私は

一人の時間を

とても大事にしている。

 

普段、

人と向き合うことを

仕事にしているので、

 

余計に

大事にしている。

 

一人の時間が

いかに重要か?を

知ったのは、

恐らく

大学で登山をしていた

時だ。

 

当時、私はよく一人で

山に入って行った。

 

自らテントを担ぎ、

誰ともほとんど会話せず

山の中を何日も

歩き回った。

 

そこには

独特の孤独感があったが、

病みつきになるような

幸せ感もあった。

 

一人で山の中にいたり、

一人でテントの中にいれば、

いろんなことを考えるだろう、

と思われるかも

しれない。

 

確かにグルグルと

いろんな思考は駆け巡って

いたかもしれないが、

 

しかしほとんどの時間は

「何もしていなかった」。

 

何もしない

時間。

 

これが人生に

測り知れない影響を

与えていた。

 

・・・・・・

 

山の中では

何もしなかったが、

帰って来てから

私は必ず

紀行文を書いた。

 

誰に読ませるもの

でもない。

 

しかし日記でも

ない。

 

書いている私の意識には

確かに、

「読んでもらう相手」

がいた。

 

その相手に私は

自分の感じたことを

克明に説明しようとした。

 

それをひたすらに

文章にした。

 

自分の感じたこと、

自分の気持ちを

私は妥協なく言葉で

表現しようとした。

 

どうしても良い言葉が

思いつかなければ、

本を読んだり

辞書を調べたりしながら

自分の感覚に最も近い

言葉を

探し続けた。

 

そんなことを

山に行くたびに

続けていた。

 

山の中では

「何もしなかった」のだが、

帰って来てから

文章を書くと、

面白いように自分の気持ち達が

湧いて出た。

 

へぇ、あの時、俺は

こんなことを感じて

いたのか。

 

こんなことを

考えていたのか。

 

など、

文章を書く段で初めて

気づくことばかりだった。

 

山では何もせず、

帰って来てから

文章を書いて

様々な何かに気づく。

 

この繰り返しで

私は私の人生の道が

ほぼ決まったのだと、

 

今から振り返れば

思う。

 

・・・・・・

 

今でも私は

同じようなことを

している。

 

ただ、

山に行くのがなくなった

だけだ。

 

今の私は

山に行かなくとも

山に行ったのと同じ状態に

なれる。

 

私は毎日、必ず

「一人で何もしない時間」

を取る。

 

思考もすべて

停止させる。

 

何もしないでいると、

すぐに、

 

自分と自分以外

 

の区別が

つかなくなる。

 

自分は世界であり

世界は自分である

 

ということが

当たり前の感覚になる。

 

しばらくその状態でいると、

その後、自然に

様々な

「気づき」

が始まる。

 

その「気づき」達は

かなり具体的なものが

多い。

 

ほとんどが

仕事に直結するもの。

 

そして私は

その「気づき」の通りに

行動を起こす。

 

すると、

すべてが

調和する。

 

これが私の日課

であり、

 

セルフコーチングの

基本だ。

 

そう言えば、

一人で山に入っていた時、

私は

自分と山との

区別がつかなくなることが

よくあった。

 

あれは

今のセルフコーチング法を

実践できるようになるための

練習をしていたのだな、

と思う。

 

・・・・・・

 

この私のやり方を

セルフコーチングとは

一般的には呼ばないのかも

しれない。

 

しかしこれは間違いなく

自分自身へのコーチングであり、

 

「気づきの源泉」

となるものだ。

 

自分で自分の道を

しっかりと選択し、

自らの未来を開くためには

なくてはならないものだ。

 

これがあるからこそ、

私はここまで来れたし、

 

未来が開く実感も

得ることができる。

 

これを私は

多くの人達に

できるようになってもらいたい。

 

そう。

 

今はまだ

ほとんどの人が

「何もしない」

ことができないのだ。

 

私のビジネスパートナーが

とても良い表現を

思いついてくれた。

 

『リブート』

 

つまり、

 

『再起動』

 

だ。

 

私はこれを毎日

行なっている。

 

リブートのための

セルフコーチング法。

 

この講座を

今、準備している。

 

つづく