泣く

泣こう

 

泣きたい時は

泣けばいい。

 

なんで抑える

必要がある?

 

嬉しい時も

悲しい時も

 

その気持ちで

自分を

満たせばいい。

 

その気持ちに

自分が

どっぷりと浸かって

 

その気持ち

そのもの

 

となればいい。

 

気持ちと

一つになるんだ。

 

そうなれて

初めて

 

私達は

次に進める。

 

そう考えれば、

喜びも

悲しみも

同じものだ。

 

大事な

ステップだ。

 

今の日本人は

 

自分の感情を

気持ちを

 

抑え過ぎでは

ないか?

 

もちろん

感情によって

人を傷つけては

ならない。

 

でも、

その感情で

自分自身を

満たすくらいは

良いではないか。

 

それを

自分が

望んでいるのだから。

 

そのくらいの

願い

叶えてやろうよ。

 

それがまた

自分を大切にする

 

ってことじゃ

ないかな。

 

つづく

 

その美しさに泣く

 

大の大人が

泣く姿を

私は随分と見てきた。

 

その姿の多くは、

美しかった。

 

なぜならそれは

解放・開放の

涙だったから。

 

泣くのは決して

悪いことではない。

 

私も真本音度合いが

高まってから

本当に涙もろくなった。

 

自分の心が

形になって現れるのは、

決して

悪いことではない。

 

・・・・・・

 

真本音の涙

というものがある。

 

心が泣く、

というよりも

魂が泣いている

場合だ。

 

この違い、

わかるだろうか?

 

よく、

「なんで自分が

泣いているのかさっぱり

わからない」

言いながら

泣き続けるクライアントさん

がいる。

 

この場合は大抵、

魂の涙だ。

 

・・・・・・

 

私は人前では

泣かないことにしている

のだが、

 

どうしても

堪えられないことが

ある。

 

それは、

クライアントさんが

ずっと超えられなかった

壁を

乗り越えた瞬間、

というケースもあるが、

 

それよりも多いのは、

 

人と人が

関係性を本質的に

大きく塗り替える瞬間

だ。

 

人というのは

本当に大変で、

 

心のレベルではなく、

魂のレベルで

憎しみ合っている

関係がある。

 

それが

会社の幹部さん同士

というケースも

実に多い。

 

そういった関係は

もう、

誰もが修復は無理だ

と思い込んでいる。

 

もちろん

何をしても不可能な場合も

あるのだが、

 

それでもそれを

乗り越える人達も

いる。

 

あらゆる憎しみを

乗り越えて、

再び繋がり合う人達。

 

それを目の当たりに

した時、

 

私は自分の涙を

堪えられなくなる。

 

・・・・・・

 

憎しみほど、

超えるのに大変な

ものはない。

 

でも、

それを超える人々を

私はたくさん

観てきた。

 

目に

焼き付けてきた。

 

その度に

私は、

 

人の美しさ

 

を実感した。

 

人は

醜い部分は

いっぱいある。

 

その醜さ故に

私も

死にそうになったことは

何度もあるが、

 

それでもやはり、

人は

美しい。

 

そこに私は

目を奪われるのだ。

 

つづく