揺るがない

私達の心には二つの本音がある

このブログでよく書かせていただいている言葉

『真本音』

について、改めてご説明しましょう。

 

真本音とは、私の造語なのですが、私が頭をひねくり回して

作った言葉ではありません。

 

お客様と向き合う中で、自然と生まれた言葉です。

 

その真本音と同じように、ある研修中にふと生まれた言葉として、

『反応本音』

というのもあります。

この二つを合わせてご説明します。

 

まず単純に言って、

私達の心は、二つに分けることができます。それが、

・真本音

・反応本音

です。

 

真本音とは、本当の本当の本当の本音です。

自分の中で、何があっても揺るがないもの。

どのような環境にいても、どのような状況に見舞われても

揺るがないもの。

その多くは、「願い」という形で心の中心に存在しています。

 

それに対して、反応本音とは、

外部からの様々な働きかけによって発生する

私達の心です。

「本音」という言葉がついていますので、あくまでも

建前ではありません。

その時その時の、本当の気持ち。

でも、それは外部からの影響によって、

その反応として創られています。

そのため、外部環境や状況が変わることで変化する

可能性は高いです。

 

一般的に反応本音は心の表面に現れやすいので、

それが「自分の本音である」と認識されやすいです。

 

そして、反応本音の出方は、その人その人によって

パターン化されやすいので、いつも同じパターンを

繰り返していますと、そのパターンそのものを

「私である」

と思い込みます。

 

つまり、多くの人達は、

「反応本音のパターン」を、「自分自身である」

と思い込みます。

で、そのパターンを繰り返すことで人生を進めます。

 

しかし私達の心の中心には真本音があります。

しかしそれは、なかなか表には出てきません。

 

自分自身の真本音を見つけ、

真本音に素直に行動することで、

その人は、これまで自分が創り上げた反応本音のパターンを

超えて、

本来の自分として生きることができるようになります。

 

反応本音は、外部環境によって創り上げられてますので、

外部環境によって揺らされます。

しかし、真本音にはそれがありません。

 

その結果、真本音に素直に生きる人は、

自分の本当に望んでいるものを実現します。

 

反応本音のみに生きる人は残念ながら、

外部環境に揺らされながら生き続けることになります。

 

どちらが幸せな人生か?

は明白ですね。

 

ちなみに、

真本音と頑固、

真本音とわがまま、

真本音と独りよがり、

は本質的に異なります。

 

真本音で生きることは、独りよがりに生きることに

なりませんか?

とよく問われますが、全くの逆です。

 

私達は真本音で生きれば生きるほど、

周りとの調和性も高まるのです。

 

なぜそうなのか?については、

このブログで徐々に明らかにしていきますね。

 

さて。

真本音にはもう一つの特徴があります。

 

それは、

ある人が真本音の想いを述べたり、

真本音の生き方を見せることで、

他の人の真本音を喚起させることができる、

ということです。

 

つまりは、

真本音度合いの高い人のそばにいる人は、

真本音度合いが高まるのです。

 

ここで平井さんのお話に戻りますが、

平井さんの狙いは、そこでした。

 

平井さんは、社長の真本音を

社員の皆さんに示したいと思ったのです。

(→前回記事)

そのためにまずすぐにできる方法として、

社長の真本音の想いを

社員さんに向かって語ってもらおうと思われたのですね。

 

しかし私が平井さんにご提案したのは、

それだけでは勿体ない、ということでした。

 

一人の真本音をぶつけるよりも、

二人の真本音の相乗効果を起こしませんか?

というのが、私からのご提案でした。

 

つまりは、

社長と平井さんの真本音コミュニケーションを

社員さん達の前で見せる、

ということを私はご提案したのです。

 

なぜなら、

真本音と真本音の相乗効果は凄いのです。

 

本当に、凄い!の一語に尽きるのです。

 

一人の真本音の想いと

もう一人の真本音の想いが

統合し、融合されることで、

それは2倍どころか、20倍、200倍、いや

時には2000倍といっても過言ではないくらいの

エネルギーを発揮します。

 

それが、社長と平井さんであれば可能であると

私は思ったのです。

 

そしてそれは大当たりしました。

 

つづく

 

告白 実は私もまったく同じでした

「人の味」というテーマで

書かせていただいています。

 

人はどうすれば「本来の味」を出せるか?

「本来の味」を出すことで、何が起こるか?

 

そのようなことをご紹介するために、

ある中小企業幹部の平井さん(仮名)の例を

出させていただきました。

(→前回記事)

 

平井さんについてのお話はさらに続くのですが、

ここでどうしても、私自身のことを

書かねばなりません。

 

実は、以前の私も

平井さんとまったく同じ状態でした。

いえ、

平井さんなんて可愛らしいもの。

私はさらにさらに酷い状態に陥っていました。

 

だから私は平井さんの状態や、

もしくは、平井さんと同じような傾向にある人達の苦しみが

よくわかります。

 

そしてその苦しみから抜け出ることが

いかに大変で、しかし、いかに素晴らしいことかも

よくわかります。

 

私は今のこのお仕事を21年続けておりますが、

最初の6年は、尊敬する師匠のもとで修行をしておりました。

私にとっての師匠が、平井さんにとっての社長です。

私は師匠に取り憑かれながら

生きていました。

もちろんそれは、私の自業自得です。

 

師匠は経営者育成塾を運営していました。

私は師匠の後継者として、

経営塾の「先生」という立場となり、さらに

師匠の会社の雇われ社長もしました。

 

私は師匠そのものになろうと努力をし尽くしました。

どんな状態、どんな状況にあろうとも、

師匠と同じ判断、師匠と同じ決断、師匠と同じ言動

のできる自分を目指し、

恐らく、ほぼそれは達成できました。

 

と同時に私の心と体は限界を迎えました。

 

今でもありありと思い出します。

私の後ろには師匠が常にべったりと取り憑いていました。

もちろん「イメージ」です。

一人でいる時も、いつ何時も、24時間、

師匠がべったり背中に張り付いてしました。

私は、私を殺すこと、私を存在させないことに

私の生きるエネルギーのすべてを注いでいました。

 

しかも私はその時、

充実感を覚えていました。

これが私の使命であり、私の人生であると

信じ切っていました。

 

で、心と体がボロボロになりました。

 

心と体だけならまだしも、

当時様々なことが必然的に重なり合い、

私は仕事も家庭も、人生のすべてがボロボロになり

結果的にすべてを捨てることになりました。

 

恐らく、私は極度の鬱状態に入っていたと

今から振り返れば思います。

 

私は何度も死のうと思いました。

しかしその勇気も出ない。

 

するとそれからさらに苦しいことが立て続けに起こり、

それがきっかけで、私は「狂おう」と思い当たりました。

 

イメージで言いますと、

私の心の中に一つのライン(境界線)が見えたのです。

そのラインの向こうに行けば、

私は狂うことができる

とわかりました。

 

そのラインの向こうに行けば、

私の人生はその時点で終わるだろうな、と

わかりました。

恐らく、多くの人の迷惑もかけるだろう。

それもわかってはいたのですが、

もう私は逃げたくてしょうがありませんでした。

人生からも現実からも

逃げることばかりを考えていました。

 

死ぬ勇気がないのなら、

狂ってしまえばいい。

しかもそれは簡単。

あのラインの向こうに行けばいい。

 

私はある時、意を決して、そのラインを越えようと

しました。

するとその瞬間に、

私は後ろから何者かによって羽交い締めに

されました。(イメージです。)

 

ラインの一歩手前までは来れるのですが、

どうしても最後の一歩を踏み出せない。

そんなことが

何度も続きました。

 

しかしある日、もうどうしても耐えることのできない

出来事がありました。

 

私は本当にもう意を決して

そのラインを越えようとしました。

エイッとばかりに目を瞑り、そのラインを

飛び越えました。

 

と、その瞬間、

これまでとはまた違った凄い力で

私は後ろに引きずり倒されたのです。

(イメージです。)

 

私は思わず心の中で叫んでいました。

「誰だ! 私の邪魔をするのは!」

 

そして、その時初めて

後ろを振り返ったのです。

 

振り返った私の目に飛び込んできたもの。

 

それは、燦々と輝く太陽と青空のもとに

無限大に広がる「海」でした。

 

その海は、太陽の光を受けて、

ダイヤモンドのように七色の光を放ちながら

輝いていました。

その輝きが延々と広がっていました。

それを私は空から

見降ろしていたのです。

 

その「海」を見た瞬間、

それまで私の心を占めていた、あらゆる苦しみが、

ザザーッと一瞬にして流れ出て、

きれいさっぱりなくなってしまったのです。

 

私はしばらく呆然とその「海」を

眺めていました。

 

すると今度は、

大量の涙が溢れました。

 

涙を流しながら、私の頭はどんどんクリアになり、

「すべてのこと」が理解できました。

 

つまり、

自分がいったい何をこれまでしてきたのか?

自分は、何を引き起こしていたのか?

自分が今、本当にすべきことは何か?

本当にしたいことは何なのか?

 

それらの答えが、一瞬にして

すべてわかったのです。

 

答えといっても、それは言葉では

ありませんでした。

 

しかし、すべてがわかったのです。

 

私は、立ち上がりました。

さっきまでのモヤモヤが嘘のようです。

 

「こんなことをしている場合ではない」

私は一人、そう呟いていました。

 

人生を走らせなければならない。

そのために私は師匠のもとを飛び出したのだ。

そんな当たり前のことを

なぜ私はわからなかったのか。

私には人生でしようと決めていることがある。

それを一刻も早く始めなければ。

 

私の中からフツフツとエネルギーが

溢れてきました。

そのエネルギーによって私は

どんどんニュートラル(自然体)になりました。

 

ガンガン前に進もう、というエネルギーとは

異質のものでした。

ただ、すべてが満たされるエネルギー。

 

ただ、ここにいることだけで、

自分でいられることだけで、

すべてが満たされるエネルギー。

 

そして、私の目にはずっと「海」が

見え続けていました。

 

私はある意味、驚嘆していました。

 

私の心の中には、こんなにも大きく、広く、深く、

そして揺るがないものがあるのだ、と。

 

どんな状況でも揺るがないもの。

いえ、

揺るがない、という表現自体が薄っぺらです。

揺らぐとか揺るがないとか、そういった次元を超えた

ただただそこに在り続ける自分自身。

 

こういったものが

これだけ酷い自分という人間の中にもある。

ということは、

この「海」と同じものが、

すべての人達の心の中にあるのではないか。

 

そう確信しました。

 

そして、私はすべての人達の中にある「海」を

その本人が見つけ、

その「海」を常に感じながら生きるための

サポートをする。

それが私のすることである、と

今度は明確に言葉として認識しました。

 

これが、私のコーチとしての

本当のスタートとなりました。

 

私は、その「海」のことを後に、

『真本音』

と名付けることにしました。

 

すべての人の心の中心に

確かに存在する真本音。

 

それを掘り起こし、

真本音に基づいて生きるサポートをする。

 

その時から15年。

私はこれをずっと毎日、やり続けています。

 

平井さんへのコーチングも、

まったく同様。

 

私は平井さんの真本音を見つけるための

コーチングを始めました。

 

人は、自らの真本音をもとに生きることで、

本来の味を醸し出すことが

できるようになるからです。

 

つづく