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「核」
を逃すと
すべてが観えなく
なる。
「核」のない
ことは
私はやらない。
一切。
逆に、
「核」が漠然で
あったとしても、
その存在が
確かに
感じられる場合、
そして
その「核」を
探究し続けたい
場合、
他の誰もが
やらなくても、
私は
それをやる。
思えばずっと
そういった
人生だった。
仕事にしても、
随分と
難しい道を
たどって来たものだ
と
今になって
つくづく思う。
でも私は
この道に
「核」
を感じ続けてきた。
それを
見極めたい
と
ずっと思い続けて
きたし、
今もそうだ。
探究型の
人生。
それが
私の望む人生
だ。
人生の
望む姿というのは
人、それぞれだ。
でも、
私のように
何かを探究し続けたい
特に、その物事の「核」を
探究し続けたい人は
増えているのでは
ないか。
答えの「存在」は
わかるけど、
その答えそのものの
「中身」が
わからない。
そういった場合の
何とも言えない
ワクワクさ。
私はずっとそれを
求め続けてきたように
思う。
実は
ここ数日、
私が探究し続けて
きた
いくつかのことが、
バタバタバタ、っと
続け様に
「答え」が
わかったのだ。
もちろんその
「答え」が
真実かどうかは
わからない。
しかしそれは
私自身が
「納得」できる答え
だ。
そこに
たどり着いた時、
私は
開放感、と共に、
ちょっとした
寂しさ
と共に、
さらに
「今を楽しむ」
感覚が
高まった。
これまでずっと
「???」
だったことが
今はもうその
「???」
はないのだ。
すると
とても面白い。
「今」
がよりクリアに
体験できるように
なった。
そして恐らく
私は
また次の探究の対象を
見つけるのだろう。
この世は
わからないこと
だらけ。
特に
「人間」に関しては
そう。
まだまだ
無限のワクワクが
あるな。
つづく
なぜ、
私はここに
いるのだろう?
私はどこに
行こうと
しているのだろう?
・・・決して
本当に納得の答えは
出そうにない、
そんな問いがある。
でも、
自分の心の
中心の方に、
奥の方に、
どんな時もずっと
在り続けている
その
答えの見つからない
問いは
常に自分を
じっと静かに
見つめている。
その問いと
どんな時も真摯に
向き合い続けるのは
疲れることだろうか?
一度、
とことんそれを
やってみては
どうだろうか。
いや、
きっと
答えは見つからない
だろう。
にも関わらず、
真剣に真剣に
やってみては
どうだろう。
・・・・・・
人生は、
答えがわからない
ことだらけである。
もちろん、
適当な答えを
選ぼうと思えば、
どれだけでも
選べる。
しかしそこに
納得感はない。
しかも、
そういった中途半端な
答えを
大事にすればするほど、
私達の心の中には
強烈なストレスが
発生する。
ならいっそのこと
答えがわからない
ことは最初から
無視すればいい。
ないことに
してしまえばいい。
とも思いがちだが、
実はそれこそが
最大のストレスを
生む。
答えが
わからないことにこそ
真剣に向き合うのが
「人生」というヤツだ。
と
開き直るしかない。
・・・・・・
もし目の前に
垂直の壁が
あったら、
どうする?
登る?
それを登らないと
答えが見つからない
としたら。
登る?
垂直なので、
いつ落ちるか
わからない。
いや実際、
何度も
落ちるだろう。
それでも
登り続ける?
壁を回避することも
選択肢としては
可能だ。
だから
皆、回避する。
それが
当たり前のように。
でも、
周りの誰もが
回避したとしても、
どうしても
私は登らねば
ならない、と
根拠のない使命感
のようなもののみで、
いや、
使命感すらないかも
しれない、
意味不明の
想いのみで、
いや、
想いすら
ないかもしれない。
まぁとにかく、
よくわからないままに
必死に壁に
取り付く人が
たま〜にいる。
私は
そんな人を
応援したい。
そんな人を
応援するために
私はここにいる、
というのは
私の現時点での
答えの一つだ。
当然、
私も壁を攀じ登る。
壁を攀じ登る人しか
壁を攀じ登る人の
サポートはできない。
だから攀じ登る
というのもあるが、
しかしそれ以上に
私自身が
「人生」というものを
もっともっと
探究したいんだ。
つづく
今回も一つ、
問いを投げようかな。
これもとても
重要な問いだ。
思いつく答えを
たくさん
紙に書いてみて、
出し切った後で、
書かれたものの中から
最も、ピンとくる
答えを選び出してみよう。
『あなたがこの1ヶ月で、
徹底的に考え続けたい
ことは何?』
どちらかと言えば、
探究する
という方向の答えが出ると
より良いかな。
今は
何かを探究するには
とてもよい「流れ」が
来ている気がする。
なかなか外出も
ままならない今
だからこそ、
何かを徹底的に
考え続けるのも
よいのでは?
つづく