ミッション

取っ替え引っ替え

 

「私は何者か?」

 

という

かなり本質的な問いを

今は、

投げ続けるといい。

 

一つ面白い現象が

起きている。

 

演劇で言えば、

まるで一人で様々な

役を試しているように、

 

「私は何者か?」

 

取っ替え引っ替え

試している人が

多いのだ。

 

単なる表面的な

役割の話ではない。

 

根本的な

真本音レベルでの

話だ。

 

つまりは、

 

今のこの時期は、

真本音レベルで

毎日のように

自分自身のミッションを

取っ替え引っ替え

している、

のだ。

 

真本音レベルでの

試行錯誤

と言っていい。

 

こういった時期を

ちゃんと越えることで、

 

自分自身の

真のミッション(役割)

掘り起こそうと

している。

 

だから、

 

「今日は私は

何者か?」

 

という問いが

良いかな。

 

この試行錯誤

そのものを

 

存分に

楽しもう。

 

つづく

 

期限は大事だ

 

私達の真本音は、

自分自身の成すことに

「期限」

を決めている。

 

期限のない仕事が

ないのと同様に、

 

期限のない

人生のミッションは

ない。

 

期限にちゃんと

間に合うかどうか、

によって

その後の展開は

根底から変わってしまう。

 

ちょうど10年前、

当時、「実在」というものを

急激にキャッチしたり

感じ取ったり

体験できるようになった

私は、

 

自分の人生ミッションの

最初の「期限」を

知った。

 

それは

3年後(=2013年)の

8月1日午前0時ジャスト

という、

明確なものだった。

 

その「期限」までに

具体的なあることを

成さなければならなかった。

 

それは当時の私から

すれば

「とても無理だろう」と

最初から諦めるしか

ないような、

難易度の高いミッション

だった。

 

しかし

自分自身が真本音で

決めていたことだ。

 

そのために私は

ここにいるのだと知った

私は、

そこからガムシャラに

なった。

 

本当の真剣さ

というものを学んだのは

そこからだったろう、と

今、振り返ると思う。

 

そして3年後に私は

何とか

ミッションを達成した。

 

達成できたのは、

なんと

2013年7月31日の

23時57分だ。

 

つまりは、

期限の2〜3分前。

 

ギリギリの

達成。

 

あの時のヒヤヒヤと

安堵感は

今でも昨日のことのように

思い出す。

 

そして。

 

実は、

その達成の直後に

新たなミッションが生まれた。

 

その期限は

そこからちょうど7年後。

 

つまりは

2020年8月1日午前0時ジャスト

だった。

 

そこからの私は

とにかく、

この期限を守るために

必死になった。

 

そして、5日前に

そのミッションも

ついに達成できた。

 

なんと今回も、

達成は

2020年7月31日23時57分。

 

またしても

たった2〜3分前の

ギリギリの達成。

 

7年前と同じような

ヒヤヒヤと安堵感。

 

しかし今回は

本当に疲れた。

 

ギリギリ間に合った時、

思わず私は

「疲れた〜〜〜っ!!」

一人叫んでしまったよ。

 

と同時に

「もう勘弁してくれ〜〜っ!」

と。

 

でもやっぱり

私はすべて自らの

真本音で決めてここにいる。

 

だから当然の

ことであるが、

 

次のミッションが

始まった。

 

ギリギリだが、

しかし結局は

順調だ。

 

そして、

ミッションを達成すれば

するほど私は

自由になる。

 

流れは

さらに大きくなる。

 

7年前と今回の

大きな違いは、

 

7年前は

私は一人だった。

 

しかし今回は

仲間と共に

それができた。

 

さて、

次はどうなるか?

 

ちょっとくらい

休めばいいのに、

自分自身に対して

思うのだが、

 

もう私は

次のミッションに向けて

全力疾走に

入っている。

 

「期限」があるからこそ

私達の人生には

メリハリが

できるんだ。

 

つづく

 

真のミッションがわかるはずだ

 

自分一人の力で

太刀打ちできることを

ミッションにする、

 

なんてことをするほど

私達人間は

甘くできていない。

 

自分一人では

到底実現できないことを

私達の真本音は

 

自分の人生の目的

と役割

 

として、

自らの魂に刻み込んで

いる。

 

だから、

自分の本当のミッション

に気づいた人の

多くは、

 

その内容に

愕然とする。

 

私は

こんなことを

望んでいるのか・・・、

と。

 

顕在意識のレベル

では、

「そんなの絶対

無理だ!」

拒絶や抵抗感が

生まれるのだが、

 

しかしその一方で、

 

心の奥の方で、

確かに

喜んでいる自分が

いるはずだ。

 

その喜びは

最初は微小な

ものだが、

 

しかし実は、

それこそが

真の喜びであり、

 

本来の自分の

幸せそのものなのだ、

ということを

 

私達は

日に日に

いやでも

実感することになる。

 

なぜなら、

自分の本当のミッション

を自覚した者は

 

意図せずとも、

その方向に

進んでしまうから。

 

その方向に

現実が動いていることに

気づくことで

 

どうしても

喜んでしまう自分を

否定できなく

なるから。

 

そう。

 

ミッションとは

実現できるかどうか?

ではない。

 

その方向に

本気で

一歩

進むだけで、

 

大いなる喜びが

来るものだ。

 

残念ながら、

それを体験してしまうと

もう、

これまでのあらゆる喜びが

霞んでしまうほどだ。

 

これを

真本音の喜び

私は呼んでいる。

 

・・・・・・

 

もちろん、

真本音の喜び

とは

一つだけではない。

 

ミッションに向かう日々

が始まることで、

 

もっと日常的な

ほんの些細な

現象の一つ一つにも

真本音の喜びは

生まれるようになる。

 

喜ぶことに

素直になれる、

 

という表現でも

いいかも。

 

例えば、

ちょっとした道端の

花を見るだけで

泣けて来ることがある。

 

青空を見るだけで

全身がジンジンと

しびれることがある。

 

目の前の人の

何気ないたった一言を

聴くだけで、

世界のすべてが

薔薇色に見えることだって

あるくらいだ。

 

そこまで喜びを

感じられるようになると

次に起こるのは、

 

ほしいものは

すべて手に入る

 

という現実だ。

 

ただしその「ほしいもの」

とは、

本当の本当の本当に

ほしいもののことだ。

 

100%ほしい

と思っているもの

だけだ。

 

だから中途半端に

ほしいものは逆に、

どんどん

手放すことになる。

 

だから多くの場合は

生活がとても

シンプルになっていく。

 

とはいえそれは

単に質素になっていく

のとも違う。

 

本当にほしいものは

ちゃんと

集まって来るからだ。

 

それは

一見すると

不思議な現象である。

 

でもあまりにも

自然の摂理そのもの

でもある。

 

自分のほしいもの達は

ここにある

ことが最も自然だな、

思えるのだ。

 

ここにあるのが

最も自然なものが

ここに集まって来る。

 

ということだ。

 

・・・・・・

 

自分の本当のミッションに

気づき始めている人が

急増中だ。

 

だからこの文章を

書いているのだが、

 

どうか、

自分自身のミッションを

見つめることに

(気づくことに)

躊躇しないでほしい。

 

だってあなたは

そのために

ここに生まれて

来たのだから。

 

そして、

ミッションを自覚することが

ゴールでもない

ということを

よくわかってほしい。

 

ミッションの自覚とは、

本来の人生の

スタートを意味する。

 

やっと人生が

始まるのだ。

 

年齢は関係ない。

 

自覚から

人生は

始まる。

 

早く、

人生を

始めてほしい。

 

私は

そういう人を

サポートしたいのだ。

 

つづく