに入ってもらうかも
「大地」に決めてもらって
ください。
多くは、
中心軸上のどこかです。
お腹の辺りのケースもあるし、
鳩尾の辺りとか、
胸の中心とか、
喉の辺りとか、
稀に、頭のてっぺんとか、
背中全体とか、
中心軸全体、ということも
あります。
「大地」に任せて
ください。
体のいずれかに入ったら
そこに意識を向ければ、
それはもう「大地」ではなく、
別の形をしているはずです。
その形を特定できると
よいですね。
さて。
あなたの体の中に入った
「最も強い自分の心」。
ここからはもう、それを
あなたの
『真本音』
と表現してよいでしょう。
この時点で
あなたはあなたの真本音を
取り戻すことが
できたのです。
ここからはいよいよ、
真本音との対話
です。
つづく