怖い

恐れは味方だ

 

これまでも

何度も書いてきた

ような気がするが、

 

やはりここで

もう一度

書いておこうかな。

 

恐れること。

 

怖がること。

 

これは

人間として

当たり前のことだ。

 

恐れない

人になる。

 

怖がらない

人になる。

 

・・・なんて努力を

する必要はない。

 

むしろ

そんなことをすれば

おかしくなる。

 

だって

人間は恐れるように

怖がるように

できてるんだから。

 

「恐れから逃げる人」

 

 

「素直に恐れる人」

 

この二つは

似ているようで

根底が全然違う。

 

恐れから逃げる

人は、

恐れに蓋をしがちだ。

 

本当は

現実的には

恐ろしいことが

たくさんあるのに、

そこを

見ないようにする。

 

見ないままに

進もうとする。

 

もしくは、

その恐れを抱く道を

「なかったこと」

にする。

 

いずれにしても、

その人は

人生の選択肢が

どんどん狭まっていく。

 

素直に恐れる人は

本当に素直に

恐れる。

 

怖いものは

怖い、のだ。

 

しかし

これが本当に

できる人は、

 

だからと言って

道は変わらない。

 

怖さを理由に

やめる、

ということはない。

 

もちろん、

怖さを理由に

進み方を変えることは

ある。

 

本当に恐れと

向き合う人は

恐れとは自分の人生を

進めるための

パートナーだと

どこか、わかっている。

 

恐れがあるおかげで、

傲慢にならず

地に足をつけて

進めるのだと

わかっている。

 

だから、

むしろ

恐れの感覚を

研ぎ澄ます。

 

常にそこにアンテナさえ

張っている。

 

そういう

ことなんだ。

 

だから

あなたの中にある

その恐れ。

 

それを

消そうなんて

してはダメだ。

 

あなたは自分の道を

決めている。

 

その道を

行けばいい。

 

その道に

真剣になればなるほど

恐れは

出るはずだ。

 

真剣だからこその

恐れ。

 

それは

あなたの強力な

味方なんだ。

 

つづく

 

怖がってもいいんだ

 

混乱が

怖いかな?

 

これまで

安定していたものが

一気に壊れ、

 

足元が

ぐらついてしまうのは

 

怖いかな?

 

怖いのが

いけないのでは

ない。

 

怖がるのが

人間だから。

 

大事なのは

自分のその

怖がっている気持ちを

 

あるがままに

 

そのままに

しておくことだ。

 

その存在を

認めることだ。

 

そうすれば、

 

「怖さに基づいた

行動」

 

には

つながらない。

 

私達が後々に

後悔してしまうことの

多くは、

 

「怖さに基づいた

行動」

 

を起こしてしまった

ときだ。

 

もちろん

本当に身の危険を

感じる場合は

そうせざるを得ない

が、

 

単なる自分の

憶測だけの怖さに

よって、

 

本当に自分の

取りたかった行動とは

別の行動を

取ってしまい、

 

さらなる混乱や

不安を

引き起こしてしまった場合、

 

私達は

後悔する。

 

本当は、

「怖さ」とは

私達の味方だ。

 

「怖さ」を

あるがままに

感じ取り、

 

あるがままに

見つめることで、

 

本当に望む

自分自身の最善の

一歩が

観えてくる

ものなんだ。

 

私達の心の中に

不必要な心は

 

本当は

一つもない。

 

しかし

私達自身がそれを

不必要な存在に

仕立て上げて

しまっている。

 

それは

その心に蓋をしたり、

 

その心から

目を背けたり、

 

その心から

逃げよう逃げようと

し続けることで

 

そうなってしまう。

 

そして、

「不必要にされた心」

は、

 

心の中で

反乱を起こす。

 

それにより

心の中に混乱が

起こり、

 

現実の混乱と

心の中の混乱が

融合し、

相乗効果を起こし、

 

ますます自分自身を

混乱させて

しまうのだ。

 

怖がる心を

怖がるな。

 

という

ことだけど、

難しいかな?

 

一見難しそう

だけど、

 

実は

えいっ!と勇気を持って

怖がっている心を

見つめると、

 

案外、

大したことはない

ことが多い。

 

やはり

蓋をするから

大したことになって

しまうのだ。

 

私達の心は

 

見つめれば

見つめるほど

良い。

 

それが

自分と向き合う

基本だ。

 

つづく

 

怖さと共に歩む

 

もし、

「怖い」

と感じたら、

 

その怖さを

打ち消さない

方がいい。

 

怖さを

味わおう

としよう。

 

「怖い」という

感情の中に

ドップリと

浸かってしまおう。

 

「怖い」という

感情と

一体化しよう。

 

自分のすべてが

「怖い」

そのものに

なってしまおう。

 

要するに

その怖さを

100%感じる

こと。

 

それができた時

初めて、

 

その「怖さ」の

下に

大きな「土台」の

ような存在を

自覚するだろう。

 

実は、

「怖さ」とは

「土台」がなければ

決して感じることが

できないように

私達の心は

なっている。

 

「怖さ」の

奥には(下には)

必ず

「土台」が

ある。

 

その「土台」は

決して

揺るがない。

 

努力をして

揺るがないようにしている

のではなく、

 

最初から

そこにあり、

決してブレる

ことがない。

 

要するにそれこそが

「真本音」

であり、

「真本音の願い」

だ。

 

もしその存在を

自覚できれば、

その瞬間に

さらに次のことも

わかるだろう。

 

なるほど。

この「怖さ」が

あるからこそ、

最善の一歩を

進むことができるんだ。

 

と。

 

そう。

 

「怖さ」とは

味方だ。

 

最善の一歩、

地に足のついた

一歩を

踏み出すための

 

なくてはならない

財産だ。

 

しかしそれは

自らの真本音の

存在を

思い出してこそ

実感できるもの。

 

そして真本音を

思い出すためには、

 

怖さから

逃げようと

するのでなく、

 

怖さを

誤魔化そうと

するのもなく、

 

怖さを

あるがままに

感じ取ろうと

することだ。

 

人間はホントに

面白く

できている。

 

つづく

 

逃げずに観察しよう

 

怖い。

 

・・・こんな感情が湧くとき、

私達は思わず

その怖いものから

目を逸らしてしまいます。

 

その瞬間から

私達の中には

解釈と

イメージが

始まります。

 

イメージとは

幻影です。

 

事実とは

異なるもの。

 

私達が勝手に

自分の解釈により

生み出しているもの。

 

それにより、

恐怖はますます

増長し、

ますます私達は

その対象を

見れなくなります。

 

見ないことによる

恐怖。

 

観ないことによる

恐怖。

 

これが私達を

苦しめます。

 

怖いものほど

光を

当ててしまう。

 

怖いものほど

つぶさに

観察してしまう。

 

その勇気を

出すことで、

私達はどれほど楽に

進めることか・・・。

 

・・・・・・

 

夏だけに、

最近よくテレビで

怪談話をしている

ようです。

 

もし、

あなたの目の前に

幽霊が現れたら

どうしますか?

 

多分、

怖いから

一目散に逃げようと

しますよね。

 

私も以前でしたら

絶対そうしてました。

 

でも

恐らく今の私は

その幽霊に

光を当てると

思います。

 

もし、

光がなければ、

暗い中でも

かなり真剣に、

その幽霊を

観察すると思います。

 

・・・というか、

毎日、それを

しているようなものですけど。

 

私は日々、

たくさんの人達から

エンティティ

(ストレスの実体化したもの)

を受け取っています。

 

エンティティとは

日本語で

「生き霊」と

訳されます。

 

まぁ、恐らく、

幽霊というのは

こういうのを言うのだろうな、

と毎日思っています。

 

それはもう

なかなかに凄いです。

 

どんな人にも

エンティティは必ずあり、

それを私は大量に

受け取るので、

毎日が

幽霊だらけのような

ものです。

 

で、私は帰ってから

その幽霊たちを

つぶさに観察します。

 

実は彼らは

観察するだけで

成仏していきます、

多くの場合。

 

観察とは

意識を向けること。

 

意識を向けるとは、

愛のエネルギーを

注ぐ

第一歩です。

 

つまり彼らは

愛を求めています。

 

その愛を感じることで

彼らは

どんどん浄化、

成仏します。

 

私は彼らの声を

聴きます。

 

彼らの声を聴くことで、

エンティティの持ち主が

普段、どのような傾向の

苦しみを抱えているのかを

理解することができます。

 

実は、

エンティティの浄化で

夜眠れずに

朝までかかってしまった

ということは

ザラにあります。

 

実は、

私がこのブログを

夜中に書いていますのは、

どちらにしても

エンティティの浄化を

夜中に行なうためです。

 

浄化して

スッキリしたところで

このブログを

書いています。

 

まぁ時々、

スッキリできないままに

書くこともありますが。

 

しかし、

真本音度合いを

高めれば、

どれだけ強い

エンティティでも

それによってこちらが

揺らぐことは

一切ありません。

 

真本音の光は

エンティティを

癒すのです。

 

エンティティ達は皆、

「ありがとう」と

言いながら

成仏していきます。

 

こういうの

霊感っていうのかなぁ?

 

でも私には

霊感があるとは

思えないのですよね。

 

ただ実在を

キャッチしているだけ。

 

実在のキャッチと

霊感は

本質的に異なるものだと

私には思うのですが、

まぁ、

よくわかりません。

 

・・・・・・

 

光を

当てましょう。

 

怖いものがあったら、

そこに光を

当てるのです。

 

そしてそれらを

つぶさに

観察します。

 

事実がどうなのか?

 

実際がどうなのか?

 

を知るのです。

 

それだけのこと。

 

それだけのことで

道は

観えてくるのです。

 

逃げる人生は

苦しい。

 

向き合う人生は

楽。

 

その単純な法則を

大切にしたいですね。

 

つづく