今、やろうとしている

ことが

正しいかどうか?

 

は、

やってみなければ

わからない。

 

だからまずは

捨て身になる気持ちで

やってみる。

 

すると当然、

正しかったな

思える時もあれば、

そうでない時も

ある。

 

でも、

 

正しいかどうか?

 

というのは

本当にわかるもの

だろうか。

 

本当にわかるのは

何年も経ってから、

 

いや、

100年後くらい、

 

いや、

やはり永遠にわからんかも

しれない。

 

第一、

何をもって

「正しい」

のだろうか?

 

「正しい」というのは

解釈であって、

 

ある人から見れば

正しくとも

別の人から見れば

正しくないことは

たくさんある。

 

たくさん、というか

ほとんどが

そうではないか。

 

・・・なんてことは

重々わかった上で

それでも私達は

正しさを

求める。

 

「答え」は

欲しいよな。

 

そりゃそうだろう。

 

でも

残念ながら

答えは誰も与えて

くれない。

 

自分で決めるしか

ない。

 

いつの間にか私は

50代になり、

それなりの経験も

積んだもんだから、

 

人の振る舞いを見れば

それなりに

アドバイスしたくなる。

 

それは正しいよ。

 

それは間違っているよ。

 

でも

そんなことを

している場合では

ないわな。

 

それでは

時代は何も

進まない。

 

私達はこれから

未開の地を

行こうとしている。

 

いや、

人類はずっと

そうだった。

 

でもこれまで以上に

私達は

「人間の道」とは何か?

突きつけられる。

 

人として

生きるというのは

どういうことなのか?

 

問われ続ける。

 

考えなくては、

生きていけなくなる。

 

ちゃんとした考え

なくしては

生きていけなくなる。

 

難易度の高い

時代だよ。

これからは。

 

覚悟せんといかん。

 

だからこそ

私達は

 

「正しさ」

 

を超えねばならない。

 

正しいかどうか?

 

という次元ではない

もう一つ上の次元で

 

物事を捉え

推進せねばならない。

 

「正しさ」について

論ずれば、

恐らく一生かかっても

答えは出ない。

 

だから

この次元にいては

ならない。

 

もう早いところ

次に進まねばならんのだ。

 

つづく