変わる

他者にできる最大のこと

 

人の成長を

決定づけるのは、

やはり

本人の意志だ。

 

「変わる」ことへの

勇気だ。

 

ここだけは、

なんともし難い。

 

・・・ということを

わかっている人じゃないと、

本当の意味での

サポートは

できないのだろう。

 

「私がこの人を(この組織を)

変えてやる」

 

という意識では、

残念ながら

表面的な変化しか起こせない。

 

上手くいっても

単なる、「膨張」しか

起こせない。

 

「膨張」は必ず限界が

来る。

 

そして「破裂」する。

 

それを成長とは

言わない。

 

それは単なる

膨張の果ての破裂

だ。

 

膨張をさせて

「俺が変えてやった」

と喜ぶ人もいるようだが、

それは単なる

傲慢だろう。

 

・・・・・・

 

皆、本当は

「変わる勇気」を

持ちたがっている。

 

「変わりたい」

「勇気を持ちたい」

 

という彼らの

真本音の気持ちに

アプローチすることが

 

他者ができる

最大のサポートなのだと

私は思う。

 

もちろん、

「変わりたい」

というのは

別物(別者)に変わる

という意味ではなく、

 

「本来の自分に

変わりたい」

ということだ。

 

ところが、

その変化の道

というのは、

スムーズではない。

 

緩やかにずっと

坂道を登るような

過程であれば楽なんだろうが、

 

そうはいかない。

 

道には

大きな段差がある。

 

時には、

垂直の壁を

攀じ登らねばならない。

 

それを

「怖い」

と認識する。

 

壁の前に立てば、

誰だって不安定になる。

 

そして

躊躇する。

 

もう、ここからは

進まなくていいのでは

ないか、と。

 

もう、ここまで来たから

いいじゃないか、と。

 

・・・・・・

 

他者にできるのは、

壁の攀じ登り方を

教えることだ。

 

それを私は

「セルフコーチング」

という形で

お伝えしている。

 

自分と正しく向き合う

ことで、

次の一歩として

何をすれば

壁を攀じ登ることが

できるか?

 

がわかる。

 

自分で自分を

指南する

正しい方法だ。

 

・・・・・・

 

セルフコーチングの

正しいやり方を

じっくりと教えるための

講座を今、

用意している。

 

が、

ちょっと苦戦している。

 

動画などももう

撮ったのだが、

 

今回、本当に集まるべき

人達に

ちゃんと届くメッセージに

なっているか?

 

となると、

ちょっと何らかの

違和感を覚えるからだ。

 

もういつでも配信

できるのだが、

躊躇している。

 

だから、全面的に

撮り直しをしようか、

どうしようか、

パートナーと共に今

悩んでいる段階だ。

 

この講座に関しては

ありがたいことに

よくお問合せをいただく。

 

いつ始まりますか?

と。

 

今は、

年末にはスタートできる

ように、というのを

目指しています。

 

ただ、

届くべき人に届かないと

意味がないとも

思っていますので、

 

もうしばらく

お待ちください。

 

・・・・・・

 

壁は、

自分自身の真本音が

自らに

与えているものだ。

 

真本音は、

決して無茶は

しない。

 

本当はちゃんと

それを攀じ登り、

次の世界

次のステージへ

入ることは

すべての人に

可能だ。

 

その事実を

知るだけでよいのだが、

 

それにはやはり

壁を超えた経験が

必要となる。

 

他者として、

経験の仕方は

教えることはできるが、

 

経験そのものは、

本人の意志に

かかっている。

 

つづく

 

変わりたくないからこそ変われる

 

人には

「変わりたくない欲求」

がある。

 

今のままの

自分でいたい、

 

今のままの

環境でいたい、

 

今のままの

やり方でいたい、

 

・・・と。

 

しかしそれらの

欲求達は

 

「変わるため」

にある。

 

「変わりたくない欲求」

を超えてこそ

私達は本当に

「変われる」。

 

抵抗のない

変化は

 

意味がない。

 

・・・くらいに

私達は思っているのだ。

 

・・・・・・

 

あなたは

あなたの何を

今、

変えたいだろうか?

 

それを知るためには、

 

あなたは今、

あなたの何を

最も変えたくないか?

 

目を向ければいい。

 

自分が最も

変えたくないもの

こそが

 

最も

変えたいもの

 

だ。

 

変わることに対して

最も抵抗するものが

 

最も

変えたいもの

 

だ。

 

あなたのその

「抵抗」を

 

じっと

見つめよう。

 

見つめるだけで

いい。

 

あとは

何もしなくて

いい。

 

ただただ、

じっと

見つめることだ。

 

その「抵抗」は

いったい

何者か?

 

それがわかるまで

じっと

観察を続けよう。

 

解釈は

いらない。

 

観察だけを

続けよう。

 

すると

その「抵抗」の

根本にある

「願い」が

自然にわかるだろう。

 

あとは

その「願い」を

素直に

受け取るだけだ。

 

あなたは

先に

進める。

 

つづく

 

厄介だがシンプルなんだ

 

人は

変われるか?

変われないか?

 

問われれば、

 

やはり、

 

「変われる」

答えるだろう。

 

この仕事を

続けていれば、

絶望的な場面には

幾度となく

出会う。

 

人の

変わらなさ

に失望したことなど

本当に

数えきれない。

 

もうちょっとなのに、

なんであの人は

あと一歩が

出ないんだ。

 

なぜ

そこで逃げてしまう。

 

なぜ

同じことをまた

繰り返すのか。

 

なんでこうも

この人は

変わらないのか。

 

・・・そういった

憤慨や

悲しみや

虚しさは

いやというほど

体験したし、

 

何度体験しても

まるで初めてかの

ように

辛かった。

 

私自身が

本当に

絶望してしまったことも

ある。

 

しかし

その度に、

想定外のところで

「人は変われるのだ」

という

体験をプレゼント

された。

 

人は

変わらない。

 

変わろうとしない

人は

いっぱいいる。

 

でも

やはり、

人は変われるんだ。

 

この印象が

ここまで現場に

い続けている

今の私の真実だ。

 

・・・・・・

 

いつだったか。

 

この人を

変えよう。

 

と意図することが、

その人の変化を

阻害する

という事実に

気がついた。

 

他者による

無理強いの意図は

その人を

頑なにさせる。

 

たとえ

表面上は

無理強いしていなくとも、

心の中に

その意図を持ち続ければ、

それが確実に

無意識レベルで

その人には伝わる。

 

それが

その人を

より頑固にさせる。

 

だからもう

「この人を変えてやろう」

という意図は

いっさい手放すことに

した。

 

とはいえ、

これは大変

難しいことだった。

 

とはいえ、

いつしかそういった

意図を

私はまったく

持たなくなった。

 

もちろん、

口頭では

「この人はどうすれば

変わるか?」

というお話はする。

 

しかし、

実は

私の心の中では

その意図は

完全に手放している。

 

それができるように

なってから、

人が

劇的に変わる瞬間を

目の当たりにする

頻度が

劇的に増えた。

 

人は

面白い。

 

変えようとすれば

変わらず、

 

その意図を

手放せば

変わってゆく。

 

ただし、

意図を手放すのと

何もサポートしない

のとは

まったく別の話だ。

 

人はどうせ

変わって行くのだから

もう何もしなくて

いい。

 

とやってしまうと

また、

その人は永遠に

変わらない。

 

まったく

厄介だ。

 

でも

だからこそ

面白い。

 

・・・・・・

 

人との関わりは

奥深く、

一見、とても

複雑で、

 

しかし実は

極めて

シンプルだ。

 

そのシンプルさ

気づけると

強い。

 

人との関わりで

揺らぐことは

なくなる。

 

しかしその

シンプルさとは

頭での理解では

理屈では

到底説明のできない

ものだ。

 

「感覚」として

身につけるしか

ない。

 

そのためには

多くの人と、

 

人生で

出会う

すべての人と、

 

向き合い続ける

ことだ。

 

まずは

向き合うこと。

 

これがやはり

すべての

スタートだと

思う。

 

シンプルに

人と関われる人を

私は増やしたい。

 

できれば

全人類が

そうなれるといいな

と、

願っている。

 

つづく