心の傷

やはり、最後に行き着くのは・・・

後悔とは

痛みです。

 

本当に深い後悔は、

私達の心に

深い痛みを刻むだけでなく、

ある意味、

本当に傷を残します。

 

心だけでなく、

魂にも傷を残すことが

あります。

 

その傷は

何かの拍子に

すぐに疼きます。

 

その疼きに耐えられず、

痛みから逃れるように

私達は次の自分の行動を

決定してしまいます。

 

痛みから逃げるための

行動。

 

それは反応本音レベルの

行動となります。

 

反応本音レベルの行動は

周りの人の反応本音を

喚起します。

 

反応と反応の

関わり。

 

反応と反応の

コミュニケーション。

 

反応と反応の

絡み合い。

 

それらの多くは、

ぶつかり合いや

混乱や

さらなる強い反応を

呼び起こします。

 

そしてそれらの多くは

「エンティティ」と

なります。

 

「エンティティ」

つまりは、念の塊。

 

日本語に訳すと

「生き霊」。

 

それが職場であれば、

エンティティの

溜まり場が職場

という最悪の状態になります。

 

それがどのような現実を

引き起こすかは

想像に難くありません。

 

たとえ、

最初はほんの小さな

後悔の念だったとしても、

それらが積もりに積もって

そのような状態にまで

至ることも

決して少なくはありません。

 

・・・・・・

 

後悔をしない生き方を

するためには、

何か「大きく後悔するような出来事」

を引き起こさないように

すればよい、

というものではありません。

 

そういった大きな出来事は

小さな一歩一歩の

積み重ねの結果として

「必然的に」

起こるからです。

 

小さな一歩一歩の

出し方を変える、

つまりは

「生き方」を

変えるしかありません。

 

例えば、

小さな嘘やごまかしを

すぐにしてしまう人。

 

その一つ一つは

小さな後悔しか

生みません。

 

しかしその後悔の念が

溜まることで

念は大きくなり、

心や魂に傷がつきます。

 

そしてある時に

必然的に

大きな出来事が起こり、

その傷が決定的に

なります。

 

たまたま起きる

出来事は

一つもありません。

 

すべては

「生き方」の結果です。

 

一歩一歩の

「生き方」が

すべてを決めるのです。

 

・・・・・・

 

真本音優柔不断タイプ

について、

そしてそこからの

抜け出し方について

前回まで書かせて

いただきました。

(→前回記事)

 

思った以上の反響を

いただき、

個別でのご相談等も

いくつもありまして、

少し驚いています。

 

みんなが言うのです。

 

「これ、

私のことでは

ありませんか?」

と。

 

実は、

私自身も文章を書きながら、

これはひょっとして

私自身のことでも

あるかも、

と思ったりもしました。

 

もしかすると、

今の私達は、

すべての人類は、

真本音優柔不断タイプだったか?

・・・などとも

思い当たりました。

 

本当は

誰も、

本当の決断をせずに

ここまで

歩いてきてしまったのでは

ないか、と。

 

だから、

今のような世の中に

なってしまったのでは

ないか、と。

 

その真偽はともかくとして、

「私は、

真本音優柔不断タイプでは

ないでしょうか?」

と言われた人の多くが、

誰がどう見ても、

すごい決断力を持っている

人達だったのが

笑えました。

 

そう考えますと、

これまでの自分は

真本音優柔不断タイプだったかも

しれない、

といいう捉え方をし、

だからこそ、

これからはもっともっと

素晴らしい決断をし、

もっともっと人生を

加速させよう、

という意志を持つことは

有意義なことではないかな

とも思います。

 

とにもかくにも、

すべては

今この瞬間に

自らが決断する

次の一歩、

次の一歩、

で決まります。

 

それが

真実であり真理

です。

 

ですから私達は

本当に

「今」

を大事に生きて

まいりましょう。

 

今、

真本音で

生きる。

 

やはり最後は

ここに行き着きますね。

 

つづく

 

心の傷は治さなくていい

多くの人達と向き合い続けて

わかったことですが、

すべての人に「心の傷」はあります。

私自身も含めて。

 

そしてある時ある瞬間、何かのきっかけで

心の傷が疼く時があります。

もしそれが、深いところにある傷ならば、

その疼きによって、その人は

本来の自分とは別の行動を取ってしまいます。

 

それは、体の傷が痛むことで

まっすぐに歩けなくなる、変なポーズで歩くようになる

のと同じことです。

 

でもその変なポーズで歩くのが日常化してしまうと、

人はその人のことを

「そのようなポーズで歩く人なんだ」と

レッテルを貼ります。

本人はそのレッテルを「自分自身である」と

思い込みます。

つまりは、その「変なポーズ」こそが自分であると

思い込みながら生きるようになります。

 

本当は、普通に歩くのがその人の本来です。

 

そして、普通に歩いた時にこそ、

その人本来の個性が

醸し出されるようになります。

 

私はその個性のことを

『その人本来の味』

と、このブログでは表現しています。

 

本来の味を醸し出すことができている人は

魅力的です。

本来の味を醸し出すことができれば

誰もが魅力的になります。

 

その魅力を仕事に活かすことができれば、

その人の仕事は明らかに「次元」が変わります。

 

私達の中から、心の傷が消えることは

なかなかありません。

いえ、心の傷を消そうとすること自体が

必要のないことです。

 

心の傷はそのままで。

しかし、私達は普通に健康的にまっすぐに

歩くことができます。

 

そのためのサポートを、

私は「コーチング」と呼んでいます。

 

以上のようなお話を平井さんにさせていただいた時、

平井さんの目の色が変わりました。

 

「そうか!たけうちさん。

心の傷は治そうとしなくていいんですね。

私は社員達と向き合うことで、皆全員に心の傷があることを

知りました。

私はその心の傷を治すにはどうしたらよいのだろうか?

と、そればかりを考えていました。

それをしなくてもいいんですね。」

 

「はい。そこに意識を向けると、

心の傷治しの旅が始まってしまいます。

その旅は、永遠に続きます。

心の傷は無数にあるからです。

一つの傷を治しても、必ずその奥には、そのもととなる

傷が存在しています。

だからその旅は永遠に続きます。

それをしていても、その人の仕事の質は変わりません。

人生の質も一向に変わりません。」

 

「では、私にできることは何でしょうか?」

 

「それは平井さんご自身が一番身をもって

体験されているではありませんか。」

 

「真本音で進むことですか?」

 

「その通りです。

その人が、その人自身の真本音に素直に

次の一歩を進むこと。

そのサポートをし続けるだけのことです。」

 

「確かに、真本音度合いが高まると、

それだけで心は満ちますね。

だからそこに傷があろうとなかろうと、

関係なくなります。

むしろ、傷があることがその人の魅力につながる

かもしれません。」

 

「平井さんは、平井さんの傷があるからこそ

平井さんなりの魅力が出てますもんね。」

 

「そうですか。そう言われると嬉しいですねぇ。

そうか、傷がその人の財産になってくるわけだ。」

 

では、みんなの真本音度合いを高めるために

我社では何をすればよいのだろうか?

という議論に、その後入っていきました。

 

そこで平井さんが発想されたこと。

それは、

 

「私は社長の真本音を、

社員全員にぶつけてみたい」

 

ということでした。

それが社員の皆さんの真本音を

大きく刺激することになるだろう、と。

(→前回記事)

 

私はすかさず、平井さんにご提案しました。

 

「社長だけでなく、平井さんご自身の真本音も

皆さんにぶつけてみたらいかがですか?」

 

「えっ、そんなことしてしまって大丈夫ですかね?」

 

「何言ってるんですか。笑

今の平井さんだったら大丈夫どころか、

皆さんにとって、すごくいい刺激になると思いますよ。」

 

つづく