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人は誰しも
冒険心
を持っている。
今、あなたの
中にある
最大の冒険心を
探し出して
ほしい。
その気持ちは
何を「やりたい!」と
強く願っているだろうか?
冒険心だから
それは、
なかなかの挑戦心でも
ある。
できるかどうか
で言えば、
到底できないよ、と
思ってしまうことだろう。
しかし今、
あえて、
その冒険心の言うことを
大事にしよう。
あなたの冒険心の
望んでいることを
落ち着いて
受け取り、
しっかり
対峙して、
なんとかその方向に
進んでみよう。
勇気を持った
冒険をすることで、
人生は
一気に進むことが
ある。
今は
その時だ。
つづく
未開の地に
進んでいる
日々だな。
と
実感できる時が
ある。
実は今が
そうなのだが、
そんな時は
一日の内に起こる
様々な出来事が
なんだか
他人事のようだ。
つまりは
私の顕在意識が
常にボーッと
している状態で、
イマイチ
現実味がない。
常に私自身の
範疇を
超えてしまって
いるのだ。
通常はそういった
場合、
進むことに躊躇を
するのだろうし、
恐怖も感じるのが
人間なので、
どちらかと言えば
恐怖、という
感覚のおかげで
現実を実感できる
はずだが、
そういったものも
私は感じるのだけど
手放している状態に
してしまうので、
麻痺するのでは
なく
すべてを感じて
いるのだけど、
でもなんだが
自分の人生では
ないようだ。
まぁ、
赤ちゃんが
初めて目にするものに
夢中になって
いる感じかも。
容量オーバーで
すぐに眠ってしまう
あの感じかな。
要するに
起きているけど
容量オーバーで
眠っているのと同じ
状態なのだろうか。
ここのところの私は
そんな感じだ。
でも実は
こういう日々こそ
私は結構好きで、
私は私の
容量オーバーが
好きなようなのだ。
その時は
無我夢中なのだが、
気がつけば
自分の知らない
いろんな発想や
気づきが
手に入っている。
無我夢中で
進んで
しばらく経って
少し落ち着いて、
よくよく
見たら
手にたくさんの
宝物を掴んでいた、
という感じだ。
まぁこれを
「冒険」
と言うのかな。。
人間は
冒険が好きなんだな。
未知の領域。
未知の世界。
現象のレベル
だけではなく、
実在のレベル
でも、
そこに突入していく。
今はそれが
できる状態に
なれたということを
素直に喜ぼう。
つづく
自分にできる
範疇の中でのみ
生きていたら、
人生は
進まない。
進化とは
冒険である。
人間の本質とは
進化である。
だから人は
冒険を求める。
もちろん
私達には安全欲求
がある。
安心したいし、
安全でいたいし、
安定していたい。
しかし
本当の安定を
手に入れると、
刺激が
欲しくなる。
それが
健康的な人間の
業だ。
私のクライアントさんで
とても力を持った
コーチがいる。
3年ほど前に
出会った頃は
収入がほとんどなく、
来月からどのように
生活していこうか?と
彼は悩んでいた。
ところが今は、
出会う人ほぼすべてから
信頼され、
お客様が
増え続け、
一度、お客様になれば
皆が「ファン」になり、
リピートが続き、
しかも
コーチとしての能力も
直観力も
研ぎ澄まされ、
短時間で仕事に
対応し、
収入も凄いが、
時間もたっぷり
あり、
人生そのものを
謳歌している、
・・・という状態に
なれた。
この状態は
これからも拡大し、
何をどうすれば、
お客様に喜んで
いただき、
どうすれば
自分がさらに
成長でき、
どうすれば
これまで以上に
人生を謳歌できるか?
それらがすべて
わかるように
なりました、
と彼は
目を輝かせた。
言ってみれば、
質も量も
人生の成功者と
言えるだろう。
自分の望む人生を
手に入れた
のだから。
ところが・・・。
「僕は、
このまま成長を続ける
人生では
満足できません。」
と、
前回のコーチングで
彼は言った。
逆に私は
彼に言ったものだ。
このままの流れで
行けば、
さらに成長も進化も
できるんだよ。
幸せな人生
だよ。
調和の人生
だよ。
このまま
行っても、恐らく
世界中の多くの人達が
喜んでくださるビジネスが
展開できるし、
今以上に
日々の充実感が
増すんだよ。
・・・と。
ところが彼は
「いえ、
やはり、このままの流れの
成長では
満足できません。」
・・・と。
一般的な意味での
真本音100%の人生を
彼は
手に入れたし、
真本音の願いを
実現できる人生の流れにも
入った。
にも関わらず、
さらに彼は
「逸脱」
したいのだ。
それを見て、
あぁこれが
人間なのだな、
と改めて私は
感嘆した。
じゃあ、私も
あなたへのサポートの
仕方の次元を
変えなければならない。
これまでとは違った
質の
コーチングに入るよ。
と私は
彼に伝えた。
その瞬間からもう
彼の内側から
これまでとは違った質の
エネルギーの波が
放たれ始めた。
彼は言った。
「恐らくここからの
私の人生は、
五里霧中です。
何をどうやればいいのか、
今は全くわかりません。」
と。
「五里霧中」。
これが
彼の選んだ道だ。
真本音の道はもう
観えているのに、
さらに
もっと先の次元の
道を行こうとする。
するとまったく
何もわからなくなる。
それはそれは
不安である。
でも、
彼はその道を
望むのだ。
こういう人を
私は
『変態』
と呼んでいる。
真本音の道にも
二つある。
「普通の真本音の道」
と
「変態的な真本音の道」
だ。
後者の道に
入る人が、
一人、
また一人、
と
今はまだほんの
数えるほどだが、
増えてきた。
面白い。
実は、
私の魂が最も
震える瞬間であり、
私自身の
コーチング力は
こういった人のためにこそ
活用されるべきではないか、
と
最近は
思い始めている。
面白い。
とても
面白くなってきた。
今後の世の中の
展開そのものも、
これから
こういった「変態達」によって
とても面白いものに
なるのだろう。
つづく
新しい世界に
入る。
未知の世界に
足を踏み入れる。
・・・というのは
あなたにとって
ワクワクすることですか?
それとも、
不安ばかりが
生じることですか?
実はですね。
この仕事を22年やり続けて、
一つ強烈にわかった
ことがあるんです。
新たな世界
未知の世界に
入ることを
恐れ、
「私はこのままでいい!」
と思っている人は、
余程のことがない限りは、
「食わず嫌い」
なんだ、ということが。
「今、このままの
状態が
永遠に続けばいい」
と心底から
願っている人は
ほぼ、
いないのです。
これが
私達人間の本性であり
本能です。
私、
このままでいい。
私、
自分を変えたくない。
というのは
とても不自然な
ことなのです。
人として
不自然なのです。
ちょっと極端に
聞こえるかも
しれませんね。
でも、
人と向き合えば
向き合うほど、
どうしても
そう思えるのです。
みんな、
自分を変えたくて
しょうがないのです。
・・・・・・
あまり経験で
ものを言うのは
どうかな?
と思うのですが、
でもあえて
書きます。
私の体験上、
「私は私を
変えたくありません」
と
言っている人ほど、
いざ、
未知の世界に
足を踏み入れ、
自分の変化を
自分で感じ取ると、
びっくりするくらいに
変化すること自体を
楽しみ始めます。
まぁ、
かく言う私自身が
そうだったのですが。
そして、
どんどん
変わり続けること自体が
自分自身に
安定と安寧を
もたらしてくれることを
私達は知るのです。
安定や安寧を
求めるが故に
自分が変わることを
状況が変わることを
頑なに拒んでいたのに、
そこには
安定も安寧もなく、
ただただ
不安だけが日々
募るだけ。
いざ、
未知の世界に
足を踏み入れ、
自分が変わり始めると、
そこで初めて
真の安定と安寧を
得る。
こんなカラクリ
ありなの?
と私はよく思うのですが、
でもこれが
私達人間なんですね。
進めば進むほど
安定し、
止まれば止まるほど
不安定になる。
進めば進むほど
刺激は増え、
ということは、
「刺激」と「安定」は
比例する
ということです。
本質的には。
・・・・・・
私自身は
と言えば、
私はもっともっと
自分を変えたいです。
自分でも知らない
自分自身を
もっともっと
見たいですね。
そしてそれ以上に
もっともっと
自分の知らない世界を
見てみたい。
これまでも結構
冒険はしてきた方だと
思うのですが、
いやぁ。
本当の冒険は
ここから、かな。
そう思っています。
私は
もっともっと
冒険できるし、
あなたも
もっともっと
冒険できます。
せっかくの
人生なので、
同じところに
留まっていないで、
どんどん
進んでみましょうよ。
これまでの最高速を
遥かに超える
かつてない
スピードで、
あなたも前に前に
進んでみませんか?
つづく
<ご案内>
本当の意味で
自分と向き合う
ことをしますと、
私達人間は
じっとしていられなく
なります。
人生をどんどん
進めたくなるのです。
そして
そのための
具体的な術が
観えるようになります。
いえ、
正確に言えば、
すべてが観えるわけでは
ありません。
時には、
次の一歩のみが
観えるというケースも
あります。
しかしそれでも、
次の一歩は
観えるのです。
そしてその一歩を
素直に
進んでみる。
その連続で
人生はどんどん進み、
どんどん加速します。
これまで
経験したことのない
楽しく充実した
展開を
私達の真本音は
私達自身に
プレゼントします。
そんな人生に
シフトチェンジしませんか?
ご興味ありましたら、
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『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私は
「たけうちなおと」
という一人の人間ですが、
私自身が
「たけうちなおと」
と思っているものと
真実の
「たけうちなおと」
は
異なるものです。
私は
私自身のことを
恐らくまだ
これっぽっちも
理解できていないでしょう。
ちなみに私は
特にこの16年間は
自分と
向き合って
向き合って
向き合い続けて
まいりました。
自分のことを
理解しよう
理解しよう
理解しようと
し続けてまいりました。
その中で
「真本音」という
確固たる存在と
出会うこともできましたし、
私自身の中の
無限とも言える
多くの「反応本音」とも
出会って来ました。
毎日休みなく
24時間
私は自分自身と
向き合い続けようと
して来ました。
それが私の使命であるし、
世の中における
役割であると
ずっと思って来ましたし、
今ももちろん
思っています。
そして、
その現場と現実の中で
得ることのできた
自分自身との向き合い方を
「セルフコーチング法」
として
体系化もしています。
その体系化されたものは
日々、
進化を続けています。
それは
机上の空論的な
ものではなく、
あくまでも
現場と現実の中で
発見された
「生」のものです。
それを
16年、ずっと続けて来た
私が断言します。
私は
今もって
私自身のことを
これっぽっちも
理解できていない、
と。
そして、
私が認識している
「たけうちなおと」
と、
真実の
「たけうちなおと」
は
異なるものである、
と。
それほど
私達人間とは
奥の深いものです。
というよりも、
自分で自分のことを
理解し切れないように
できているのが
私達人間であると
言ってもよいでしょう。
自分のことが
わからないのが
「人間」
なのです。
・・・・・・
しかしだからと言って、
自分のことを
理解しよう
とすることを
あきらめましょう
という話では
ありません。
むしろ、
逆です。
わからないからこそ、
永遠に
理解しようと
し続けるところに
私達が存在する意味が
あるのではないでしょうか。
理解できるかどうか?
ではなく、
理解しようと
し続けるかどうか?
それができている人は
それをしているという
そのプロセスそのものが
魂や心を
満たしてくれるのです。
逆に言えば、
私達人間は
永遠に
「わからない自分を
わかろうとする」
「理解できない自分を
理解しようとする」
ように
できているとも
言えます。
つまり、
「わからない」こと
「理解できない」こと
そのものに
価値があるという
ことです。
これが、
私は
人間の本質の一つ
であると
思います。
だから今日も私は、
自分のことを
理解しようと
し続けましたし、
明日も
そうするでしょう。
そして
その生き方が
私の魂と心を
満たし続けて
くれるでしょう。
さらに、
魂や心が満たされた私が
向き合うことで
私と向き合った方々の
魂や心も
満たされ始めるでしょう。
もちろんこれは
私だけに限られた
ことではなく、
自分を理解しようと
真剣に生きる人は
すべて、
周りの人達の
魂や心を満たすきっかけを
与えることができるでしょう。
・・・・・・
わからないものを
わかろうとするのは
人の本能の一つです。
その、
わからないものの
筆頭が
自分自身です。
ですから、
「私のことを一番
わかっているのは
私だから」
と思うこと自体が
もったいない。
あなたは
そんなもんじゃないよ!
と私は
お伝えしたい。
いや、
そうお伝えし続けているのが
私のサポートの
本質かも知れませんね。
そう。
あなたは
そんなもんじゃない。
あなたが
あなた自身だと
思っているその「あなた」は
単なる
幻想です。
思い込みです。
ちょっと言い方が
きつければ、
それはあくまでも
「あなたのほんの一部」
に過ぎない、
ということです。
その
「ほんの一部の自分」
に執着し、
その
「ほんの一部の自分」
を守るためだけに
人生の貴重な時間を
使ってしまうのは
もう
やめてしまいましょう。
それよりも、
未開発の
未発見の
あなた自身を
見つける旅を
しませんか?
それはそれは
楽しい
冒険の旅ですよ。
「冒険」は
今この瞬間から
もう、すぐに
始めることが
できますよ。
つづく
心を静かにし、
目を閉じてください。
自分が今、
一本の道を歩いている
イメージをしてください。
自分の人生の道
のイメージです。
過去から今日までの
道。
そして明日から
さらに未来に続く
道。
過去、今、未来・・・。
その3点を同時に
感じてください。
そうした時に
あなたの魂は
静まるでしょうか?
それとも
騒がしくなるでしょうか?
魂が静まるのと
心が静まるのは
本質的に異なります。
例えば、
心が大騒ぎをするような
大都会の雑踏の中にいても、
時折、
魂が非常に静かになる
瞬間があります。
魂の静けさとは、
外部環境から影響を受けるもの
ではありません。
それよりも、
自分自身の生き方、
自分自身の
意思の持ち方、
そして、
自分自身の
願いの持ち方によって
魂は騒がしくなったり
静かになったりします。
要するに
内面的な理由です。
そこでもう一度。
自分の人生の道を
イメージした時、
自分の過去、今、未来の
3点を感じた時、
あなたの魂は
静かになるでしょうか?
もし
静かになれば、
今のあなたの生き方と行き方に
あなたの魂は
納得しています。
もし騒がしくなるのであれば、
あなたは
自分が本当に望む
生き方と行き方とは別の
生き方と行き方を
しているのでしょう。
その場合は、
何が問題なのだろうか?
と、
自分自身に問うてみて
ください。
自分の心に問うのではなく、
自分の魂に
問うのです。
・・・・・・
魂が静まる道。
それは、
現実レベルでは
冒険の道、である可能性が
高いです。
つまりは、
ハラハラドキドキするような
道です。
これまで
やったことのないことに
挑戦する。
自分にはできない、と
思い込んでいたことを
やってみる。
未開の地に
一歩ずつでも
進んでみる。
本質的には、そのような道を
望んでいる人が
多いからです。
この傾向は、
今年に入ってから
飛躍的に高まりました。
今の多くの人達の
人生の潮流は
「冒険」
です。
冒険すればするほど、
私達の魂は
静かになります。
それが望む
生き方であり、
行き方だからです。
冒険しようとすると、
「いやいや、私は安定がいい!」
という心が
反動のように発生するでしょう。
人は皆、
安定を求める生き物でも
あります。
しかし、
冒険を止める安定とは
反応本音に過ぎません。
なぜなら、
真の安定とは
冒険の中にこそあるからです。
冒険をせずに
同じところに止まり続けることで
私達の心は安心するかも
しれませんが、
私達の魂は
逆に不安定になります。
その不安定さを
打ち消そうとして、
さらに私達は止まって
しまいます。
しかし止まれば止まるほど、
さらに魂は不安定に
なります。
そしてさらにその人は
止まり・・・。
挑戦をしない人ほど
弱くなるのは、
挑戦をしないという
経験不足が招いている
からではありません。
挑戦をしない、
冒険をしない、
ということによる
魂の不安定さが
その根本原因です。
私達の魂は
もともと冒険を望んでおり、
というよりも、
冒険するために生まれたのが
「人間」という存在であり、
その本来の生き方を
取り戻そうという意志が
ニョキニョキと
芽生えてきているのが、
今年に入ってからの
傾向なのです。
つまりは、
自分自身に本当に
素直に生きるということを
すれば、
私達は自然に冒険の道に
入っていくことになります。
・・・・・・
「冒険」とは、
表現を変えれば、
既存の何かを壊し、
新たな何かを創造する
ということです。
「壊す」
という表現をすると
さらに怖さや不安が
増すかもしれません。
しかしやはりそれも
反応本音です。
今、
私達の中には
壊したいものが
あるはずです。
その衝動に
素直になることが
冒険への第一歩です。
魂の衝動。
これも最近、
本当によく感じることです。
魂の衝動に
今、
突き動かされようとしている人が
激増しています。
そんな時は
その衝動に
素直になることです。
怖いかもしれません。
でも、
素直になることです。
そうすれば、
一気に自分が
変わります。
そして、
一気に
安定を得ます。
ドッシリと
構えることができるように
なります。
真の安定とは
こういうことだったか、と
わかります。
冒険を
躊躇している人へ。
その躊躇は横に置き、
一歩を踏み出して
みましょう。
今が、
人生を変えるチャンス
です。
つづく
想像を絶する展開、
という書き方をすると
なんと大袈裟な、
という印象になるでしょうね。
このような文章を書いている時
私はいつも思うのです。
事実をなかなかその通りには
書けないなぁ、と。
なぜなら、事実をその通りに書けば、
なんか嘘っぽくなるんです。笑
本当にそんなことあるの?
という疑問符が、
初めての人にはついてしまうでしょう。
でも、
事実は小説よりも奇なり
という言葉があるように、
本当は
私達人間が頭の中で想像するよりも
遥かに凄いことが
実際には起こります。
で、私はそういうことを
日々、当たり前のように
体験しています。
すげーなぁ。
こんな展開になるんだなぁ・・・。
と感嘆することが
毎日の日課のようなものです。
人間とは本来、
想像を絶するものです。
ですから私は、
想像することを、ある時から
やめてしまいました。
どれだけ想像しても、
それ以上のことが起こるからです。
想像するだけ損だな、
と、ある時から思うようになりました。
そして
想像するだけ、自分を枠にはめてしまうな
とも気づいたのです。
私達は私達自身を
あらゆる方法によって
枠にはめています。
枠とは限界です。
限界にはめることで、
想像を絶する展開を
起こらないようにしています。
しかも
想像を絶する展開を起こそう!
と意図すればするほど
それは、自己満足になります。
自己満足の想像を絶する展開は
想像内の展開に過ぎません。
しかも自己満足は、
自分の次元を著しく下げることにも
なります。
すべての意図を手放した時、
初めて想像を絶する展開は起こりますし、
それが起きているその瞬間は
想像を絶する展開、とは
認識しません。
その時その瞬間には
当たり前のこと
当たり前の展開が
起きているように思います。
普通に
物事が進んでいる。
そう思えるのです。
でも、ちょっと時間が経った後で
振り返ると、
すげーなぁ、なんでこんなことになったんだ?
とびっくりします。
しかもそれはもう
起きてしまったことなので、
後には引けません。
先に進むしかなくなるのです。
で、ある意味あきらめて
先に進みます。
するとそこにはまたもや
凄い展開が待っています。
真本音で生きるということは
そういうことになります。
そして、
真本音とは
その時の自分自身の最高次元の意識
と言うこともできます。
私はすべての人が
真本音度合いが100%になれればいいなぁ
と思っています。
そうすれば、
すべての人が
その時その瞬間の最高次元の自分として
物事の判断と決断が
できるからです。
すると、
その人にとっての
想像を絶する展開が起こります。
しかし、想像を絶してはいても、
その人の心が壊れてしまうほどのものでは
ありません。
あくまでも、
その人の範疇です。
ちょっと変な言い方になりますが、
その人の魂での範疇
になります。
でも、
その人の心では
想像を絶しています。
魂では範疇であり、
しかし心では想像を絶する。
その絶妙さ。
それを味わえるのが、
その時その瞬間の最高次元の自分で生きる
と言うことです。
真本音で生きる
と言うことです。
そうなると人は
人生をとてつもなく面白く
感じます。
一般的によく言われることですが、
人は、
安定を求めます。
その一方で、
安定を手に入れると逆に
冒険を求めます。
例えば、
毎日安定した日々を送ることが
できるようになった人は、
ジェットコースターに乗るような
刺激が欲しくなる、
と言うことですね。
これはよく言われることですが、
しかし本当は
安定と冒険は反対のことを言っているのではなく、
安定と冒険は一致するのです。
なぜなら人は
自分に出せる最速で前に進んでいる時
こそが
最も安定を感じるからです。
魂では範疇にあり、
しかし心では想像を絶する展開を
生きる。
これは、
安定と冒険を同時に実感できる
私達人間にとって
最も幸せな人生です。
そしてその人生は、
誰もが、
そう、人類全員が
手に入れることが可能なのです。
つづく