余分

余分だよ

 

時間を

大切にする。

 

その最も

基本は、

 

今、

何をしないか?

 

決めることだ。

 

人とのコミュニケーションを

大切にする。

 

その最も

基本は、

 

今、

何を喋らないか?

 

決めることだ。

 

いずれも

自分がやらないことを

決める。

スッキリと。

 

これが

調和を生み出す。

 

私達は

余分なことを

し過ぎだ。

 

不調和の

ほとんどの原因は、

 

余分な何かを

する

 

ところにある。

 

余分な行動、

 

余分な決断、

 

余分な一言、

 

余分な気遣い、

 

余分な迷い、

 

・・・

 

何をしないかを

決めるとは

本質的には

 

今、

手放すものを

決める

 

ということだ。

 

やはり、

手放すことは

大事。

 

手放す力

つけよう!

という言い方でもいい。

 

これが

人生展開を

大きく左右するな。

 

つづく

 

時間が足りない!

 

私達は、

余分なことを

し過ぎなのだと

思う。

 

不調和とは

ほとんどの場合、

 

余分なことを

することによって

生まれる。

 

何をするか?

 

の前に

 

何をしないか?

 

を決めることは

とても重要では

ないか。

 

特にこの2〜3年で

本当に痛烈に

私は感じた。

 

余分なことを

する癖のついている

人は、

 

余分なことに

人生のほとんどを

使ってしまう。

 

一つの余分なことは

余分な混乱や

余分な波乱や

余分な葛藤を

生む。

 

余分なそれらに

反応している

うちに、

 

人生は

終わってしまう。

 

だいぶ極端な

言い方をしているが、

 

何故あえて

こんな言い方を

しているかと言うと、

 

「人生の時間が

足りない!」

 

という

とても強い気持ちを

真本音のレベルで

抱いている人が

 

今、

急増しているのを

感じるからだ。

 

実は特に

若い人達に

私はそれを感じる。

 

まだ

20代、30代なのに、

 

もう

「人生の時間が

足りない!」

焦り始めている。

 

気持ちは

よくわかる。

 

私もいつも

そう思ってきたから。

 

しかし

焦れば焦るほど、

 

また新たな

余分なことを

してしまう。

 

新たな何かを

始めることは

特に今の時代は

とても大事だが、

 

しかしその前に

しっかりと

自分自身に

問うてみよう。

 

まずは、

何をやめるか?

 

何を

しない!と

決めるか?

 

つづく

 

余分なものか

 

生きていれば、

様々な「余分なもの」を

私達は

心の中に蓄積する。

 

そしてその

「余分なもの」達に

自分自身が

翻弄される。

 

しかし当の本人は

それらを

「余分なもの」

とは認識せずに、

 

むしろそれらを

「これが私だ」

と認知する。

 

「余分なもの」を

「余分なもの」と

認知せずに

生きるのが私達だ。

 

しかし私はここに

人間の素晴らしさ

があると思っている。

 

人間の

力だ。

 

・・・・・・

 

「余分なもの」の

最大の問題は、

 

そこに目を奪われる

ことで、

自分自身の

「本質的なもの」

忘れてしまうことだ。

 

本来は

「本質」があり、

 

その周りに

「余分なもの」達が

くっついているはず

なのだが、

 

肝心の「本質」が

見えなくなって

しまう。

 

つまりは、

「自分を失う」

という状態だ。

 

だから私の

サポートは、

 

「余分なもの」

はそのままに、

 

でも

「本質的なもの」

ちゃんと思い出そう、

 

とするものだ。

 

そして

ここからが最も

大事なことなのだが、

 

もしその人が

自分自身の

「本質的なもの」を

思い出すことが

できたとしたら、

 

その時点から、

その瞬間から、

 

「余分なもの」達が

「余分なもの」では

なくなってくる、

 

という事実だ。

 

「本質的なもの」

それまで存在した

あらゆる「余分なもの」を

 

一つ一つ丁寧に

「活かす」

ようになるのだ。

 

そこで発揮される

ものこそが

その人の

 

「真の個性」

 

だ。

 

私は、その

「真の個性」で

生きる人が

社会に溢れる状態を

創りたい、

 

と思って

この25年間、

今の仕事をやり続けた。

 

どうすれば

それが実現できる

のだろうか?

 

というのが

私の探究テーマの

一つであり

根幹であった。

 

このテーマは

もちろん

これからも続く。

 

きっと

永遠に続く。

 

しかし今、

明らかに

新たなステージに

入ることができた。

 

人が

「真の個性」で生き、

活かし合う社会は、

 

きっと

深く調和するだろう。

 

次の25年で

私はそこに向かって

邁進したい。

 

つづく