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恐れの深い人ほど
怒りは深く、
怒りの深い人ほど
恐れは深い。
恐れと怒りは
表裏一体の関係。
どんな時も
多かれ少なかれ
この二つと共に
私達は歩んでいる。
そして二つ共が
非常に
エンティティになりやすい
ものだ。
エンティティとは
念の塊であり、
ストレスがある一定以上
の濃度に
固まったものだ。
すべての人に
エンティティはある。
私達のコミュニケーション
とは、
エンティティの交換でも
ある。
・・・と言っても
過言ではない。
つまりは、
各々の念の塊を
様々な人達と
お互いに交換し合いながら、
私達は日常を
生きているのだ。
すると
どれが自分の心で
どれが他人の念なのか
が、
ほとんど見分けが
つかなくなってくる。
ストレスが多く、
特に恐れや怒りが
激しい人のサポートは
この
・自分の心
と
・他人の念
の
区別をつけるところから
始まるケースが多い。
区別がつくだけで
相当に楽になるからだ。
最も多いケースは
他人の念である
恐れや怒りを
自分の心であると
誤解をし、
そんな自分を
自分で責め続ける
というケースだ。
これは
辛い。
エンティティにプラス
罪悪感。
これは
私達を苦しめる
二大巨頭だ。
これにより
完全に自分を
失っている人は
多い。
そして、
そんな人が
組織のかなりの割合で
存在している
という会社も多い。
そうなると今度は
エンティティ同士の
交換も激しくなり、
いやな言い方だが、
エンティティと
エンティティの
相乗効果まで
発生する。
そうするともう
その会社の事務所に
入るだけで、
ドーンと
気持ちが落ち込んで
しまう。
そんな状態で
「頑張れ!」
と追い立てても、
それはやはり
無理な話だろう。
私達のコミュニケーション
は、
目に見えないところでの
影響が
とてつもなく大きい。
現象面だけの
一元的な見方と対処では、
人は間違いなく
疲弊し、
さらに落ちていく。
だから、
いろんな意味で
自分自身と向き合う
ことは
基本だ。
ちゃんと自分の
心の中にあるものと
対峙し、
どれが
本当に自分の
心なのか?
を
まずは自分自身で
見極める力は
誰もに
必要だろう。
今の時代
だからこそ。
つづく
後悔の念とは、
私達の頭の中ではなく、
体のどこかに
溜まります。
それが
「念」
というものです。
(→【体が感じているものとは?】)
セルフコーチングとは、
体のどこかにある
その「念」と
ダイレクトに対話を
します。
まるでそれが
他人であるかのように
向き合いながら、
対話をします。
対話の基本は
「問うて、待つ」
こと。
そして
自然に浮かんだメッセージを
「素直に伝える」
ことです。
例えば、
後悔の念が
両肩に溜まっていたと
します。
両肩に意識を向けると、
まるで黒い大きな岩が
乗っかっているような
重みと苦しさを
感じたとします。
その「岩」の重みを
しっかりと
あるがままに
感じ取ることが
スタートです。
感じながら
実況中継をすると
良いでしょう。
「この重みは
かなりキツイですねぇ。」
「重いだけでなく、
首の根元辺りに
痛みも来ていますねぇ。
まるで鋭利な刃物で
えぐられるような
痛みが時々、
ググッと来ますねぇ。」
「それからこれは
何でしょうか?
時折、何とも言えぬ
気持ち悪さも
ありますねぇ。
これは何でしょうか?
まるでナメクジがまとわり
つくような、
ヌメヌメとした
何とも言えない気持ち悪さ、
これはなかなかですねぇ。」
「あぁ、この黒い岩は
悪意のような気もしますね。
人の悪意の塊の
ようでもあります。
これはどんな悪意
なのでしょうか?」
・・・などなど。
実況中継を始めると、
単なる「重み」を
さらに観察し、
さらに詳細に感じ取ることが
できるようになります。
ここが
ポイントなのです。
詳細に感じることが
できればできるほど、
それは
「客観性」
となります。
この「客観性」が
大事です。
まるで他人のように
自分と
向き合うためにも。
・・・・・・
さて、このような
「重み」を両肩に感じたと
します。
両肩に乗っかっている
黒く大きな「岩」。
それが、
あなたの「後悔の念」
です。
この「念」に対して、
あなたは
何を問いかけてみたい
ですか?
ここで大事なのは、
その「念」に対して
評価判断をし、
説得を試みようとか、
その「念」を
取り除こうとか、
消去しようとか、
しないことです。
これは
通常の人間関係と
同じです。
それをネガティブに捉え、
それを除去しようと
すればするほど、
「反発」が大きくなります。
つまり、
そういったことをすれば、
その「岩」はさらに
大きく重いものに
成長してしまいます。
では、
あなたはその「岩」に
対して、
どのようなコミュニケーションを
取りたいですか?
・・・・・・
まず大事なポイントは
「理解しよう」
とすることです。
「理解しよう」
とはつまり、
「知ろう」
とすることです。
通常の人間関係でも
「理解しよう」
という向き合い方は、
信頼の芽を
育みます。
ですから最初は
次のような「問い」に
なるはずです。
「あなたはなぜ、
そこにいるの?」
もちろんこれは
責めるような口調で
伝えてはいけません。
あくまで、
「理解しよう」
「知ろう」
とするつもりで
尋ねます。
すると、
人によって様々な
返答があると思います。
例えば、
「後悔しているからに
決まってるだろ!」
という責め口調で
返ってくることもあるでしょう。
もしくは、
「助けてほしいんだよ」
とか
「悲しいんだよ」
とか
「寂しいんだよ」
とか。
すがってくるような
返答の場合もあるでしょう。
そこをさらに
「理解しよう」とする
会話を続けます。
「何をそんなに
後悔しているの?」
とか、
「何がそんなに
悲しいの?」
など。
より具体的に
その「念」の中身を
知ろうとします。
ここを
評価判断せずに
行なうことがポイント
です。
ただ「あるがまま」を
知ろうとしてください。
その問いの結果、
例えば、
「Aさんからの信頼を
完全に失っちゃっただろ。
それを後悔してるんだよ」
と返って来たら、
「Aさんの信頼を失ってしまった
私自身の行動や振る舞いで
最も後悔していることは何?」
などのように、
さらに具体的に
後悔ポイントを特定
していきます。
「どの瞬間に、
一番悲しみを感じたの?」
とか
「その悲しみを誘発した
私自身の行動や振る舞いは
何だっただろう?」
とか。
問いかけ方は
様々です。
まるで他人と会話を
しているかのように
臨機応変でよいですから、
あまり固く考えずに、
「理解しよう」
「知ろう」
とするコミュニケーションを
続けます。
すると、
「あぁ、なるほど、
私はここで一番、
後悔をしていたのか!」
と合点のいく
ピンポイントを特定
できるはずです。
「ここが一番、
嫌だったんだ」
という
最大の後悔ポイントです。
これを
自分自身が理解
できたその瞬間に、
後悔の念は
大きく浄化されるはず
です。
その時点で、
両肩の重みが随分と
軽減されるのを
感じるでしょう。
さて、
会話はまだまだ
続きます。
つづく