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自分の
真の安定感を
味わってみるが
いい。
それは
未だ出会ったことの
ない自分
だろう。
大地よりも
大きく、
空よりも
広く、
海よりも
深い
自分だ。
そんな自分を
知るための
唯一の方法は
「挑戦」
だ。
未開の地に
自らの意志と
覚悟で
飛び込むことだ。
ただしそれは
勢いで
行ってはダメだ。
誰かに
認められるため
でも、
自信を得る
ためでも、
自己顕示の
ためでも、
ダメだ。
自分の願いと
静かに
向き合い、
この道は
怖いけど、
この道は
自分の願いに
向かう道だ、
と
静かに
思えれば、
飛び込めばいい。
「挑戦」
と言うと、
激しいイメージが
あるかもしれないが、
静かに
行けばいい。
淡々と
進めばいい。
そこに
現れる
あらゆる壁も
障害も、
静かに
見つめればいい。
どうしても
心が揺れる時は
揺れるままに。
その場に留まり
揺れが治まるまで
待てばいい。
治まれば
また立ち上がり、
静かに進む。
淡々と進む。
未開の地でも
しっかりと
すべてを観ながら、
淡々と進む。
そのうちに、
現れるはずだ。
真の安定感
が。
最初は
ほんの一瞬かも
しれない。
でもその一瞬で
いい。
それを一度でも
感じた者は、
あらゆるものと
向き合える。
あらゆるものを
受け入れる。
そして
一瞬のそれは
だんだんと
日常化していく。
人間というのは
思っている以上に
本当は
凄いものなんだ。
それを
自身の人生で
体験してみないか?
つづく
人生、
思い通りにいかない
ことなど
山ほどある。
いやいや、
そう思い込むのは
良くないですよ。
そう思い込む
ことで
本当に思い通りに
いかなくなって
しまうのですよ。
・・・と言われる
かもしれない。
もちろん
そういった要素も
あるにはあるが、
しかしやはり
私は断言する。
人生、
思い通りには
いかない。
それを完全に
受け止めることが、
人生を謳歌する
ための
最低条件であると
私は思うのだ。
思い通りに
いかないこと
そのものを
楽しむ。
これが
人生を楽しむこと
だと
私は思うのだ。
本当に辛いことを
経験し、
それを乗り越えて
きた人ほど、
そう思っているの
のではないか。
・・・・・・
だいたい、
私達の真本音が
人生を
思い通りには
いかせない。
もし、
何でも思い通りに
いっている人が
いるとしたら、
その人は
まず間違いなく、
「挑戦」を
していない。
「今の自分の範疇」
でしか
生きていないし、
そこから出ようと
していない。
それでは
人生の90%以上を
謳歌していない、
と私は思う。
しかも
少し長期的に
見れば、
その人は必ず
後々に
大変な目に遭う。
「挑戦しない」
ということは、
真本音の意志を
無視している
ということだから、
その「無視」に
ある時
限界が来るのだ。
自分の範疇を
出ない自分を
私達の真本音は
「壊そう」とする。
真本音の意志を
無視することは
ある程度はできるが、
しかし
真本音とは
自分自身の
「本当の想い」
だ。
「本当の想い」
は
「本当ではない想い」
を
いつか必ず
凌駕する。
凌駕されたとき、
その人は
勝手に自分壊し
に取り掛かる。
結果として、
「ひどい目」
に遭う。
別に神様とかが
罰を与えている
わけではない。
自分で自分を
壊そうと
しているのだ。
「壊す」というのは
怖い表現だが、
そうではなく、
本来の自分に
自分を戻し、
真っ当な生き方に
なろうと
しているのだ。
真っ当な生き方、
それこそが
「挑戦する生き方」
であるし、
次々に自分を
「脱皮させる生き方」
であるし、
それはつまり
「進化する生き方」
である。
進化する生き方
に入ることで、
私達は
人生の本当の
面白さを
体験することになる。
それが
人生を謳歌する
ことになる。
・・・・・・
だから私は
毎日、
「さぁ今日は、
どんな想定外が
起こるのだろうか」
とワクワク
している。
もちろん、
思わず口を
アングリと
開けてしまうような
物事も多い。
というか、
そうでなければ
「想定外」とは
言えないのであるが。
そのアングリ度合いが
大きければ
大きいほど、
その後の展開が
とても刺激的で
充実したものに
なる。
ただし
とても刺激的で
充実したものに
なるためには、
自分自身が
真本音に素直に
生きていることが
必須である。
真本音で
生きれば生きるほど、
想定外は増え、
想定外が
増えれば増えるほど、
真本音に素直に
生きる。
このサイクルに
よって、
真本音度合いは
劇的に高まって
いく。
真本音度合いが
高まれば
高まるほど、
「人生の謳歌」度合いも
高まり
深まる。
私は実は、
クライアントさんに
こういった状態に
なっていただくために
コーチングを
している。
だから
私が「コーチ」を
させていただくと、
想定外のことが
どんどん
増えていく。
申し訳ないけど。笑
・・・・・・
そしてやはり、
私は
そういったサポート
のできる
「コーチ」を
増やしたい。
このブログに
コメントいただいて
いる方、
ありがとうございます。
基本的には
皆さんにご返信を
差し上げています。
ただ、
まだ何日経っても
ご返信していない
人もいます。
それは
無視しているのでは
なく、
「最善のタイミングを
待っている」
と
思ってください。
これも
「想定外」の中で
判断していること
です。
よろしく
ご理解くださいませ。
(→【コーチ探し、始めます】)
つづく
皆さんは人生において、
「逃げる」
という経験をどれくらい
されたでしょうか?
「逃げる」
という経験は誰もに
ありますね。
私は逃げたことが一度もない
という人は
いないはずです。
もしいたとしたら、
単なる嘘つきか、
余程、人生において挑戦というものを
したことのない人です。
でも残念ながら
どれだけ挑戦しない人生を
送ろうと思っても、
それを私達の真本音は
許しません。
人の根本的本能は
「進化」への欲求です。
進化のためには
挑戦は必須です。
挑戦をしないということは、
進化という根本欲求を
無視するということですから、
人として、
それは無理な話です。
でもひょっとすると、
これまでは
とことん挑戦しない人生、
というのもある意味可能だったかも
しれませんが、
これからは
無理です。
また改めて詳しくお話しすることに
なると思いますが、
世の中全体の潮流として、
今、全体の真本音度合いは
着実に、
ジワリジワリと
アップし続けています。
どれだけアップしたか?
というよりも
「アップし続けている」という
この流れ自体が重要で、
この状態にあるということは
世の中全体が
自然の摂理に素直な方向に
向かっているということで、
その状況の中では、
自分の真本音や
根本的欲求を無視することは
極めて難しくなるのです。
話をもとに戻しますが、
私自身のことで言えば、
私は見事なくらいに
「逃げる」という経験を
重ねてきました。
真本音と出会う前の私は
「逃げる」ばかりの人生だった
かも知れません。
真本音と出会ってからも
逃げずに立ち向かうとは
どういうことか?を
かなり長い間、
試行錯誤し続けてきました。
ですから、
「逃げる」人の心境とか、
心の動きとか、
本当によく理解できます。
そして、
「逃げる」ことで
どれだけその後に
苦しみが待っているか?
どれだけその後に
混乱や混沌が待っているか?
もよくわかります。
本当に「逃げ続ける」人は、
そういった混乱や混沌さえも
「なかったこと」にします。
本当は混乱のさなかに
いるにも関わらず、
「今の私は平和」であり、
「今の私は幸せ」だと
言い張ります。
誰に対して言い張っている
かと言いますと、
自分自身に対して
言い張っています。
そして、
自分の苦しみから
目を逸らし続けます。
私もそうでしたから、
よくわかります。
私は
思います。
逃げても
いいじゃないか、と。
逃げようとしていることを
自覚し、
自ら意図的に
それを選択しているのならば。
「あぁ自分は今、逃げているな」
と分かった上で、
「でも今はあえて逃げてしまえ!」
と自分で決める。
それであれば、
いいじゃないか、と
私は思います。
自覚、
が大事です。
私が最もよくないと思うのは、
逃げているくせに
逃げていないふりを
する生き方。
逃げている自分を
自分自身に対して
隠している生き方。
自分で自分を
ごまかす生き方。
・・・です。
私は、
潔さとは、
すべてをあるがままに観ること、
あるがままを認めること、
あるがままを受け入れること
だと思います。
それさえできていれば、
何とかなります。
「逃げよう」と思って
逃げているのであれば、
それは、
人生のハンドルを自分で
握っていることになります。
逃げても
いいじゃないですか。
自分の意思であれば。
進むもよし。
止まるもよし。
曲がるのもよし。
逃げるのもよし。
走るのもよし。
歩くのもよし。
真剣に進むのもよし。
やみくもに進むのもよし。
傲慢になるのもよし。
怠慢になるのもよし。
すべてちゃんと
自覚し、
自分の意思であれば。
ごまかさずに
いるのであれば。
私は、
そう思います。
自分をごまかさずに
進む人には
ある時ある瞬間から
必ず真本音が発動します。
真本音の願いや
真本音の意思が
ある時から
実感できるようになります。
それは
少しずつ、少しずつ
かも知れません。
でも着実に
実感の度合いは
高まります。
今、世の中全体の
真本音度合いが
ジワリジワリと高まっているように、
その潮流に乗るように
ジワリジワリと
本来の私達を取り戻して
行けるようになるのです。
自分で自分を
ごまかすのは、
百害あって一利なし。
どんな自分でも
良いではないですか。
そんな大らかさで
自分を見つめてみませんか。
つづく