手応えが、

出てきた。

 

人生への

手応えが、

である。

 

ようやく。

 

これまで随分と、

種を蒔いてきた。

 

その種は

ほんの一部は

芽を出し、

 

さらにその中の

ほんの一部は

花を咲かせたが、

 

広大な大地

から見れば、

 

それは砂漠の中の

水の一滴に

過ぎなかった。

 

たとえ花は咲いても、

その花が咲くだけで、

やがてそれは

枯れていった。

 

花が

次の花に

結びつくことは

極めて

稀だった。

 

だから、

いくつもいくつも

種を蒔き続けた。

 

・・・・・・

 

私自身の中では

常に、

 

こんなことを

続けても、

結局は何の意味も

ないのではないか、

 

という声は

あり続けた。

 

しかし、

いざ、砂漠に立てば、

ここにこんな

種を蒔こう、

という思いが、

その瞬間だけは

何の迷いもなく

湧き上がった。

 

それを一言で

確信

と言うのだろうが、

 

確信は

その瞬間にだけしか

存在しなかった。

 

今ここだけの

確信。

 

それが

続いたが、

それが

続くうちは

その確信に従う

ことにして、

ずっとやってきた。

 

しかし気がつけば、

それで

人生の50年を

費やしてしまった。

 

・・・・・・

 

ところが、

思わぬ手応えを

今私は

感じ始めている。

 

もちろんこれまでも

手応えを

得ることはあったが、

 

明らかに

これまでとは

違う。

 

手を伸ばせば、

必ずそこに

何かを掴める

手応え。

 

力を込めれば、

その力がそのまま

伝播し続ける

手応え。

 

これは、

何なのだろう?

 

この手応えが

人生

というものか?

 

恐らくここからは

ステージが

変わるのだと

思う。

 

これまでの人生を

空虚なステージだったな、

言い切ってしまえるような

 

そんな未来を

今の私は

予感している。

 

今ここに

「今」

という

時がある。

 

時は常に

一定のスピードで

流れているが、

 

これからの

私にとって、

残された「今」は

とてつもなく

短く感じるのだろう。

 

残された「今」を

私はこれまで以上に

大切に

紡いでいくだろう。

 

つづく