自分の今いる場所が、
無限に広がる世界であると感じても、
それは決して無限ではありません。
その世界そのものが、
一つの「枠」です。
そこには限界と境界があります。
私達が、今いる世界の中で進化を続ければ、
必ずその「枠」の存在を感じるようになります。
これまで無限だと思っていた世界なのに、
窮屈さを感じるようになるのです。
それは、「枠」を壊す前兆です。
刻一刻と私達は進化を続け、
自らは大きく大きくなっていきます。
そして自分自身が「枠」いっぱいに
広がります。
広がるけれど、すぐには「枠」は
壊れません。
ですからどんどん窮屈さが増していきます。
窮屈さが苦しみを生みます。
その苦しみを、素直に
認識することこそが大切です。
私達は、その苦しみに打ち勝つかのように、
内側から「枠」を壊します。
私達が本気で「壊そう」と決めた場合にのみ、
「枠」は壊れます。
見事に「枠」が壊れれば、
私達は急に「開放感」と「自由」を得ます。
そこには、
無限の世界が広がっているのです。
その無限の世界で、
私達はさらにさらに進化を続け、大きくなります。
これまで自分が入っていた「枠」は
信じられないほど小さかったことが
わかります。
自分が大きくなるにつれ、
その「枠」はどんどん小さくなり、
しまいには、砂粒くらいになり、やがて
見えなくなります。
それくらいの勢いで私達は
大きくなっていきます。
無限の世界の中で、
大きくなって行くのです。
・・・が。
その「無限」だと思っていた世界においても
またもや「枠」の存在を感じるようになります。
だんだん窮屈さが生まれ、
その新たな「枠」の中でギュウギュウ詰めと
なります。
そしてまたその「枠」を
私達は、内側から壊します。
・・・その連続です。
これが、私達人間の「自然」な人生です。
進化の人生です。
いったいそれはいつまで続くのか?
そんな疑問が湧きますが、
それは、それこそ無限に続きます。
じゃあいつになったら私達は
達成感を感じるのか?
幸福感を感じるのか?
その答えは、
「今この瞬間に」
です。
進化とは、過程(プロセス)では
ありません。
進化とは、
それ自体が目的です。
本当の進化を続けるならば、
毎日毎日が達成感と完了感と
幸福感に満たされます。
それが、
真本音で生きる、ということです。
一つの「枠」を壊すことを
『脱皮』と呼んでいます。
それは、一つ、次元を高めることでも
あります。
脱皮をし、次元を高めると、
私達が、これまでの「枠」の中でこだわっていたことが
本当に些細なことに感じられます。
AかBか?
とずっと悩んできたことが、
「どっちでもいいじゃん」
となります。
逆に言えば、
もし今、AかBか? で悩んでいたとしたら、
「どっちでもいいじゃん」
と呟いてみると、案外、面白いです。
これまでとは少し違う、
一つ次元の高いところからの発想が
生まれるかもしれません。
(→前回記事)
ところで、
ちょっと話は変わりますが、
皆さんは、「自分らしさ」って
何だと思いますか?
実は、ほとんどの人が
反応本音レベルの思考と行動のパターン
を「自分らしさ」であると勘違いされています。
それはあくまでも
「よく現れるパターン」であって、
真の「自分らしさ」ではありません。
自分の「こだわり」を自分らしさであると
思い込んでいる人も多いです。
しかし、真の「自分らしさ」とは
その「こだわり」をすべて手放した時にこそ
発現します。
「AではなくてBである」
・・・これが「こだわり」の一つの形です。
ですから、「こだわりを手放す」とは、
「AでもBでも、どっちでもいいじゃん」
となることを言います。
しかし、一つのこだわりを手放せば、
その奥から、次のこだわりが現れます。
例えば、
「CではなくDである」
というように。
これをさらに手放します。
つまり、
「CでもDでも、どっちでもいいじゃん」
と。
するとその奥から、
さらに次のこだわりが姿を現します。
そしてまたそれを手放します。
・・・・・
これを続けて、すべての「こだわり」を
手放したとします。
しかしそれでも最後に残るものがあります。
その最後の最後に残ったもの。
それこそが、真の「自分らしさ」の大本です。
つまり、
「どっちでもいいじゃん」を
突き詰めれば、
真の自分らしさに、行き着きます。
「どっちでもいいじゃん」とは、
強烈な一言なのです。
つづく
木村さんには仕事に対する信念が
ありました。
「仕事とは、自分を演ずることである」と。
しかしそれは自己防衛のための信念であったと
彼本人が認めました。
(→前回記事)
彼は自分の中の最も見たくなかった自分、
醜いと思っていた自分をあるがままに
見つめることができました。
私は心の中で拍手を送っていました。
しかし私はここで彼への厳しい問いを
終えるわけにはいきませんでした。
なぜなら、
彼の真本音が、次の問いを望んでいたからです。
それは非常に重要な問いでした。
「木村さん、
自分を変えたいですか?」
「・・・はい。」
「そのためには、これまでの自分を
自ら壊さなければなりません。
これまでの自分を壊しますか?」
ここで木村さんは止まりました。
しばらく、無言でした。
そして、呟きました。
「・・・怖いです」と。
自然な反応です。
これまでの自分を壊す、とは、
本人にとってみれば、自分のすべてを壊すのと
同じこと。
あとは何も残らないのではないか、とか
自分が自分でなくなってしまうのではないか、
という恐怖感が襲います。
私は無言のまま、彼の次の発言を
待ちました。
こういった時は、何の言葉かけも意味を成しません。
ここは、
自分で決めなければならないところです。
例えばもしここで木村さんが、
「これまでの自分を壊すことはできません」
「その勇気は出ません」
と言われれば、私は無理強いはしません。
人には、できることとできないことがあるのです。
耐えられることと、耐えられないことが
あるのです。
ここまで真本音コミュニケーションを続けてきた上での
その答えであれば、
「今は本当に無理」
ということになります。
であれば、もっとソフトな別の方策を考える必要があります。
しかしこの時、木村さんは次のように答えました。
「怖いけど、・・・壊します。
今壊さないと、一生後悔しそうです。」
これは紛れもなく木村さんの真本音の言葉。
私はまたもや心の中で
彼に拍手を送りました。
「たけうちさん、どうすれば壊すことができますか?」
「壊すというのは、今ここでそれをしても
何の意味もありません。
日常の日々の中で壊していくのです。
自らの意志で壊していくのです。
毎日毎日、少しずつ。」
私がそう伝えると、彼は目を閉じました。
そして、
「わかりました。壊します。」
と力強く答えました。
ここまで宣言されたら、もう8割方大丈夫です。
彼の覚悟を感じた上で、私はお伝えしました。
「壊す、と言っても、実はこれまでの
パターンを壊すだけのことです。
もっと言えば、これまでの心と行動のクセを
直すだけのことなんです。
今の木村さんの覚悟があれば、必ずできるでしょう。」
木村さんの目が爛々と輝いてきました。
「やり方をお伝えする前に
木村さんに明確にしてほしいことがあります。
演じる木村さんではなく、本来の木村さんとは
どのような木村さんですか?
それを一言で表現できますか?」
この問いは、真本音度合いが高まっているからこそ
有効です。
高まっていない状態で問うても、
本当の答えは決して見つかりません。
木村さんからは
即座に答えが返ってきました。
「“素直に生きる自分”です。」
良い答えです。
しかし、まだまだ中途半端な感覚がしました。
「いい感じですが、もっともっと
本当の木村さんの想いを自由に表現できませんか?
もっと木村さんらしい言葉があるはずです。」
木村さんはジーッと目を閉じました。
そして、パッと目を見開きました。
「すごく変な表現が浮かんだんですが、
よいのでしょうか?」
「大丈夫ですよ。何ですか?」
「“生まれたばかりの無邪気”という言葉が
浮かびました。」
これを聴いた瞬間に、私は体の芯が
ゾワゾワっと痺れる感覚がしました。
その感覚はとてつもなく強く、
しばらく抜けることはありませんでした。
恐らく相当に心の深いところから掘り出された
木村さんの「願い」なのでしょう。
今度は、私の目に涙が溜まっているのが
自分でわかりました。
「それはどんな意味なのでしょうね?」
と私が問うと、
「自分で言いながら、自分でもよく
わかりません。
でもその言葉を思うと、心がすごく
洗われます。
スーッと楽になります。
なんかとても自由です。」
「じゃあ木村さん、
まずはその言葉をいつも思い浮かべていて
ください。
それはできますか?」
「はい、できるも何も、こんな気持ちのいい言葉なら
24時間想い続けますよ。」
「では、これまでの自分の壊し方は
あえてここではご説明しません。
いつもその言葉を思い浮かべながら日常生活を
送ってみてください。
そこで自分が何を感じ、どう変化するのかを
観察してみてください。
まずはそこから始めましょう。」
つづく