私はよく、

自分の人生を

振り返る。

 

過去を振り返る

よりも、

常に未来に意識を

向けた方がいい、

 

とも言われるが、

 

過去を振り返る

ことができない

うちは、

自分の本当の

未来を

築くことはできない。

 

なぜなら

過去の体験は

すべて

自分自身の心の中に

残っている。

 

それを観ない

ということは、

自分と向き合っていない

ということに

なるからだ。

 

自分と向き合えない人

に、

真本音の未来は

見つからない。

 

・・・・・・

 

とは言え、

何でもかんでも

まずは過去を振り返る

ところから、

 

・・・とやってしまう

サポートも

お勧めできない。

 

どうしても

見つめたくない

辛い過去は

誰だってある。

 

それを

見つめるだけの

準備が整う前に

強引に過去を見つめることで

心が壊れることもある。

 

人の心は

繊細だ。

 

やり過ぎると

すぐに壊れる。

 

しかし、

 

人の魂は

何があろうと

安定している。

 

心と魂は

別個のものだ。

 

魂に基づいて

今日という日を

生きることができる人は、

 

繊細な心のすべてを

見つめることが

できる。

 

魂の安定を

常に感じ取れるから。

 

しかし、

自分の魂を無視した

日々を送る人は、

自分自身の魂と

乖離し、

結果として

魂の安定を

感じられなくなる。

 

その状態で

自身の繊細な心と

向き合うのは

難しい。

 

安定しているから

こそ、

あらゆる過去を

振り返ることができる。

 

だからまず私は

クライアントさんに

その、安定状態に

なっていただくための

サポートをする。

 

つまり、

日々を

自分の魂に基づいた

行動が取れるように

サポートする。

 

魂の意思のことを

私は

「真本音」

と呼んでいる。

 

つまり、

真本音度合いを高める

サポートを

私はする。

 

・・・・・・

 

私自身も

自分の真本音度合いが

高まってからだ、

 

本当に

過去と向き合えるように

なったのは。

 

それまでも、

過去を振り返ることは

何度もしたが、

すべて

「ひん曲がった」見方

をしていた。

 

要するに、

自分に都合の良い

見方をしていた。

 

見たくないものは

見ずに

見ても差し支えのない

もののみを

見ていた。

しかも、

自分の分厚いフィルター(解釈)

をつけて。

 

それでは

過去の振り返りとは

言えない。

 

真本音度合いが

高まり、

安定度合いが高まる

ことで、

私は初めて

あるがままに過去を

振り返ることが

できるようになった。

 

まぁ、

過去を振り返る

と言っても、

意図的にやるという

よりも、

自然にフラッシュバックを

してしまうのだけど。

 

そして

大抵の場合、

そのフラッシュバックは

私を「反省」させる

ものだ。

 

過去の振り返りは

私にとっては

反省の時間だ。

 

しかし大事なのは、

「反省しようと思って

過去を振り返る」

のではなく、

 

「自然に過去を振り返り、

結果として

自然に反省する」

ということ。

 

この違いは

大きい。

 

前者の反省は、

自分を責めるだけで

終わる可能性が高い。

 

後者は、

本当に「反省」できる。

 

その結果として、

「今」や「未来」への

重要な指針となる。

 

こんなこと

胸を張って言える

ことではないが、

私の過去は

本当に恥ずかしいもの

ばかりだ。

 

道を歩いている時に

ふと

フラッシュバックする

ことがある。

 

その瞬間、

思わず私は

「ごめんなさい」

と小声で呟いていることが

多い。笑

 

過去において私は

随分と多くの方々に

迷惑をかけてしまった。

 

傲慢だった。

 

だからこそ、

今のこの瞬間に

今、目の前にいる

この人に、

 

本当に

真摯に向き合おうと

思うのだ。

 

つづく