- ホーム /
- 世界
コーチングの
素晴らしいところの
一つは、やはり、
定期的に
そして連続的に
そのクライアントさんと
正面から向き合い続ける
ことだろう。
継続性というのは
とてつもなく重要だ。
継続的に向き合い
続けていると、
ある時ある瞬間に、
そのクライアントさんの
『世界』
が入ってくる。
「世界」というのが
何か、というのは
上手く説明が
しづらい。
表面的に言えば、
その人の物事への
「見方」とも言えるし、
その人の
「解釈の仕方」とも
言えるし、
その人の
「生き方の特徴」
とも、
「その人から見た
現実の捉え方」
とも言えるが、
しかしどれもが
表現としては
とても浅い気がするし、
正確ではない。
「世界」という
表現が最も的確で、
その「世界」が
スーッと、
私の中に入ってくる。
するとその瞬間に
なってようやく
私は
そのクライアントさんと
「一つ」
になれた感覚を
得る。
そのクライアントさんへの
「理解」
が始まった感覚を
得る。
もちろん、
人が人を理解する
というのは
簡単なことではないし、
自分自身のことさえ
理解できないのが
人間なので、
ましてや
自分以外の人のことを
理解しきる、
などと考えるのは
傲慢の極みだと
よ〜くわかってはいるが、
しかし、
その人の「世界」が
入ってくると、
その人のことを
「理解」はしきれては
いないが、
その人ととても
近づくことができ、
その人と何か
とても大事なものを
「共有」できたような
気がする。
そして
そこからコーチングは
次元の壁を超えていく。
そのクライアントさんと
私は
別人であり、
別の存在であり、
分離しているが、
その前提と土台
の上で、
常に
「一つ」
として生きることが
できるような、
そんな不思議でしかも
とても心地よい感覚が
ずっと続くようになる。
私は
人と人が共に生きる
ということの
本質は
こういうことなのではないか、
と
コーチという仕事を
させていただくことで
知ることができた。
この、
理解を超えた繋がりと、
感覚として
常にあり続ける悦びを
知ることは、
コーチの悦び
ではなく
これは私は
人間としての悦びの
一つであると
思うのだ。
お互いがお互いの
「世界」を
大事にし合いつつも、
お互いがお互いの
「世界」を
共有する。
そんな関係が
増えると、
それこそ本当に
世界は変わるのでは
ないか。
つづく
もし迷ったならば、
どうしても
答えが出ないならば、
「世界」に意識を
向けてみよう。
「世界」とは
外部、ということだ。
つまりは
自分の内側に籠る
のではなく、
意識を外へ外へ
向ける。
今自分がいる
「ここ」。
「ここ」という世界。
その全体に
意識を向け続けよう。
そして
「世界」を
全身で思う存分に
感じとろう。
その状態で
一日を過ごして
みるといい。
日常を
過ごしてみるといい。
これをすることで
私達は
「我」
という範疇を超える。
いつの間にか
「我」を超え
「世界」そのものに
なる。
それが当たり前
の状態になって
初めて
自分の中から
浮上する「答え」が
ある。
その「答え」は
自分の内側に籠り
迷い続けて出す答えとは
次元が違う。
なぜ
答えが出ないか?
なぜ
迷い続けるか?
それは、
今のその次元とは
違う次元の答えを
自らが出そうと
しているからだ。
一つ上の次元の
答えを見つけようと
しているからだ。
それをするためには
「我」を脱ぎ捨てる。
「我」を超える。
それをするためには
「世界」に意識を
向け、
「世界」そのものに
なるしかない。
我は世界。
世界は我。
もうそんな時代
なんだな。
つづく
自分の中に、
『新たな世界』
が
生まれた人が
多いのではないか。
探してみて
ください。
あなたの体の
どこかに、
「新たな世界」
が
小さく
とても
小さく
でも確かに
力強く
芽生えているのでは
ないかな。
それが
見つかったら、
それが
どうすれば
順調に成長できるか?
を
考えてみてください。
そして
毎日毎日
その「世界」に
栄養を与えてください。
「栄養」とは
あなた自身の
生き様。
そして
在り方。
あなた自身の
願いへと向かう
エネルギー。
それらが
そのまま「栄養」
となる。
大切に
育ててね。
みんなで
それぞれの「世界」を
それぞれ
育てよう。
そうしたら、
自然にこの世界も
変容していくね。
いよいよ
本格始動だな。
つづく
人には、
その人にしか
出せない
空気感
がある。
その空気感は
その人独自の
「世界」
を創る。
本来の自分の
「世界」を
創り出すことの
できた人は、
自分とは別の
「世界」を
既に創り出している
人達と、
共鳴し合う。
一人一人の
「世界」は
異なる。
決して一つとして
同じものはない。
違うのが
当たり前。
だからこそ、
共鳴し合える。
共鳴し合った
「世界」と「世界」は
時には
接着し、
時には
統合し、
時には
融合し、
時には
分離し、
そして
時には
同じ渦を
巻き起こしながら、
相乗効果の波を
波及させる。
その結果として、
たった一つの「世界」
だけでは決して
生まれなかった
何かを
この世に
生み出す。
「カタチ」」として。
その「カタチ」が
さらにまた次の
「世界」を
創り出す。
・・・・・・
「世界」を創り出せる
状態のことを
私は
「自律」
と呼んでいる。
つまりは、
自律した人のみが
自らの「世界」を
創り出せる。
自律できていない人は
残念ながら
「世界」とはならず、
したがって
相乗効果も
ない。
新たなものを
生み出すことも
できず、
どちらかと言えば、
生み出すよりも
奪い合う
関わりになりがちだ。
だから
組織においては
私はまずは何よりも、
いかに自律した人を
一人でも多く
増やすか?
を大切にしている。
「世界」と「世界」が
共鳴し合いながら
相乗効果を発揮する
状態のことを
私は
「調和」
と呼んでいる。
「調和」とは
「進化」と
同義語だ。
自律した人が
増えることで、
その組織は
調和していく。
進化していく。
組織を
社会と言い換えても
まったく同じである。
・・・・・・
自律調和した
社会にしたい。
これが私の
願いだ。
今。
若いのに既に
自律している
人達が増えている。
つまりは
「世界」をすでに
創り出している
若い人達が
増えている。
ちょっと極端に
言えば、
子どもでも
幼児でも
赤ちゃんでも
すでに
自律している子が
増えている。
なんだ
この子は。
すでに
「世界」を
持ってるよ。
と
感嘆する。
しかし残念ながら、
大人達が
それに気づかず、
子どもであるが
故に、
若いが故に、
未熟である
と勝手に
レッテルを貼り、
せっかくの「世界」を
壊しにかかる。
「世界」が壊れる
ことは、
この世の大いなる
損失だ。
私はそれを
どうにか
止めたい。
だから、
若い人達のサポートを
これから
増やしていく。
と同時に
大人達の
自律サポートも
増やしていく。
でも到底、
私一人では
無理だ。
だから、
仲間がいるし、
後継者も
必要だ。
後継者と言っても、
たけうち流に
なる必要もないし、
私と同じことを
する必要もない。
ただ、
本質を
後継したい。
本質とは、
真本音で生きるとは
どういうことか?
ということだ。
そして、
そんな人達を
増やすには
どうサポートすればよいか?
ということだ。
先日、
私の仕事仲間の
一人が、
私のやっていることを
「学問にしたい」
と言ってくれた。
学問にすることで
私がいなくなっても
本質につながる
カタチが残る。
それを何とか
実現したい、と
言ってくれた。
ありがたい。
そういったことも
含めて、
あと残された
人生の時間で、
自分が何を
すべきか?
何を
残すべきか?
について
私はもっともっと
探求をしていきたい。
そのためにも
「仲間」をさらに
増やしていきたいな。
つづく
ずっと空を
垂直に
昇って行くと、
「青空」だと
思っていたものには
実は
出口があることが
わかった。
そこを
通れば、
次の世界に
行ける出口だ。
なんだ。
壊さなくて
いいのか。
もっと
様々なものに
ぶち当たり、
体当たりで壊し、
傷つきながらも
ようやくにして
たどり着くのが
次の世界
だと
思い込んでいたよ。
なんだ。
出口が
あったんだ。
ちょっと
拍子抜けした。
出口に
近づくと、
すでにその扉は
開いていた。
なに?
ここを
くぐればいいの?
と
思った矢先に
もう
私は出口の
向こう側に
いた。
出口の向こうは
宇宙であると
ずっと
思い込んでいたのだが、
出口を抜けると、
そこは
「大地」
だった。
私は
大地に立っていた。
何という
安定感。
何という
安心感。
しかも、
私は大地と共に
飛ぶことすら
できた。
これまで
私は、
大地と自分は
別物だと
思っていた。
しかし
そうではなかった。
大地も
私だった。
私が
大地だった。
そこで
わかったのだ。
「世界」が
変わったのでは
ない。
新しい世界に
入ったのでも
ない。
「私」が
変わったのだ。
世界である
私は
これから
世界で
何を
するのだろうか?
つづく
目を閉じて
静かにしている。
何もせずに
いる。
すると
自分の心の中が
ありありと
観えてくる。
心の一つ一つを
丁寧に
横に置いていく。
すると
心の中には
何もなくなった。
しかし実は
そうではない。
何もなくなった
ように見えて、
本当は
「すべてがある」
状態となる。
光と同じで、
「すべてがある」
と、
それは
無色透明となる。
実は心とは
焦点化に
過ぎない。
焦点を当てた
ところが
強調されて、
他から分離
される。
分離されたものを
自分の心だ
と、
私達は
認識しているに
過ぎない。
本当は
最初から、
すべてここにある
のだ。
まぁそれは
ともかくとして、
一つ一つの
分離されたものを
横に置き終えると、
心は
無色透明に
なり、
すると、
世界のざわめき
が
聴こえてくる。
森羅万象の
ざわめき
と
言えばよいだろうか。
私はいつも
このざわめきを
聴きながら、
世の中全体の
把握を
している。
自分の仕事の
影響力と
自分の仕事の
未熟さと
自分の仕事の
成長ぶりを
把握している。
そして、
明日からのテーマ
を
明らかにする。
世界のざわめき
は、
数年前に比べれば
随分と
静かになった。
それはそれで
良いことだが、
静かになるが故に
聴こえてくる
雑音もある。
それらを
聴きながら、
一つのテーマが
明確になった。
それをあえて
言葉で表現すれば、
『助けない』
となる。
もう、
助けるのは
やめよう。
明日から。
随分と
助けちゃった
かな。
助け過ぎちゃった
かな。
もうちょいと
あらゆることに
厳しく
関わることに
しよう。
つづく