断絶

断絶

 

断絶が

ある。

 

断絶は

分離を生み出す。

 

分離は

多くの場合、

闘いを生む。

 

確執を

生む。

 

私達は

確執の歴史を

歩んできた。

 

それをもう

終えようと

志している人達は

随分増えた。

 

でもやはり

確執の時代は

続いている。

 

人間が人間で

ある以上、

それは変わらないのか?

 

という

問いの前に

今の私達はいる。

 

断絶を

観ている。

 

私は毎日、

断絶を

観ている。

 

一度、断絶を

した者達は、

 

その断絶を

守ろうとする。

 

それこそが

正義だと

信じている。

 

人は

断絶を守る。

 

ということは

確執を

守る。

 

断絶を

していないと

自分が自分では

なくなってしまうと

恐れるからだろう。

 

断絶とは

己を形づくる

なくてはならないもの

であると

多くの人は

信じている。

 

あなたと

私は

別の存在だ。

 

という認識すらも

一つの

断絶だ。

 

もしそれを

守らなければ、

この人間世界は

おかしくなるだろう。

 

人は

断絶。

 

人生は

断絶の道。

 

断絶の合間を

私達は

生きている。

 

その事実を

しっかり

見つめる目は

必要だろうよ。

 

その事実を

見つめること

なしに、

人と人のつながりを

語っているうちは

 

何も進まない

だろうよ。

 

つづく

 

断絶すべき時がある

 

一つだったものが

二つに

断絶する。

 

二つに割れた

その存在は

 

「これは私ではない」

 

お互いをお互いから

引き剥がす。

 

それは一見すると

大きな悲しみや

憤りが

あるかもしれない。

 

しかし、

その引き剥がしが

どうしても必要な

時が、

 

人生には

あるのだ。

 

断絶の裂け目は

ある時、突然に

訪れる。

 

それを確認すると

私はいつも、

 

人生というのは

移り変わって

いくのだな、

 

人は

変化を求める

生き物なのだな、

 

強く思う。

 

同じところに

ずっといたい。

 

同じ場所で

安定していたい。

 

とは

誰もが思うことだが、

いや実は、

それは私達の真本音が

求めてはいない。

 

同じ場所で

ずっといることは

衰退を意味する

からだ。

 

それを私達の

本能は

よくわかっている。

 

だから

「裂け目」を

創る。

 

ずっと同じままで

いようとは

しない。

 

だから

「裂け目」とは

決して悪いものでは

ない。

 

人生を次に進める

ための兆しだ。

 

その兆しに

敏感になることは、

自分の望むスピードで

人生を進めるための

大事な指針となる。

 

「裂け目」とは

チャンスなのだ。

 

そして

断絶が始まったら、

 

時には

 

強引にでもそれを

進める

勇気と覚悟が

私達には必要だ。

 

断絶すると

決めたら、

 

断固として

断絶するのだ。

 

一つが二つに

分かれることは

悪いことではない。

 

もちろんそれを

一時的な反応本音や

我欲によって行なえば、

 

それは単なる

崩壊に過ぎなくなるが、

 

真本音の意思により

進む断絶は、

 

それこそが

「愛」だ。

 

「断絶の愛」を

実行できる人こそ、

結果的には

「すべてと一つ」に

なれるのだと

私はつくづく実感している。

 

裂け目に目を向け、

断絶と向き合い、

愛を実行する。

 

その手前にいる

人は

今、多いのではないか。

 

つづく

 

断絶が浮上している

 

私達人間は

心の中に

いくつもの「断絶」を

持っている。

 

「断絶」とは

ズレである。

 

そしてそれは

痛い。

 

ということは

誰もが心に痛みを

抱えている。

 

私は毎日のように

その痛みを

クライアントさんから

ダイレクトに感じながら、

 

この人は一体

どのような断絶を

解消することが

今の最大のテーマだろうか?

 

という視点から

サポートを

させていただいている。

 

もちろん断絶には

意味がある。

 

その意味と真摯に

向き合いながら

生きることが

私達が人生でする

ことだ。

 

断絶が解消される

ことで、

その人は一つの痛みから

解放され、

 

その瞬間から

一つ

自由になる。

 

そう。

 

私達の本来の人生とは、

断絶からの自由

とも言えるかも

しれない。

 

・・・・・・

 

断絶の痛みには

様々あるが、

 

多くは

苦しみを伴いながらも

「空虚感」

「虚無感」

「虚しさ」「絶望」

などが発生する。

 

生きること

そのものに対する

無気力感が

あなたにも

発生することがあるだろう。

 

それらのほとんどは

その「断絶」から

来る。

 

ただしその「断絶」は

「その時できたもの」

というよりも、

「あなたの中に深く

眠っていたもの」

であり、

 

それが

「浮上した」結果として

「断絶」として

認識される場合が

多い。

 

その「断絶」は

もともと

あなたと共に

あったものだ。

 

とは言え、

それは

「あなた自身」

ではない。

 

あくまでも

「よそ者」

だ。

 

・・・・・・

 

今この瞬間、

「断絶」が急速に

浮上し始めている人が

増えている

感覚がある。

 

もし、

上記のような無気力感を

感じるのならば、

 

ぜひそれと

しっかり向き合って

ほしい。

 

苦しみの原因を

「断絶」として捉え、

 

次のように

自分自身に

問うてほしい。

 

「この苦しみは、

何と何のズレから

来ているだろうか?」

 

「私は今、

何が不一致なのだろうか?」

 

「どんな矛盾が、

私を無気力にさせて

いるのだろうか?」

 

などだ。

 

そして、

もし答えがわかった

としても、

無理に対策は

考えなくていい。

 

ただその

不一致の事実のみを

毎日、見つめてほしい。

 

毎日、見つめることは

面倒だし、

さらに苦しみを増す結果に

なるかもしれない。

 

しかしそれは

あなたにとって

極めて大切なことだ。

 

苦しみに耐えながらも

その不一致をいつも

意識すれば、

 

自然に

ある時ある瞬間に

 

「今、私は

こう動こう!」

 

「今、私は

これをやめよう!」

 

「今、私は

これを始めよう!」

 

などのような

理由があまり明確ではない

直観が

生まれるだろう。

 

それが

あなた自身の

真本音の発想だ。

 

真本音からの

メッセージだ。

 

それが自然発生

するまで

待っていてほしい。

 

私達は皆、

「断絶」を抱えている。

 

それらを解消するには、

真本音の判断で

進むしかない。

 

せっかくなので

これを、

自身の真本音との

距離を縮めるための

チャンスにしてしまおう。

 

つづく

 

これは大きなチャンスだな

 

時の流れに

もし

断絶というものが

あるならば、

 

次の大きな断絶は

もうすぐ

訪れるだろう。

 

いや、別に

恐ろしいことでは

ない。

 

これまでも

何度もあったことだ。

 

もちろん私達の多くは

それに

気づかずに来た。

 

次に来る断絶も

ほとんどの人が

気づかないだろう。

 

日常が変わる

わけではない。

 

世の中が大きく

変わるわけでは

ない。

 

しかし、

断絶、とは

一度、すべてが

リセットされ、

 

次の一瞬で

すべてが甦るような

ものだ。

 

気づかずにいれば

何も起きていないのと

同じであるが、

 

もし感性が豊かな

人であれば、

 

ここが

 

かなりのチャンスである

ことがわかるだろう。

 

・・・・・・

 

私達人間は皆、

思い込み

の集積で生きている。

 

思い込みが

次の現実を

創る。

 

もちろんそれを

なくすことは

必要のないことだし、

 

第一、無理だろう。

 

しかし、

それが

真本音の望む思い込みか

どうか?

私達の人生にとっては

とても重要だ。

 

どうせ思い込むなら、

自分が本当に

望む方向の

思い込みで

生きてみたいのでは

ないかな。

 

自分の本来の道を

阻害する思い込み

後押しをしてくれる

思い込み。

 

どちらを選ぶかと

言えば、

大概の人は後者だと

思う。

 

「断絶」は

自分の中の

自分の道を阻害する

思い込みを

手放すチャンスだ。

 

・・・・・・

 

とは言え、

ここではその

「手放し方」を書こうと

しているのではない。

 

なぜなら

顕在意識のレベルで

それをする方法は

ないからだ。

 

しかしその「手放し」は、

潜在意識のレベルでは

恐らく

多くの人が行なうだろう。

 

ただしそのためには

条件がある。

 

それは

私の表現を使えば、

 

真本音に素直に

生きていること

 

だ。

 

言い換えれば、

 

自分の本当の願いを

大事に日々、

生きていること

 

だ。

 

これまでコツコツと、

たとえ成果が

出なかったとしても、

ここを大事にして来た人は

今回の「断絶」によって

 

大きな力を

得ることになるだろう。

 

何やら

予言めいた言い方に

なっているが、

 

これは予言ではなく、

空気感だ。

 

「断絶」の空気感が

そこかしこに

漂っている。

 

すでにその影響を

受けている人も

多い。

 

皆、変化を始めている。

 

こういったことを聴けば、

あぁなるほど!

思う人も多いのでは

ないかな。

 

・・・・・・

 

人生は自分探究の

旅でもある。

 

その探究を

真摯にコツコツと

やり続けて来た人は

やはり最後は

強い。

 

ただし

「やり続ける」というのは

考え続ける、という

ことではない。

 

試行錯誤をし続ける、

つまりは

行動をし続ける

ということだ。

 

本当の自分の願いを

自分でしっかりと

見つめ、

それを行動に

起こし続ける。

 

その単純なことを

コツコツと

日々、

 

・・・そう、「日々」だ、

 

やり続ける人は

やはり強い。

 

チャンスを

ものにできる。

 

「断絶」を

チャンスとすることが

できるんだ。

 

つづく