「心技体」

という言葉があるが、

 

最近はその大切さを

つくづく感じている。

 

というのも、

皆の急成長が

凄まじいから、

かもしれない。

 

私の表現を

使えば、

 

心の次元が高まる

 

という意味では

とても素直に

自己成長できる人が

増えている気がする。

 

だから

心を整える

という意味では

とても優等生だ。

 

しかし、

心が急成長すれば

するほど、

 

体、つまりは

行動が伴わないと

その急成長ぶりは

逆に

足を引っ張ることになる。

 

なぜ行動が

伴わないかと言えば、

 

その理由の多くは、

技、つまりは

能力が伴わないからだ。

 

心が整えば

願いがわかる。

 

願いがわかれば

どんどん

願いに進みたくなる。

 

しかし

現実的には

能力がまだ未熟で、

 

願いはわかったが

とてもそれを叶えるだけの

自分ではない。

 

だから

能力を高めよう!

 

と素直になれば

良いのだが、

 

実は

ここで止まる人が

いる。

 

心を整えるのは

気持ちが良いけど、

 

能力を高める努力は

面倒臭い、

 

とか

 

能力を高めたり

行動を変える自信がない、

 

とか

 

そういう挑戦をするのが

怖い、

 

とか。

 

理由は様々だが、

とにかく

現実的な力を

身につけることに

躊躇をし出す。

 

残念ながら

その瞬間に

すべてが崩れる。

 

「バランスが崩れる」

のではない。

 

バランスどころの

騒ぎではない。

 

「すべて」が

崩れるのだ。

 

つまりは

心も崩れていく。

 

私の表現で言えば、

「真本音が離れていく」

という状態になる。

 

私達の真本音は、

心だけでなく、

現実世界における

自分の行動を

心に一致させることを

望んでいる。

 

「現実」を

大切にしている。

 

心技体の

たった一つでも

努力を怠れば、

 

離れていって

しまうのだ。

 

すると

後に残るのは

「自己満足」

だけ。

 

「自分には願いがある」

「自分にはミッションがある」

 

と言いながら、

すでにそこに真本音は

なく、

ただ、空虚な言葉が

踊るだけ。

 

そんな状態に

なってしまう。

 

だから単純に

言ってしまえば、

 

願いがわかったら

努力せい!

 

ということに

なるのだが、

 

本当は

自分の真の願いに向かって

現実的な努力をする

ということは、

 

それ自体が

深い悦びになることだ。

 

だから

現実的な一歩を

踏み出せばよい。

 

ただそれだけ

なのだ。

 

心技体。

 

心の伴わない

行動と能力だけでは

意味はない。

 

しかし、

 

心だけでも

意味はない。

 

一つが急成長

できたら、

他のすべても

急成長させよう。

 

つづく