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真面目な人っていうのは
どうしても
発想や行動が固く
なりがち
だと思うのだが、
でもやっぱり、
真面目な人を
見ると
応援したくなるね。
そこまで
一生懸命やる?
と
言いたくなるくらい
一生懸命やる。
時には
本当は必要のない
ことについても
一生懸命やり過ぎ
だけど、
まぁでも
それも人間かな、と。
どうかな、
でも結局は
真面目な人は
強いかな。
何か必要な習慣を
新たにつける
必要がある場合も、
真面目な人は
一生懸命やる。
するとやはり
成果が出やすい。
そう考えると、
私のクライアントさん
って、
一見すると
チャランポランに
見えて(失礼!)
でも、根は真面目
という人が
多いような。
多分、
私自身もすげー
真面目なんだと
思う。
例えば、
「真本音度合い」
という概念が
見つかった時、
本当に真面目に
「まずは自分の
真本音度合い、
上げなきゃ!」
と
必死になった。
今から考えると
あんなに真面目に
やらんでも
良かろうに、
とも思えるし、
むしろ
真面目にやり過ぎて、
真本音度合い
なかなか上がらなかった
のではないか、
という節も
見えるけど、
でもまぁ
そんな愚かさも含めて
人間なのかな、
とも思うね。
今この瞬間を
大事に生きようね!
と
メッセージすると、
「ウォ〜〜〜〜!
今ここで
何すればいいんだ!」
と
すげー真面目に
考え過ぎて
今本当にすべきことや
したいことが
わかんなくなる人。笑
そんな人、
応援したいね。
つづく
私は、
真面目な人にほど、
「もっと不真面目で
いいよ」
と伝えるし、
不真面目な人には、
「もっと真面目に
やれ」
と言う。
矛盾しているように
思う?
矛盾していないんだな、
これが。
・・・・・・
「真面目」
って、いろんな捉え方が
あるけど、
私は
「与えられた一つの枠を
壊さずに、
その枠を守りながら
がんばり続ける」
という風に
考えている。
不真面目な人は
第一、
この「枠」を守らない。
「こうしろ」と言っても
その通りにしない。
例えば、
朝は8時から仕事だ、
という決まり事があっても
それを守らない。
とか、
ちゃんと人には挨拶しような、
と注意しても
まったく守らない。
とか。
人に枠を与える意味は、
一つには
「基本をしっかりする」
というのがある。
基本や基礎が
しっかりするからこそ、
その人は良い方向に
伸びていく。
地盤がしっかり
していないと、
ちゃんとした家が
建たないのと同じだ。
不真面目な人の多くは、
地盤がフニャフニャにも
関わらずに、
自分勝手に
自己満足の家ばかりを
建てようとする。
しかしどんな家を
建てても、
地盤が緩いから
安心して住むことすら
できない。
それでは
誰も喜ばない。
だから
「真面目にやれ」
と言う。
一方、
真面目な人の多くは、
基本や基礎はできてるけど、
いつまで経っても
自ら「枠」を壊そうとしない。
与えられた枠から
出ようとしない。
だから、
その人が本来持っている
独創性のようなものが
生まれない。
そういう人の創る家は
いつまで経っても
つまらない。
遊び心もない。
安心して住むことは
できるかもしれないが、
それ以上の魅力が
ないのだ。
だから、
そういつまでも
枠に捕らわれずに、
たまには
「もっと不真面目で
いいよ」
と伝えるのだ。
大事なのは
真面目か
不真面目か
ではない。
両方できること
だ。
ここは真面目に。
でも、
ここは不真面目に。
・・・と
自ら選択できる
ことだ。
「真面目」と「不真面目」
という表現に
もし抵抗があるなら、
次のように
言い換えてもいい。
「基本に忠実」
と
「望みのままに」
だ。
・・・・・・
基本を修得する
努力もせずに
「望みのままにやりたい」
と思っている人が
多過ぎはしないか。
本当に望みのままに
やりたいのなら、
もっとちゃんと
勉強せい。
努力せいよ。
一方で、
勉強と努力をして
そこで満足してしまっている
人も
多過ぎないか。
せっかく基礎が
あるんだから、
もっと
好きにやれよ。
冒険しろよな。
自分の望みに
素直になろうな。
つづく
私は、
真面目さ、って
大事だな、
と思う。
結局最後は
真面目な人が
急成長している。
ウサギとカメで
言えば、
カメタイプで、
毎日真面目に
コツコツと
進む人ほど、
ある瞬間に
まるでウサギのように
大ジャンプしたり
する。
とは言え。
真面目な人は
ちょっと力が
入り過ぎかな。
最近、
新たなクライアントさんが
何人も増えた。
真面目な方が
多い。
すると、
コーチングなどでの
私の問いかけに
一生懸命答えようと
してくださる。
一生懸命、
心をオープンにしようと
してくださる。
そして、
一生懸命、
行動をしようと
してくださる。
それは私は
とてもいいなぁ、と
思いながら
拝見しているのだが、
私のコーチングを
重ねていくと、
なぜかみんな
どんどん
いい加減になっていく。笑
「なぜか」
・・・じゃないな。
「必然的に」
だな。
いい加減というのは
もちろん良い意味で
だ。
いつも
100%の力を
出そうとしている
真面目な人が、
コーチングを
続けていくと、
そうではなくなる。
要するに、
力を抜けるように
なってくる。
その代わりに、
「ここぞ!」という
時には、
1000%の力を
発揮できるように
なる。
これが、
「真本音度合いが高まる」
ということだ。
ただし。
こういったお話を
すると、
「そうか、真面目じゃ
なくてもいいんだ」
と、
不真面目な人はすぐに
考える。笑
そうじゃない。
真面目な人だから
こそ、
いい加減になった時の
パワーの発揮が
凄いのだ。
まずは基本、
真面目な方が
いい。
真面目な人が
私は好きだし。
私のクライアントさんで、
いつも
とてもしっかりと
「反省」をされる
人がいる。
その人は
いつもは力を抜いて
いる。
自然体だ。
でも、
日々しっかりと
自分を振り返り、
反省をすべき
ところでは、
とことん反省し、
次に活かしている。
その姿を
拝見していると、
この人は本当に
真面目だなぁ、
と感動する。
真本音度合いの低い
不真面目な人には、
「まずは真本音度合いを
高めなさい」
とは、
最近はやらない。
「真本音度合い云々
よりも、
まずは毎日
真面目に生きなさい」
と
やることにしている。
ちゃんと日々、
やることを
やる。
これはやっぱり
基本だと思う。
そういった人の
真本音度合いアップの
サポートを
私はしたいと
思っている。
つづく
あなたは
そのままでいいです。
変わろうと
しないでください。
自分の思う通りに
わがままに。
自分がいけない、
なんて思わないで
ください。
もっともっと
わがままに
思うままに、
自分を変えようとせず、
自分はOKだと信じて
好きなように
やってください。
・・・時々ですが、
私はクライアントさんに
そのようにお伝えする
ことがあります。
私がそうお伝えすると、
多くの場合、
「えっ?
いいんですか?」
という反応が
返ってきます。
自分がわがままに
なってしまうと
大変なことが
起こるのではないか。
不調和や戦いばかりが
巻き起こるのでは
ないか。
そんな風に
お考えになるのですね。
まぁ当たり前です。
普通はそうですからね。
・・・・・・
もちろん
私がそのように
お伝えするのは、
その人自身の
真本音が
「そのように私に
伝えてください」
と望んでいるのが
わかるケースのみ
です。
「あなたは
そのままで。」
「自分が変わらなきゃ
ならないと
一切思わないで
ください。」
実は、
この言葉を
お伝えすることで、
その人は
変わり始めるのです。
変わり始めると
言っても、
別人になるのでは
ありません。
本来のその人が
ニョキニョキと
芽を出し始める
のです。
・・・・・・
一見、自由奔放に
生きている人に
限って、
その実、
心の中では
かなり真面目な部分を
お持ちの人は
多いです。
しかしその「真面目さ」は
反応本音だったり
します。
本当はその人は
自由奔放さを
100%発揮することで
周りと完全調和できる
のに、
その真面目さによって
その100%を
阻害してしまいます。
すると途端に
不調和が起こります。
つまり、
自由奔放に
行き切れば良い
のに、
行き切れないので
様々な問題が
起こることに。
そういう人に対して
周りの人は
「あの人は
自由奔放だから
様々な確執を
起こしてしまうのだ。
だから
あの人の奔放さを
制御しなければ
ならない」
と判断します。
まぁ当然ですけどね。
しかし、
その制御をすれば
するほど、
確執や不調和は
さらに起こることに
なるのです。
100%の奔放さを
発揮することで、
面白いことに
その人は
本来の自分の在り方を
取り戻し、
結果として
とても穏やかな空気感に
なっていきます。
そういった変化を
もたらすために
必要なアドバイスが、
「そのままで
いてください。」
「自分が変わらなきゃ
ならないと
一切思わないで
ください。」
なのです。
そういったタイプの
人が、
時々、いるのです。
・・・・・・
真面目さが
いけないわけでは
ありません。
むしろ私は、
真面目さこそが
人の進化には
必須のことだと
思っています。
しかし、
真面目さと
自由奔放さは
対義語では
ありません。
人は、
本当に自由に
なれば、
自然に真面目に
なります。
自分を悪い意味で
制御してしまう
真面目さとは、
本当はそれは
真面目、ではなく、
単に
周りとの確執を
恐れるあまりの
妥協に過ぎなかったり
するのです。
つづく