努力

努力してる?

 

「努力」

という言葉を

聴くと、

 

やりたくないことを

一生懸命やること

 

のような

イメージがある。

 

自分を縛っていく

感じだ。

 

しかし私は

そうではないと思う。

 

努力とは

自由になるために

行なうものだ。

 

例えば、

この世の中では

技術が身につくことで

自由自在になれること

がたくさんある。

 

例えば自転車。

 

最初は

自転車に乗ることは

容易ではないが、

 

努力して

自転車の練習を

繰り返せば、

そのうちに

自由自在に乗り回せる

ようになる。

 

自分を

自由にするために

行なうこと、

それが本来の努力だと

私は思う。

 

ところが、

 

その努力を怠る人が

多いんだな。

 

自分のための

努力であり、

 

その努力をすることで、

他の人にも

とっても良い影響が

あるだろうに、

 

その努力を

面倒だから、という理由で

しない。

 

そして

「私は自由でいたいから

そういう努力はしません」

へっちゃらで言う。

 

いやいやいや。

 

それは

不自由な生き方だな。

 

そんな不自由なままで

人生を進めてしまって

本当にいいのか?

言いたくなる。

 

逆に

普段から努力を

続けている人は、

 

その人の真本音が

発動すると、

凄いことになる。

 

真一文字に

邁進する。

 

なかなか勇気の出ない

判断も

 

ある意味

捨て身な覚悟で

決断し、

 

実行に移す。

 

そして

そういう人ほど

本人は

努力だとは思って

いない。

 

そういう人は

「努力」という言葉は

使わないかもしれない。

 

自分の願いに

向かって

進んでいるだけ

だからね。

 

つづく

 

私達には役割がある

 

世の中は、

自分一人だけでは

力及ばぬこと

ばかりである。

 

私には

「できないこと」

ばかりである。

 

「できないこと」

というのには

二つの要素がある。

 

「能力的にできない」

ということと、

「やってはならない」

ということだ。

 

そしてこの二つは

完全に

つながっている。

 

私達には

「役割」

がある。

 

それは私達自身が

真本音で

決めている。

 

自らの本当の役割を

見つけ出すことが

人生の最初の

目的だ。

 

そして

その「役割」を

全うするために

私達は皆、

先天的な能力を

持ち合わせている。

 

これをつまりは

「才能」

と呼ぶ。

 

「才能」とは

少しの努力で

ぐんぐんと伸びて行く

力を言う。

 

しかし

面白いことに、

どれだけ優れた

「才能」があっても、

 

それを

使わなければ

それは

まったく発揮されない。

 

だから

自分の「才能」に

気づかずに

人生を終えてしまう

人も多い。

 

多い、

と言うか、

びっくりしないで

いただきたいのだが、

私の現場感覚では

9割以上の人が

自らの「才能」に

気づいていない。

 

そして

「才能」以外の部分を

必死に努力して

伸ばしながら

生きているし、

仕事をしている

という現状がある。

 

だから私の

「コーチ」としての

目的の一つは、

 

その人の

「才能」を見出すこと。

 

そして

その人の真本音が

望む「役割」

を見出すことだ。

 

組織において、

(組織外でも同じだが)

その「役割」と「才能」が

合致し、発揮されれば、

 

そういった人達が

増えれば、

間違いなくその組織は

「調和」する。

 

そして

「進化」を始める。

 

それが如実に

「数字」となって

現れる。

 

・・・・・・

 

「才能」は

見つけ出さねば

発揮されないが、

 

見つけ出すだけ

ではダメだ。

 

次は、

それを伸ばす努力

が必要だ。

 

「才能」は

努力をすれば

すぐに伸びるが、

 

努力もしなければ

まったく伸びないように

できている。

 

まったく

人間というのは

面白い。

 

「才能」が伸びるように

努力するということは、

イコール、

その「才能」に見合った

「役割」に挑戦する

ということだ。

 

その「役割」を

担うのが

私達の人生の望み

であり、

真本音の望みなので、

 

要するに、

真本音に素直に

生きることで、

「役割」を見つけ、

「才能」も掘り出される。

 

その結果、

 

・自分がすべきこと

・自分がすべきではないこと

 

が自然に

明確になる。

 

組織も社会も

ここが混乱している

ので、

不調和が起きてしまう。

 

一人一人が

真本音で望む「役割」を

しっかりと担えば、

組織も社会も

自然に調和する。

 

つまり、

本当に面白いことだが、

 

「この組織を

こうするために

人をどうするか?」

 

という方向で

考えるよりも、

 

「この人を

本当に活かすために

どうするか?」

 

を出発点にする

ことで、

 

自然に組織は

進化して行く。

 

組織とは

人の集まり

だからだ。

 

この原則を

実践しているのが、

私のサポートの

真髄だと言ってもいい。

 

私は

こういった「コーチ」を

育成したいのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

それは本当の全力ではない

 

もし仮に、

私達に翼が生えた

とします。

 

翼を広げれば、

自由に大空を

飛ぶことができます。

 

空からも

地面からも

両方から

物事を見ることが

できるように

なりました。

 

足で走るよりも

何倍もの速度で

移動できるように

なりました。

 

地面のみにいる時には

大きな障害だった

ものも、

翼を使えば、

ヒョイっと

ひとっ飛びです。

 

その翼は

とても力強く、

誰か他の人を抱えて

飛ぶこともできます。

 

まだ翼の生えて

いない人を抱えて、

あえて空に

連れて行き、

そこからすべての物事を

眺めてもらうことも

できます。

 

そのような翼を

私達は手に入れたと

します。

 

・・・・・・

 

ところが、

せっかく手に入れた

翼を

まったく使わずに、

 

私はずっと

地面を走り回れば

良いのだ、

これまで通りに。

 

と思ったとします。

 

そして

翼を使わずに、

足を使って

全力で地面を走り回り、

いかに地面を

スピーディーに走るか?

ということに

全力を費やしていたと

します。

 

私はこれを、

 

「現実逃避」

 

と呼んでいます。

 

ちょっとキツい

言い方ですか?

 

でも

それが事実です。

 

本当は翼を

使えるのに、

それを使わずに、

別のことに

自分の労力と時間を

費やす。

 

本当は、

全力を尽くすべき

ことがあるのに、

そこに向かわずに

別のことに

全力を注ぐ。

 

「全力を注ぐ」

ということについては

素晴らしいことだと

思いますが、

「全力を注げばいい」

ということでは

ありません。

 

私達にとっては、

 

「どこで、何に対して

全力を注ぐか?」

 

こそが大切であり、

それをしっかりと

見極め、

実行することを、

 

「真剣に生きる」

 

私は呼んでいます。

 

努力や全力を

言い訳にして、

本来すべきことを

まったくしていない人、

 

本来進むべき道を

まったく進んでいない人、

 

は、

とても残念ですが、

多いです。

 

どれだけ努力をしても

どれだけ全力を

尽くしても、

現実逃避をしていては

私達の真本音は

力を発揮しません。

 

それどころか、

「真剣に生きているフリ」

をしている自分を

最も嫌がります。

 

よく私は、

「真本音が家出する」

という表現を

使うのですが、

 

そういった人の

真本音は

まるで家出をして

しまったかのように、

まったく機能しなく

なります。

 

当然、

その人本人には

とてつもないストレスが

生じます。

 

あまりに

とてつもないので、

心の中が麻痺します。

 

麻痺をしながらも、

現実逃避をし続け、

本来ではないところに

全力を注ぎ、

 

「私は全力を尽くしている」

 

と自己満足している

わけです。

 

私はそういう人を

許しません。

 

命の無駄使い

だと思うからです。

 

ちょっと

キツ過ぎますか?

 

でも、それくらい

キツい見方をして

関わらないと、

その人は

現実逃避をいつまでも

やめようとしないのです。

 

・・・・・・

 

私はいつも

申し上げます。

 

本当は

人生は

もっと楽に

進める、と。

 

なぜ、

楽にならないか?

と言いますと、

 

現実逃避を

しているからです。

 

現実逃避をすることで、

無駄な確執が

起こります。

 

無駄な不調和が

起こります。

 

そしてそこでまた

無駄な全力が

増えていくのです。

 

そのサイクルから

いい加減に

抜け出しませんか?

 

自分のためにも。

 

人のためにも。

 

つづく