勢い

行っちまうか

 

進んでみなければ

わからない景色は

確かにある。

 

勢いだけで

進むことを私は

オススメしないが、

 

たまには

良いかも知れない。

 

今、ここは

あえて

勢いだけで

行っちまおうか。

 

・・・と。

 

それだけの自覚が

あれば、

それも良いかも。

 

ふと思った。

 

よくよく考えれば、

以前の私は

ずっとそうだった。

 

おかげで

随分と痛い目に

遭った。

 

痛い目に遭ったが、

私の場合は

痛い目に遭わないと

直らないものは

 

やはり確かに

あったのだ。

 

上手く進む

よりも、

 

ゴツゴツと

いろんなところに

ぶつかりながら

行くのも、いい。

 

本人に

その自覚と覚悟が

あれば。

 

道。

 

自分の道。

 

それは誰にも

ある。

 

しかも相当に

ハッキリクッキリ

している。

 

しかも

目の前に

まっすぐに

展開している。

 

にも関わらず、

私達の多くは

その自分の道に

気づかない。

 

目を瞑って

いるからだ。

 

目を開けば

すぐにわかるのに、

 

閉じているから

いつまで経っても

道は観えない。

 

そして、

痛い目に遭わないと

目を開けない人も

いる。

 

私がそうだった。

 

であれば、

それはそれでいい。

 

道。

 

しかし私は

自分の本当の道を

本当に知りたい、

という

意志だけはずっと

強く持ち続けた。

 

だから

痛い目に遭っても

耐えれたのだと

思う。

 

道を知りたい。

 

自分の道を

知りたい。

 

その渇望さえ

あれば、

 

今は

勢いだけで行っても

良いのではないか。

 

つづく

 

無茶しろよ

 

勢いのある人は

凄いなぁ、とは

思うけど、

 

勢いだけで

進んでいる人は

弱っちいなぁ、と

思う。

 

勢いに任せて

進むというのは

弱さの現れだと

私は思っている。

 

勢いがなきゃ

進めないという

ことだもんね。

 

今の自分に

勢いがあろうと

なかろうと、

 

そんなことは

お構いなしで、

 

一つ一つ

淡々と

やるべきことを

やっていく。

 

そういう人ほど

実はちゃんと

道を創っていく。

 

自分をコントロール

できるから。

 

一つ一つに

自分がどれだけの

エネルギーを注げば

良いのかを

見極めながら、

 

エネルギーの強弱を

絶妙につけながら、

最善の一歩を

進み続ける。

 

そんな人ほど、

表面は

淡々としていても

その内側に秘めた

パワーは圧縮され、

 

いざという時には

無尽蔵とも言える

エネルギーを

一点に集中して

注ぎ出すことが

できる。

 

そんな風に

なれるといいなと

私は思うね。

 

勢いとは

勢い以上のものには

なれない。

 

私達が目指すべきは、

勢いを闇雲につける

ことではなく、

 

勢いをコントロールする

(マネジメントする)

力をつけること

ではないかな。

 

ただし。

 

以上をしっかり

わかった上で、

 

その上で、

 

あえて勢いに

身を任せる

 

というのは、

逆に

あり、だと思うよ。

 

そんな経験が

あるからこそ、

コントロールの力も

養えるんだ。

 

制御不能。

 

限界を超える。

 

という経験をしてこそ、

私達はちゃんと

進めるようになるんじゃ

ないかな。

 

だから

たまにゃあ、

無茶しろよ。

 

つづく