ラポール

否定しなければ、次に進めない時がある

木村さんはフリーズしました。

(→前回記事)

 

恐らく、「自己犠牲」という言葉が

効いたのだと思います。

 

恐らく、その一言は、木村さんの真本音が

最も嫌う一言です。

それをダイレクトにぶち込まれたのです。

 

念のために申しておきます。

 

私はいつもこのようなダイレクトな言葉を投げ続けるような

コーチングをしているわけではありません。

前回記事でも書きましたが、

私はただ、相手の真本音に委ねているだけ、

乗っかっているだけです。

 

その結果、このようなダイレクトなやりとりが

行われました。

つまりそれは、

木村さんの真本音が望んでいるやりとりである

ということです。

 

しばらく木村さんは無言でしたが、

ようやく口を開きました。

少し口調が震えていました。

 

「私に、仕事の仕方を変えろと言われるのですか?」

 

この瞬間、私は

木村さんの真本音が「自分を一気に壊してほしい」

という非常に強い願いを抱いていることを

直観しました。

 

平井さんの時もそうでした。

この会社にいる人達は、潔い人が多いのかな、

と一瞬思いました。

が、次の瞬間、

私は木村さんのその願いにそのまま応えるかのような

やりとりを始めたのです。

 

真本音コミュニケーションの始まりです。

 

木村さんの真本音と、

私の真本音のコラボレーション。

それが、真本音コミュニケーションです。

 

この状態に入ると、

私はある意味、いつも観察者になります。

 

変な言い方ですが、

勝手に私は相手の真本音の望み通りに

動きます。

勝手に口が動き、勝手に言葉を喋るイメージです。

 

しかしそれは何かに取り憑かれてるのではなく

一つ一つのやりとりが確信に満ちています。

 

今はこの一言しかない、

と確信できる一言が私の口から出されます。

 

それを私は、客観的に眺めています。

 

我ながら凄いことを言うなぁ、とか

うわぁ、こんなキツいこと言っちゃって大丈夫かなぁ、とか

いろんなことを思いますが、

それらに関わらず、私は勝手にコーチングを進めます。

 

こんな風に書くと、

まるで超能力のように思う方もいらっしゃるかも

しれません。

それは、たけうちさんだからできることでしょ、と

思う人もいるかもしれません。

 

しかしそうではありません。

 

これが、私達すべての人間が持っている、

本来のコミュニケーションの力です。

 

真本音コミュニケーションという名前をつけているので、

それは特別なコミュニケーションの印象になってしまいますが、

決してそうではなく、

人と人が本当の意味で向き合えば、

誰と誰が行なっても、この状態に自然に入れます。

 

そして、共にこういった状態に入れる人に対して

人は「あぁこの人と一緒に進んでいきたい」と

本能レベルで思えるのです。

 

これが、真のラポールだと私は思います。

 

話をもとに戻します。

 

木村さんと私は真本音コミュニケーションに

入りました。

私は、木村さんを壊しにかかりました。

 

木村さんと壊す、と言っても

木村さんのすべてを壊すわけではありません。

「これまでの木村さんのパターン」を壊すのです。

 

「木村さんの真本音が望んでいないパターン」を

壊すのです。

 

「私に、仕事の仕方を変えろと言われるのですか?」

 

「いいえ、まったくそんなことは思っていません。

ただ、木村さんには、本当に木村さんが望む

仕事の仕方をしてもらいたいと思っています。」

 

「今の私は、本当に望む仕事の仕方をしていないと?」

 

「してますか?」

 

「・・・していません。」

 

ここで、彼は下をうつむき、とても悔しそうなお顔を

されました。

 

「悔しいです。

私は私の仕事の仕方にプライドを持ってやって

きました。

だから、本当に望む仕事の仕方ができている、と

ここで答えられるはずなのに、どうしてもそれができない。

私は、・・・。」

 

木村さんは、私の目をまっすぐに見ました。

 

「私は、今の私に納得していません。」

 

・・・これは完全に木村さんの真本音でした。

この一言を聴いて、危うく私は涙をこぼしそうに

なりました。

 

自然に、私の口から言葉が出ました。

 

「木村さん、

木村さんは、ある意味、平井さんにとって

最高の部下かもしれません。

平井さんのことを一番、理解しているのは

木村さんでしょう。

でもね、木村さん、

あなたが、平井チームのボトルネックなんですよ。」

 

この言葉を、彼はまっすぐに受け止めました。

真本音コミュニケーションだからこそ

できることです。

 

「あなたがボトルネックだということは、

誰かに言われたことではありません。

平井さんももちろん、そのようなことは一言も

言われていません。

でもね、私は確信するのです。

あなたが、平井チームの成長を阻害しています。

間違いありません。

あなたが本来のあなたの仕事の仕方を発揮することで、

平井チームは間違いなく脱皮します。

あなたがそれを止めているのです。」

 

すると、木村さんは驚くべきことを

言われました。

 

「・・・薄々、それはわかっていました。

私は意図的にそれをやっていたのかも

しれません。」

 

こういう時、私は、

人って、本当にすごいなぁ、と思うのです。

 

つづく

 

自信がないからできない? 傲慢だねぇ

「ラポール」という言葉があります。

 

臨床心理学で使われる用語なのですが、

コーチングの世界では「信頼関係」と訳されます。

 

もともとは、「心と心がつながる」とか「心が通い合う」

という意味だそうです。

 

私は、いつもこれをあえて

「本能的信頼関係」

と表現しています。

 

人が人を信頼する多くの場合は、

何らかの理由があります。

 

例えば、

仕事ができるから信頼できる、とか、

約束を守る人だから信頼できる、とか、

器が大きいから信頼できる、とか、

物事を必ずやり遂げるから信頼できる、とか。

 

しかし「本能的信頼関係」とは、

そういった理由や根拠はありません。

 

何となく、この人いいな。

何となく、この人好きだな。

何となく、この人と一緒にいたいな。

何となく、この人と通い合いたいな。

何となく、この人と心を開いて話したいな。

 

そのように、明確な理由がないのに、

初対面で会ったその瞬間からそう思える時が

あります。

 

それを「本能的信頼関係」と呼んでいるのですが、

その原因のほとんどは、その人の放つ

「空気感」

です。

 

生田さんが、平井さんのことを

まるで別人に生まれ変わったようだ、と感じた

最大の要因も、

平井さんの発する空気感の変化でした。

(→前回記事)

 

もともと、「人間不信」とも言える冷たい空気感を

持っていた平井さんが、

「人間愛」とも言えるようなあたたかい雰囲気を

醸し出すようになりました。

 

そうなれた最大の原因は、

平井さんが自分自身を許すことができた

からです。

 

言葉を変えると、

平井さんが、自分自身とのラポールを構築できた

からなんです。

 

自分自身とのラポール。

 

私は極端に言えば、人生の8割は

これで決まると思っています。

 

自分のことを自分が信頼できるか?

 

です。

 

ですがこの信頼とは、あくまでも

本能的信頼であって、

私はこんな能力があるから自分を信頼できる、とか

私はこんな経験を積んできたから自分を信頼できる、とか

私はこんな個性だから自分を信頼できる、とか

そういった理由付きの信頼ではありません。

 

ただただ、心の底から

自分を信頼できるかどうか?

です。

 

残念ながら、そういった意味で

自分のことを本当に信頼できている人は

非常に稀です。

 

これはいわゆる「自信」とは

関係がありません。

 

むしろ私の経験から言えば、

自信のある人ほど、

自分自身への本能的信頼感が少ない

という傾向があります。

 

自分自身への本能的信頼感がないが故に

それを満たしたいが故に物事に頑張り

経験を積み、

「自信」を得てきている人が多いのです。

 

しかしどれだけ自信を得ても、

自分自身への本能的信頼は増えません。

本能的信頼が枯渇しているから

自信の持てる自分でい続けよう、とします。

 

そんな人が多いのです。

 

自分への本能的信頼を得ている人の多くは、

自信があるとかないとか、

そんなことは関係ない、という感じです。

 

そういう人は、よく自信のなさからくる不安を

感じ取ります。

ですから、自分は弱いなぁ、という自己イメージを

持っている人が多いです。

 

しかし、自信とはまったく別の次元で、

「確信」が湧いてきます。

 

その確信に基づいて、行動をします。

 

つまり、

自信と確信は、まったくの別物です。

 

確信に基づいて生きている人ほど、

自信のあるなしは、

関係なくなります。

弱い自分だろうが、強い自分だろうが、

関係なくなります。

どちらにしても、自分の行動や選択は

変わらないからです。

 

平井さんは言われます。

 

「以前よりも今の方が私は

自信がないと思います。

正確に言えば、自信のない自分を

あるがままに感じることができるようになりました。

あぁ、自信がないんだなぁ、私は、と。

しょうがないなぁ、私は、弱いなぁ、私は、

と思いながら、でも行動を変えることはしません。笑」

 

私は、これこそが

人の本当の強さ

だと思います。

 

自信があるからできる。

 

というのは、本当の強さではないと

私は思っています。

 

自信があるからできる。

自信がないからできない。

 

その次元で自分の選択をし続ける状態を

私は「傲慢」と呼んでいます。

「独りよがり」と呼んでいます。

「わがまま」と呼んでいます。

 

その次元から抜け出ることは、

すべての人が可能です。

 

その次元から抜け出て、

自分の確信によってのみ生きることで

私達は「自由」になれます。

そして、

本当に望む人生を創り出すことができます。

 

では、どうすればそんなことが

できるのでしょうか?

 

どうすれば、自分自身と

本能的信頼関係を結ぶことができるのでしょうか?

 

その答えは極めてシンプルです。

 

つづく