弱さ

そのままでいいだろ

 

息が苦しくなれば、

私達は

たったそれだけで

 

周りを見れなく

なる。

 

ほんのちょっとした

ことで、

私達は現実と

向き合えなくなる。

 

そして

一度、内に篭れば

そこから出ることは

非常に困難だ。

 

弱いものだな、

と思う。

 

しかしその

自分の弱さを

自ら知り、

受け入れている人は

強い。

 

弱い自分を

何とかしようと

するよりも、

 

弱い自分を

もう、そういうものだと

諦めて、

 

その上で、

 

じゃあどうするか?を

探究する。

 

それが

人の強さとなる。

 

弱さとは、

強さの

きっかけである。

 

弱さを

強さに変える

のではない。

 

弱いままだからこそ

強くなれる。

 

これが

私達人間だ。

 

そして、

 

強さとは

頑固さではない。

 

頑固さとは

弱さの一つの

現れだ。

 

強さとは、

しなやかさであり、

柔軟性であり、

 

包容力だ。

 

しかし

包容力とは

 

「私はすべてを

包み抱きます」

 

とやっている人は

まやかしだ。

 

それは

強さのフリを

しているだけで、

 

フリが上手いだけ

である。

 

真に包容力の

ある人は、

 

自分の包容力には

気づいていない。

 

ましてや

それを「売り物」

にはしない。

 

自分の弱さに

真摯に

向き合い続ける人

こそが、

 

自然に

包み抱くことが

できる。

 

本人の意図

ではなく。

 

しかしこう考えると、

まったく人間とは

難しい。

 

よくこんな難しい

生き物が

生まれたものだと

感心する。

 

しかし

難しいと思うから

難しい。

 

やることは

至ってシンプルだ。

 

今この瞬間を

真摯に生きる

のみだ。

 

弱さも

強さも

そのままに。

 

あるがままに

生きるのみだ。

 

つづく

 

なんて弱いんだ

 

私の仕事は、

人の弱さと向き合う

仕事でもある。

 

なんて弱いんだ、

この人は。

 

と思うことは

日常茶飯事だ。

 

しかし。

 

だからと言って、

この人はダメだ、

とは

決してならない。

 

なぜなら、

私自身にもまた

同じ弱さが

確かに存在している

からだ。

 

人は皆、

同じだ。

 

・・・・・・

 

自分の弱さに

負け、

逃げる方向に

人生の舵を切る人と、

 

自分の弱さに

負けずに、

現実に立ち向かう人。

 

その違いは、

 

ほんのわずかな

ものだ。

 

昔の私は

随分と

逃げた。

 

格好いいことを

言ったり、

格好いいふりも

随分としたが、

 

陰でこっそり

いつも逃げていた。

 

そして

そんな自分を

誰よりも

憎んだ。

 

自分自身を

憎み続けた。

 

そしてそのストレスで

心はさらに

弱くなり、

 

さらに

現実から逃げた。

 

そんな悪循環。

 

そこから抜け出せたのは、

様々な人との

出会いと、

 

そして

自らの真本音との

出会いのおかげ

だった。

 

・・・・・・

 

人の生き方は

そんなに簡単には

変わらない。

 

人が

別人になることは

ない。

 

しかし、

今の自分の心よりも

 

もっと本質的な、

もっと本来に近い

自分自身の心と

出会えば、

 

変われるかも

しれない。

 

いやそれは、

変わるというよりも、

本当の自分に

一歩近づくこと。

 

その一歩一歩を

進むことで、

いつしか人は

 

自分の弱さに

溺れなくなる。

 

・・・これが私の

体験であり、

これに基づいて

私は

今のお仕事を

続けさせていただいている。

 

・・・・・・

 

最後は

どこまでいっても

その人の生き方で

人生は決まる。

 

自分の弱さによって

逃げてしまうか、

それとも

立ち向かうか。

 

それを決めるのは

本人だ。

 

ちゃんと立ち向かえる

自分になるために、

強くなれ!

 

とは私は

言わない。

 

私がいつも

お伝えしているのは、

 

自分の弱さを

しっかり

見つめよう。

 

ということだ。

 

弱さから

目を反らすから、

弱さに

取り込まれる。

 

自らの弱さは

自ら

見つめる。

 

あぁなんて

自分は弱いのか。

と、

自らを

理解する。

 

それだけで

いい。

 

それができれば、

真本音の望む

生き方を、

 

人は

できるようになるのだ。

 

・・・・・・

 

・・・ってね。

 

でも、それ自体も

言うは易し、

行なうは難し、

だ。

 

自分の弱さを

自分で見つめること

すら

やっぱり

難しいんだ。

 

それは

わかる。

 

でも、

それは

やるしかない。

 

そこは

やるしかない。

 

その人が

そうできるように、

 

最後は

その人が決める

ことだと

よくわかっているが、

 

しかしそれでも

私は

 

他者としてできる

最大のことは

やり続けたいと

思っている。

 

つづく

 

今のままでいいわけないだろう

 

人には弱さがあっていい

と私は思っているし、

 

弱さのあるところが

人間味であるとも

思っている。

 

弱さがあるからこそ

できることがあるし、

 

弱さがあるからこそ

切り拓ける境地すらある。

 

しかし。

 

それは

「あきらめる」

こととは違う。

 

「弱さ」

「あきらめ」

対極にある

とさえ私は思う。

 

・・・・・・

 

自分の弱さを

本当に知り、

 

それを

受け入れ、

 

それを

時には反省する。

 

そんな人は

とても強い人だと

思うし、

 

実際にそういう人は

最大速で進むことが

できる。

 

逆に、

弱さを認められない人ほど、

 

止まる。

 

そしてさらに、

止まっていることを

ごまかす。

 

そして最後は

あきらめる。

 

何をあきらめるか?

 

「人生を」

である。

 

自分の人生を

あきらめてしまう。

 

あきらめたからと

言って、

人生が終わるわけでは

ない。

 

その人は

「人生をあきらめ」

ながら

人生を生きている。

 

そんな人が

今のこの世は

多過ぎはしないか?

 

・・・・・・

 

私の企業サポートは、

本質的に観れば、

 

人生をあきらめて

しまっている人達に

まずは、

「あきらめるな!」

と必死に訴え、

 

あきらめを

取り除くことから

始まっている。

 

・・・ということではないか、と

今日、気づいた。

 

あきらめている人達を

あきらめないように

するのだから、

 

マイナスからの

スタートだ。

 

しかし

そんな企業が

8割以上なのではないか。

 

出会った頃から

「あきらめていない人達」

のみの集団となっている

組織を

 

私はまだ

数えるほどしか

知らない。

 

もちろん。

 

あきらめていることを

本人達は

自覚していない。

 

だからこそ

タチが悪いのだ。

 

これが今の

世の中だ。

 

残念ながら。

 

・・・・・・

 

しかし、

今の若者達は、

 

特に

20代以下の人達は、

 

あきらめていない

人の割合が

明らかに多い。

 

一方で、

ここまで社会を

引っ張ってきた

大人達は

あきらめてしまっている人の

割合が圧倒的だ。

 

つまり。

 

あきらめた人達が

あきらめていない人達を

迎え入れて

教育と育成をしている。

 

これが今のこの世の

実態だ。

 

だいぶ

ドギツイ書き方を

しているな、今日は。

 

でも

はっきり書くと

そうなのだ。

 

これを私は

変えたい。

 

もちろん

「変えたい」

などと言うのは

傲慢だと知っている。

 

それでも

私は

現場で

実態を

ナマで

毎日

感じ続けて

いるのだ。

 

これくらい

言っても

良いだろう。

 

何とかせんと

いかんだろうが。

 

・・・・・・

 

私は人間なので、

人間として

できることしか

できない。

 

いっそのこと

魔法使いにでも

なりたいと

ほぼ毎日思っているが、

 

思っているだけでは

何も始まらないので、

毎日、

できる最大を

し続けている。

 

おかげさまで

私の周りは

「あきらめない人達」

ばかりになってきた。

 

でもここで

満足していては

ならない。

 

もっともっと

この輪を

広げねば。

 

本当のことを言えば、

私は自分の能力の

小ささを

毎日、不甲斐なく

思っている。

 

もっともっと

私に力があれば。

 

でも私の望む力とは

それはもう

「人間の力」ではないような

気もする。

 

「人間の力」でない力で

この場を乗り越えたとしても、

そこに

意味はない。

 

ということも

よくわかる。

 

だから

人間として

がんばるしかない。

 

あきらめてはいない

若者達を、

 

あきらめた大人に

変貌させてしまう、

 

そんな企業を

私は減らしたい。

 

だから私は

今日も明日も

私の持てる最大の力を

振るう。

 

あーチクショー、

もっと私に力が

あればなぁー。

 

つづく

本当はとてつもなくたくましい人

本当のたくましさとは

何でしょうか?

 

いつも申し上げることですが、

自分の弱さを

本当に知っている人ほど、

本当のたくましさを

発揮することができます。

 

人はもともと

たくましいのです。

 

たくましさとは

生きる力。

 

どのような現実に

さらされようとも、

着実に自らの力でもって

道を拓いていく力。

 

自分の命の意味を

よく知り、

自分の命を

燃やし続けようとする

意志。

 

本当にたくましい人は

軽やかです。

 

深刻さのカケラも

ありません。

 

もちろん、

反応本音レベルでは

深刻になってしまうことは

あるでしょう。

 

でも、どれだけ

そうなっても、

その人と向き合えば、

その深刻さは

まったくもって

表面上だけだとわかります。

 

ですから私は

そういった人と向き合うと

思わず笑ってしまいます。

失礼なことなのですけど。

 

で、多くの場合

「あなたはまったくもって

深刻さのカケラもない

人ですね」

とそのままフィードバック

します。

もちろん、これも

笑いながら。

 

それだけでその人は

反応本音レベルの深刻さを

一瞬にして浄化します。

 

で、

もともとの明るさを

放ちます。

 

その明るさは、

「何とでもなりますわ」

と語っているような

空気感です。

 

それを感じる時、私は、

あぁこの人は本当に

たくましい人だなぁ、

と感嘆します。

 

真本音優柔不断タイプ

の人は、

もともとはそんな人

ばかりです。

 

でもその自分のたくましさを

わざと隠しながら

生きて来ました。

 

「無価値感」

という自分を前面に

出しながら。

(→前回記事)

 

「無価値感」から

解放された時、

その人は本来のその

明るさと軽さと

たくましさを

まるでカミナリに打たれたかのように

急激に発揮し始めるでしょう。

 

その、解放のための

方法を

ここ数回はお伝えしています。

 

では、

前回からの続きです。

 

・・・・・・

 

「最も強い自分の心」が

自分の足元に

来ました。

 

そして、自分自身の

「大地」となりました。

 

それが前回までです。

 

その「大地」を

感じ続けることで

あなたは

どのような「心模様」に

なりますか?

 

恐らく、

「大地」を感じるだけで、

これまでにない心の安定感

を覚えたり、

これまでにない発想が

生まれたりしているでしょう。

 

まずはその「感覚」を

感じ取ることが

重要です。

 

そしてその「感覚」と

共に生きることを

してください。

 

その「感覚」に

慣れてください。

 

その「感覚」こそが

本来のあなたの安定感です。

 

これまでの不安定感は

本来ではなかったのです。

 

充分に「感覚」に慣れた

ところで、

次のステップに進みます。

 

それは、

「大地との対話」

です。

 

常に、

「大地」に話しかけて

みてください。

もちろん、

心の中で話しかれば

結構です。

 

そして、

次の自分の行動を

「大地」に訊いてください。

 

次の自分の行動を

「大地」に訊いた上で

実際に行動に移すのです。

 

例えば。

 

朝、目が覚めたとします。

 

まず、

「今からすぐに起き上がる?」

と、

「大地」に訊いてください。

 

「すぐに起き上がる」

と答えが返って来たら、

すぐにベッドから起き上がります。

 

「もう少しこのままでいる」

と答えが返って来たら、

「大地」が「もう起きよう」と言うまで

そのままでいます。

 

さて、起き上がりました。

 

「まず、何をしよう?」

と「大地」に訊きます。

 

「シャワーを浴びよう」

と「大地」が言えば、

その通りにします。

 

「ごはんをすぐに食べよう」

と「大地」が言えば、

その通りにします。

 

このように、

自分の一挙手一投足をすべて

「大地」に訊きながら

決めていくのです。

 

決して自分の頭で

決めるとか、

いつものパターン通りに

動くとか、

をしないでください。

 

一つ一つ、

「大地」に訊きながら

です。

 

最初はちょっと面倒かも

しれませんが、

慣れると楽しくなります。

 

なぜなら、

これまでの自分とは

明らかに異なる

行動パターンが増えるから

です。

 

それはちょっとした

冒険です。

 

しかもその冒険をすると、

確実に

楽しくなります。

 

どことなく、

イキイキ、ワクワク

して来ます。

 

なぜならその行動の仕方

こそが、

あなたが本来したかった

行動の仕方だからです。

 

これまでのあなたの

行動パターンは

「無価値感」によるもの

でした。

 

そこから抜け出すわけですから

イキイキ、ワクワク

するのは当然です。

 

さらに、例えば。・・・

 

家を出る時も、

「今、出る?」

とか

「何時に出る?」

とか、

「大地」に訊きます。

 

今日は、

どんな服を着るか?も

「大地」に訊きます。

 

電車に乗る場合も、

どの車両に乗るか?も

「大地」に訊きます。

 

座席に座るか、

それとも立つか、

どの座席に座るか、

どの辺りに立つか、

なども「大地」に訊きます。

 

このように

すべて「大地」に訊き、

「大地」に委ねます。

 

もしどうしても

「大地」の言う通りに

動きたくない場合は

無理をしなくても構いません。

 

できるところから

「大地」の言う通りに動き、

それを楽しむのが

コツです。

 

それくらいの気軽さで

これを続ければ、

自然に「無価値感」から

解放されていきます。

 

自分の新たな

楽しい行動パターンを

見つけられるでしょう。

 

今日はここまで

とします。

 

つづく

 

想定外のマネジメント

「肚が据わる」という言葉があります。

 

肚が据わっている人は

精神的に非常に強い人である、という印象がありますが、

実は、そうではありません。

 

本当に肚が据わっている人は、

自分の弱さをすべて知っている人です。

自分の弱さをあるがままに見つめることができる人です。

 

自分の弱さにフタをして、イキがって勢いだけで進むのは、

「肚が据わる」とは真逆の状態です。

それは「ごまかし」です。

 

人は弱い。

 

自分は弱い。

 

そういった「事実」をあるがままに受け止められる人こそが

「肚が据わった」判断ができます。

 

「現実」とは、

想定外のことがいくつも起きます。

 

「想定外のことが起きること」

それが現実だと定義しても良いくらいです。

 

イキがって、「それは想定内のことだから」と言っているうちは

本質的には、現実逃避と変わりません。

 

想定外のことが起きた。

うわーっ、どうしよう?

混乱だ。混沌だ。自分を見失う!

というすべての現象をあるがままに受け取ることで、

私達は「肚が据わった」状態に入れます。

 

それは「覚悟を持った状態」であり、

人としての「自然体」です。

 

「自然体」に戻れば、

人は「最善の選択」ができます。

 

心配をしなくても、

「想定外のことがわざと起こるように出来上がっている」

のが「現実」なので、

それらをすべて楽しんで進みましょう。

 

さて、平井さんの話に戻ります。

(→前回記事)

 

私が平井さんに対して「すごいなぁ」と思えることの一つは、

「想定外のことを楽しむ」力です。

 

平井さんは言われます。

 

「私は、人が好きです。

なぜなら、人は、想定外だからです。

人は、予測できないからです。

あぁこの人のことはよくわかった、と思った瞬間に必ず、

その人は想定外のことをします。笑

それが、人の面白さではないでしょうか。

だから私は、人をコントロールすることをあきらめました。

想定外のことをするのが人である、というように

自分の中で定義づけることで、初めて

本当のマネジメントができるようになった気がします。」

 

そしてさらに続けられます。

 

「私にできることは、

人と人を結ぶことです。

今は、誰と誰を結べば、想定外に面白いことが起こるだろうか?

という観点から、マネジメントをしています。」

 

それが平井さん流のリーダーシップでもあるんですね。

 

しかし私こそ、平井さんに対して「想定外の面白さ」を

感じます。

あれだけ、自分を失くしていた人が、

今は自分を取り戻すどころか、人の可能性を

想定外に引き出しています。

 

「想定外の人生を楽しむ」平井さんの姿は

私の想定外でした。

 

私は平井さんから随分と

勇気をいただきました。

 

人生は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

人は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

想定外である人生を、

想定外である人を、

どのように活かすか?

それこそが、本来のマネジメントである、と。

 

マネジメントとは「管理」であると

一般的には言われていますが、

私は思います。

マネジメントとは、「自由」であると。

いかに人本来の「自由」を引き出すか?

それがマネジメントであると。

そしてそれが中途半端ではなく、

本当に成されることで、「調和」が起こると。

本当の自由は、調和を起こす。

その「調和」を起こすことこそが

マネジメントであると。

 

今の私の組織活性化サポートの核になる部分を

私は平井さんから随分と学ばせていただいたのです。

 

つづく