破壊

真の破壊を成そう

 

人生においては、

様々な覚悟が

必要です。

 

その中でも、

私達人間が私達自身に

与える最大級の覚悟

の一つは

 

「自己破壊の覚悟」

 

でしょう。

 

破壊。

 

・・・怖いですね。

 

これまでに構築したもの、

これまで継続してきたもの、

これまで育んできたもの、

 

それらを

破壊することは、

とてつもなく怖く、

そして

いやなことです。

 

よく、

「創造のための破壊」

と言われますが、

でも実は、

創造を視野に入れた破壊

とは、

もうその時点で

中途半端なものに

なってしまいます。

 

破壊するなら、

破壊のみに

徹する。

 

徹底的に

破壊のみに

集中する。

 

それが必要な時が

私達の人生には

必ず訪れます。

 

訪れますが、

破壊を回避することも

また

できます。

 

徹底的な破壊ではなく、

中途半端な破壊で

済ますこともできます。

 

しかしそれをしても、

残念ながら

その後の「創造」は、

中途半端になりますし、

新たに創造したものは、

それまでの次元と

何ら変わりません。

 

徹底的に

破壊すべきものを

破壊する。

 

その勇気を持つことが

必要です。

 

・・・・・・

 

先ほど書きました

「自己破壊」。

 

破壊の中でも

これほど怖いものは

ありません。

 

自己破壊とは

もちろん、

自分の体を破壊する

ことではありません。

 

自分の心を

破壊するのです。

 

正確に言えば、

自分の

「心のパターン」を

破壊します。

 

しかしながら、

「心のパターンを

破壊すればいいんだ」

という程度の覚悟では

絶対に成せません。

 

自分そのものを

無にするくらいの

覚悟を持った時に

初めてそれは

成されます。

 

なぜこのようなことを

書くかと言いますと、

今、

自己破壊の前で

戸惑っている人が

増えているからです。

 

自己破壊とは、

その人自身の

真本音の意志の

一つです。

 

もちろん、

自己破壊しても

本当に自分がなくなる

ことはなく、

破壊することで

その後に

「本来の自分」が

目覚めます。

 

しかしやはり、

「本来の自分が目覚める

から、破壊しよう」

では、

決して破壊は

成されないのです。

 

それどころか、

当の本人にとっては

そんな理屈は

どうでもよく、

自分が壊れていく

恐怖感のみがあまりに

大きく、

その恐怖に

恐れおののくばかりです。

 

ですから私は

あえて申します。

 

その恐怖に

毅然と立ち向かって

ください。

 

自分がなくなってしまう

という

あまりに深い喪失感に、

毅然と

立ち向かってください。

 

「私」が消えてしまう。

 

明日から「私」の人生で

なくなってしまう。

 

そのような

悲しみに

毅然と

立ち向かってください。

 

そして

自分の「電源」は

自分で切るのです。

 

完全に

「デリート」

するのです。

 

それができるのは

自分だけです。

 

・・・・・・

 

私は「自己破壊」を

これまで何度も

経験していますが、

初めての時は、

怖くて怖くて

一晩中、朝まで

泣き続けました。

 

でも、

この「破壊」をしなければ、

私は私の望む人生、

そして私の使命を

果たせないことも

よくわかっていました。

 

「破壊」とは

無になることではなく、

新たな「命」が

始まることも

頭ではわかっていました。

 

でも、

自分が自分で

なくなってしまう

あの感覚の前では

すべてが机上の空論に

思えました。

 

それでも

一晩泣き続けた後に

意を決して

私は自分を

「デリート」しました。

 

で、

次の瞬間に

「普通」に

戻りました。

 

私は

私でした。

 

でも、

何かが全然

違う。

 

自分を

取り戻した感覚。

 

満たされた

感覚。

 

あの日から私は

急激に

「実在」を感じ取る

力が伸びました。

 

私に必要な力が

目覚めたのですね。

 

破壊の勇気を

出した人のみが

得られるものが

あります。

 

しかしそれは、

何度も言いますが、

得られるものを得る

ための破壊では

中途半端で

得られません。

 

徹底的な

破壊を。

 

完全デリート

を。

 

今、あなたには

それが必要です。

 

つづく

 

破壊するなら徹底的に

私達人間の持つ

大いなる力を一つ挙げよ、

と言われたら、

私は

「再生する力」

であると答えるでしょう。

 

「再生」という言葉の意味は、

死んだものが生き返ること

ということなのですが、

要するに、

「やり直しが効く」

ということです。

 

私が出会うクライアントさんは

真面目な人が

多いです。

 

真面目な人は皆、

真剣に「後悔」をします。

 

「自分のせい」

にします。

 

他人のせいにするよりも

まずは自分を責めます。

 

決してそれが良いことであると

私は思っていません。

 

自分を責め続けることで

自己満足をしている人も

いますし、

自分を責め続けることで

自分が本来為すべきことに

まったく手をつけられない

という人もいるからです。

 

しかしそういうことを

差し引いても、

「自分が悪いのではないか」

「自分が別の選択をしたら

良かったのではないか」

という見方をする人は、

どうしても応援したく

なりますね。

 

そういう人達に

必ずお伝えするのが

「再生の力」

です。

 

人は、

何かの大きな失敗を

犯したとしても、

きちんと後悔と

反省をするならば、

必ず再スタートを切ることが

でき、

進化の道を歩むことが

できるのです。

 

100積み上げたものが

すべて壊れて

0に戻ってしまったとしても、

また1、2、3、・・・と

一つずつ積み上げることが

できるのです。

 

そして

そのように「進み続ける」

ということ自体に

私は大いなる価値があると

思いますし、

「進み続ける」人は

その人なりの充実感と

幸せを得ることができるのです。

 

問題は・・・、

進んでいるつもりに

なっている人。

 

本当はまったく進まない

どころか、

人の足を引っ張ることに

エネルギーを費やしながらも

その自覚がまったく

ない人です。

 

・・・・・・

 

自己満足。

 

私も随分と

その状態で生きて

きました。

 

自己満足に陥っているときは

本人には

まったくその自覚は

ありません。

 

私は自己満足では

ないか?

 

という問いが発生した時点で

大丈夫なのです。

 

問題は、

そういった問いや

視点がまったく

生まれない人です。

 

その人が

本人の自覚のないところで

周りの人達のエネルギーを

いかに奪い取っているか。

 

周りの人達の

真本音度合いを

いかに奪い取っているか。

 

そしてそれが

組織であれば、

その人のために

いかに組織が疲弊しているか。

 

それを

その人本人にご理解

いただくのは

至難の業でです。

 

しかしそれでも

やらねばならない時が

あります。

 

その組織の生死が

かかっている時です。

 

こういうときは

「第3者」が

役に立ちます。

 

「第3者」とは

私のような者です。

 

つまり、

組織に属さないけど、

その組織に深く関わる者

です。

 

・・・・・・

 

いったいこれまで私は

どれだけ多くの人達の

心を壊してきたでしょうか。

 

「あなたは間違っている」

「あなたの生き方そのものが

完全に自己満足だ」

 

そういった

普通の人には言えない一言を

私はこれまで

どれだけ多くの人達に

ダイレクトに

お伝えしてきたでしょうか。

 

それをお伝えするたびに

私の心は

ズタボロになります。

 

それはつまり、

相手の心のズタボロを

そのまま受け取っているのです。

 

それはとても

つらい行為です。

 

でも一方で

私はわかっています。

 

それをすることで

その人の実在が

輝くことを。

 

心はズタボロでも、

その人の魂が

一気に輝きを放つことを。

 

その人の心から

魂が

解放されるその

爽快さを。

 

自己満足をしている人は

自分を誰かが

躊躇なく責めてくれることを

望んでいます。

 

・・・いえ、

それは「望む」などという

生易しいものでは

ありません。

 

それは、

「祈る」

と言ってもよいでしょう。

 

私はその「祈り」を

感じ取ったとき、

私自身の人としての心を

いったん横に置いて、

魂だけの自分となり、

魂の言葉を

その人に直接

浴びせます。

 

それが私の役割の

一つであると

思っています。

 

・・・・・・

 

どれだけ心を

壊されても、

その人の魂の光が

健全であれば、

その人は間違いなく

再生します。

 

「破壊者」。

 

時々、私は自分のことを

そう思います。

 

でも、

徹底的な破壊なくして

本来の創造は

あり得ません。

 

一番いけないのは

中途半端な

破壊です。

 

一度、すべてを更地に

するからこそ、

その後に健全な

建物を建てることが

できるのです。

 

高次元の私は

目の前のその人が

私自身であることを

よくわかっています。

 

私は私自身に対して

徹底的な破壊を

行ないます。

私自身が

再生することを

祈りながら。

 

それが私の役割の

一つです。

 

第3者だからこそ

できることです。

 

つづく