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昨日のブログで
「等身大」
という話をした。
誤解のないように
もう少しこれについて
書いておこう。
「等身大」
と言うと、
「今のままの自分
でいい」
と思われがちだ。
実はそういうわけ
ではない。
私は「等身大」を
次のように
定義している。
『最も自然に
進化できる状態』
だ。
人の本能は
「進化」なので、
そういうことになる。
そしてそれには様々な
大事な要素が
あるが、
特に大事なのは、
①視野の大きさ
②進化意欲の大きさ
③進むスピード
だ。
この3つを
「最も自分にとって
自然の状態にする」
と
「等身大」となる。
ところが
ほとんどの人達は
3つともが
現時点では小さ過ぎる。
例えば、
①が小さ過ぎる人が
多い。
私はクライアントさんに
よく
「もっと地球規模で
物事の発想をすると
良いですよ」
とアドバイスする。
地球規模の視野を
持つことで
実に自然にその人からは
発想が溢れ出る。
今、世の中には
何が必要で、
だから自分は
今はこれをする。
というように
視野が大きくなれば
なるほど、
「今の自分」
「日常の自分」
の一歩一歩の指針を
得ることができる。
ところが
そういう人に限って
「私は自分のことだけを
考えたいので」
とか
「とにかく会社の
利益だけを考えたいので」
と
言う。
もちろん両方とも
大事だが、
それではその人本来の
発想が生まれず、
結局は何も
進まないのだ。
②もそうだ。
溢れるほどの
進化意欲が
その人からは空気感として
漂っているに、
その人自身は
へっちゃらで
「今のままでいい」
と
言う。
それでその人が
活き活きしていれば
まだ良いのだが、
それを
眉間にシワを寄せながら
言うのだ。
自分の進化意欲を
自分で抑えることは
実はとても大きな
ストレスを生む。
ご本人は
それに気づいていない。
③もそうだ。
どんどん物事の
決断をして
新たなことに挑戦したい
と、
ご本人は心の奥では
強烈に思っていても、
行動を
躊躇する。
怠けてしまう。
そして結局は
自分の中から
凄まじいストレスが
生まれ、
それによって
苦しみ続ける。
そういった人達を
見ていると
とても「等身大」とは
思えない。
「これが私の
等身大ですから」
と
苦しみの表情で
言う。
いやいやいや、
「等身大」とは
そんな苦しいものでは
ない。
等身大とは
最も肩の力が抜け
最も自分の魅力が
溢れ、
最も活き活きと
進めている状態だ。
だから
残念ながら
今は多くの人が
「等身大になるために
一度は
無理をしなければ
ならない」
という
異常状態だ。
私自身も
自分の出せる
「最大速」で
進めている時が
自分の「等身大」だと
思う。
ある意味、
振り切っている時
こそが、
最も自分が「自然」で
あると思う。
そんな人は
多い。
「等身大」
と言いながら、
「等身大」には程遠い
小さな自分を
無理に創り続ける
必要など
何もない。
もっと
伸び伸びと
生きればいい。
あっそうそう。
ちなみに、
「調子に乗って
自分を過信して
イケイケどんどんで
進んでいる状態」
は
進化とは真逆の
状態だ。
それは
表面上は一見すると
進んでいるように
見えて、
実はまったく
進んでいない。
どころか、
後退すらしている。
だからそれは
「等身大」とは
真逆の状態だ。
「等身大」の人は
本質的に
みんな謙虚になる。
あるがままに
物事を観れる
ようになるからね。
さて。
以上のような
意味なんだ。
「等身大」とは。
そうすると
昨日の文章は
だいぶ
景色が違って
見えるかな?
つづく
どれだけ分厚い
壁に見えても、
よ〜く観察すると
そこかしこに
ヒビがあり、
そのうちのどれかを
コツンと叩くと
一気に崩れる
ことすらある。
しかし私達は
その壁の大きさと
分厚さに
尻込みする。
最初から無理だ
と諦めかける。
諦めるのは、
よ〜く観察してから
でも遅くはないのでは、
とも思う。
尻込みはしても
良いが、
というか
私なんぞはしょっちゅう
尻込みばかりしているが、
それでも
しっかり
目は開こう。
よく観るんだ。
よく
向き合うんだ。
そうすれば
いつの間にか
次の一歩が
わかってくる。
まるで
手品のように
感じることさえある。
答えは
あるんだ。
・・・・・・
人間の本領は、
どうしようもなくなった
時にこそ
発揮されるもんだと
私は思っている。
調子の良い時は
調子が良いに
決まっている。
偉そうな一言も
言いたくなるし、
言葉に説得力も
出る。
でもいい気になって
いると
必ずすっ転ぶ。
すっ転んだその時に
その人の
本領が出る。
大事なのは
まずは反省することだ
と私は思う。
調子が良い時は
「俺は完璧だ」
と思い込んでしまう。
そして
失敗したり間違っている
自分を認められない。
そんな愚かだった
自分を
ちゃんと反省することだ。
反省できる人は
本当に素敵だ。
調子に乗って
立派に見えている人
よりも
1000倍素敵だ。
人間、
間違うのが
当たり前ではないか。
完璧ではない、
という事実(真実)にこそ
人間の本来の意味と
価値があるのに、
なんで完璧に
こだわるのか?
すっ転んだら
素直に反省する。
だから
次に進める。
さらに素敵な
自分になれる。
・・・・・・
弱っちい自分を
どれだけ大事に
しながら
共に進めるか、
だと思うよ。
そこで人生の
価値が
決まるのではないか。
あんまり自分を
高く見過ぎるな。
評価を
し過ぎるな。
等身大のまま
進めばいいでは
ないか。
等身大だからこそ、
どれだけ分厚い壁でも
よ〜く観察する
ことが
できるんだよ。
向き合うことが
できるんだよ。
つづく
「等身大」で生きる、
というのは
とても大事なことだ。
が、
自分に枠をはめ、
その「枠」を
自分の等身大である、
と
思い込んでないかい?
本当にあなたは
伸びやかに
生きているかい?
自分の「本来」を
「存分」に
出し切れているかい?
それができている時に、
その人は
本来の「等身大」
なんだよ。
・・・・・・
なんで「等身大」が
いいか?
って言うと、
「等身大」の
その時こそが、
その人の「影響力」が
最大となるから。
ただしこの「影響力」は
物理的なものを
言ってるわけじゃない。
人の心に与える
「影響力」だ。
言葉を換えれば、
「感化力」
と言っていい。
・・・・・・
人が人を変える
というのは
基本的には
不可能だ。
人が人を
変えているようで、
実はそれは
「感化」しているに
過ぎない。
私達は
「感化」し合いながら
生きている。
「感化」とは
感じた上で変化する
ということだが、
実際に変化するか
どうか?
は、
本人が決めている。
余程の
洗脳でもない限りね。
私達が他者に
できるのは、
変化するかどうか?
を本人が決める
前段階まで。
つまりは、
「感じる」「感じられる」
というやりとりだ。
例えば、
この人と一緒に
いると、
なんか凄く
感じるものがある。
・・・というもの。
その「感じる」を
最も居心地よく、
かつ
その人の人生にとって
意味のあるものに
する。
影響力が大きい
とは
そういうことだ。
そしてそれは
「等身大」の時に
最大化する。
・・・・・・
等身大になろう!
というよりも、
まずは
自分自身の
等身大を
知ってほしいな!
と
思う。
みんな、
あまりに自分のことを
誤解している。
あるがままの
自分と、
あるがままの
自分の影響力を、
あるがままに
知ってほしいな。
つづく
人の「美しさ」とは
不完全なところに
こそ
あると思う。
人は
進化するもの。
というよりも、
「進化」を
カタチにすると
「人」になる
と
私はいつしか
思うようになった。
進化に必要
なのは
不完全さ。
人は常に、
(私達の真本音は
常に)
不完全であることを
望んでいる。
そういった
意味で、
「完全」や
「完成」は
ない。
もちろん、
形の上で
いったんの
完全、
いったんの
完成、
はある。
が、
その直後から
私達は
また
歩き始める。
完成した、
完全だ、
と思ったのも
つかの間、
すぐに私達は
「次」を
求める。
それが
人間なのだと
思う。
・・・・・・
昨日、
私はこのブログで
「美しい一日」
について
書いた。
それは
101%ではなく
100%の一日
である、
と書いた。
そしてそれこそが
「最大速で進む」
ことに
なると。
しかし、
その「100%」
とは、
その日
その時に
私達が感じる
「100%」であって、
例えば
その次の日に
同じレベルの
一日を創れたとして、
もう私達は
それを「100%」だとは
思えなく
なるだろう。
つまりは、
私達の「100%」
そのものが
進化をする。
それが
私達人間の
本質だ。
だから
もう一度言う。
私達は
無理をして
101%以上を
目指すのではなく、
100%を
しっかりと実現
することにより、
最大速で
進化を続ける
のだ。
そしてその
「100%で進む自分」
であることを
『等身大』
と言う。
等身大の自分
こそ、
自分の本来の
魅力が
溢れる自分
である。
そして当然だが、
その
「等身大」そのものが
進化をしていく。
等身大で
いることこそが
最大速の進化
を
呼ぶのだ。
・・・・・・
今日の私は
「何をしようか?」
そして
今日の私は
「何をしないか?」
を
毎日、
一日一日
しっかりと
決めよう。
その上で
真摯に
一日に向かって
行こう。
これを
本当にきちんと
できると、
だんだんと
肩の力が
抜けてくる。
本質的な
気楽さが
生まれる。
一日の
満足が
高まるからだ。
不安というものが
激減する。
自分は
やることを
ちゃんとやっている、
という実感は
私達を
とても強くする。
真摯に生きる
ことこそが、
私達を
最も楽に
してくれるのだ。
つづく
自分の器を
勝手に自分で
決めちゃってるなぁ。
惜しいなぁ。
等身大は
大事だけど、
今のあなたは
本当に
等身大?
私には
今のあなたが
窮屈にみえて
しょうがないのだけど・・・。
まるで
卵の殻のようなもので
自分を覆い、
でもその殻は
鋼鉄のように
固く、
でもあなた自身は、
ぐんぐん
大きくなって、
その殻の中には
収まりきれない
くらいになって、
本当は、
殻の大きさよりも
あなたの大きさの
方が
何倍にも大きく
成長したのに、
その小さな
殻の中に
強引に、
無理矢理に、
体を押し曲げ
ひん曲げて
丸くなって
自分を押し込んでいる。
それは
あまりに窮屈で、
苦しいよ〜、
苦しいよ〜、
ここから出たいよ〜、
誰か
ここから出してよ〜、
と、
あなたの魂は
ずっと叫んでる。
でも残念ながら
あなたの心は
それに気づかない。
今の殻が
本来の自分の大きさ
だと
頑なに思い込んで
いる。
なんで、
そんなに頑な
なの?
なんで、
わざわざそんな
苦しいことを
しているの?
多分、・・・
怖いのかな?
自分を
解放するのが。
本来の自分を
開放するのが。
本当は別に
何も怖いことは
ないんだけどね。
むしろ、
そんな殻を
取り払ってしまえば、
気分爽快、
いつも晴れやか、
自由自在、
になれるのにね。
でもやっぱり
怖いのかな。
殻があるのが
当然の人生
だったもんね。
殻こそが自分
である、
と信じて生きて
きたもんね。
自分を小さく
折り曲げて、
折り曲げて、
その
折り曲げ度合いを
高めることが
人の成長だと
信じて
きたもんね。
でも、
もうやめないか。
そういう
苦しさは。
その苦しさは
何の
生産性もない。
誰も
喜ばない。
あなたを待っている
人との
出会いも
なくなってしまうよ。
あなたには
あなたの
大切な人生が
あるのではないか。
あなた自身の
生まれた瞬間の
約束が
あるのではないか。
本来のあなた
として
生きることこそ、
あなたの
悦びであり、
あなたの
使命ではないか。
器の大小で
人の価値は
決定されない。
しかし、
等身大の自分を
受け入れるか
受け入れないか
で、
人生の価値は
大きく変わるんだよ。
それを
決定できるのは
あなたしか
いないんだよ。
つづく
どうやら、
自分の器を
小さく捉え過ぎている
人が多いようだ。
本来は
地球規模の器
であるにも関わらず、
半径1mくらいの
範囲でしか
物事の発想をしない、
そういった
狭い視野でしか
物事を見ない、
というくらいに、
「本来」と「実際」の
差異の大きな人が
多いようだ。
それでは、
「自分」は
活きない。
この「差異」により、
多大なストレスが
常に心の中で
発生し、
それに苦しんでいる
人が多いのだ。
それって
とてもとても
もったいないと
思うのだが。
・・・・・・
「等身大」という
言葉は、
「まぁ自分はそもそも
これくらいの大きさ
だから」
というように
謙虚な意味で
使われる場合が多いが、
別に謙虚に
ならなくてもいいよ。
と言いたくなる。
そこで謙虚に
なったって、
はっきり言って
何の意味もない。
地球規模の器の人は
地球規模の
発想をすれば
いい。
よく、
「自分がこれから
何をすればよいのか、
見えてこないのです」
というご相談を
受ける。
特に最近は
ほぼ、毎日のように
受けている。
そういった場合の
多くは、
自分を小さく
見過ぎ
なのだ。
もうちょい、
自分というものを
あるがままに
感じてみては
どうだろうか。
自分の
「大きさ」
を。
・・・・・・
「これまで私は、
この年齢になるまで、
実際には
それほど大きなことは
何もできていません。
だから、
私はこれくらいの人間
なのだと思います。
それをよくわかった上で
今後のことを
考えたいと思います」
・・・って、
本当にそれでいいの?
本当にそれで
あなたは幸せ?
周りは
幸せになる?
もちろん、
無理に大きなことを
考える必要は
ないけど、
謙虚に考え過ぎる
ことで、
自分が真本音で
望んでいる道が
見えなくなってしまう
ことの
もったいなさ
を、知ってほしいな。
これまでの経験
と
これまでの実績
のみで、
自分を判断するのは
やめましょうよ。
私が知っている
ほとんどの人達は、
これまで
あえて
「自分を抑えてきた」
傾向が高い。
あえて
「本来の自分の力を
出さずに生きてきた」
傾向が高い。
なぜなら、
「世の中の準備」が
整っていなかったから。
「世の中の真本音度合いが
ある一定以上に
高まるまでは
自分をあまり出さない
ようにしよう」
と決めてきたのだ。
それは
エネルギーの
バランスを取るため。
世の中のエネルギー
(ここで言うエネルギーとは
「次元の高さ」とイコール
と捉えていただいても
よいです)
と、
自分自身の持つエネルギー
が調和を起こせる状態を
これまでの人生では
待ち続けていた
ということ。
そしてここ数年、
具体的には
2013年くらいからの
この5〜6年で、
世の中の
(次元という意味での)
エネルギー量は
格段にアップした。
それを
頭ではなく、肌で
感じ取っている人々は
ようやく今、
重い腰を上げ、
本来の自分の力を
解放しようと
している。
その段になって、
「いやいや、
私の等身大は
これくらいだから」
とやるのは、
まったく意味がない
どころか、
「害である」
と言ってもよいのでは
ないか。
もっともっと
「あるがままの自分」
を感じ取って
ほしい。
そして
本当の意味での
「等身大」
の自分として、
今後の発想を
してほしい。
あなたは
そんなに
ちっぽけでは
ない。
断じて。
つづく
ここ数日で、
多くの人が
殻を破ったようです。
私の言うところの
「脱皮」
というやつです。
とはいえ、
自分は殻を破れたのだ、
と
自覚できる人は
わずかです。
ひょっとして?
と思われる人は
以下の方法で
確かめてみてください。
・・・・・・
気をつけをして
立ちます。
背筋を
ピンと伸ばします。
足は
肩幅くらい。
肩の力は
抜きます。
顔は真正面を
向きます。
その状態で
目を閉じます。
そして
体の中心軸を
意識します。
中心軸とは、
おへその奥の
体の中心と、
頭のてっぺんの
中心を
結んだ線です。
まずはこの状態で、
「本来の私の等身大とは
どれくらいだろうか?」
と考えてください。
そしてその大きさ
を特定します。
例えば、
本来の私の等身大とは、
私のこの体の大きさ
とイコールである、
とか、
身長30mくらいが
本来の私の等身大だ、
とか、
雲を突き抜けるくらいだ、
とか、
地球と同じ大きさだ、
とか、
人によって様々な
「等身大」が
あるでしょう。
それを素直に
発想します。
発想したら、
今度は実際に
その大きさまで
自分を巨大化
させてみます。
もちろん
イメージで結構です。
が、
単なるイメージだけでなく、
「巨大化する感覚」
を得られると
よいでしょう。
本来の自分の等身大
を、感覚として
味わったら
もとに戻ります。
次に、今度は
自分の中心軸だけに
意識を向けて
ください。
そして中心軸を
上と下に
無限に伸ばします。
無限の上から
無限の下まで
中心軸に貫かれている
自分を
意識してください。
そして、
その中心軸を
意識しながら、
中心軸のみを
意識しながら、
自分をどんどん
巨大化させてみて
ください。
その結果、
先程の
「本来の等身大」
を難なく飛び越えて、
どこまでも
自分が巨大化する
感覚を得られたら、
あなたは
最近、
一つの殻を破った
ということになります。
これまで
本来の自分の等身大
と思っていた
自分の大きさを、
あなたは
破ったのです。
・・・・・・
「本来の等身大」
を破れなかった人は、
「本来の等身大」を
いつも意識しながら
毎日を過ごすと
よいでしょう。
すると、
本来の自分の発想が
出やすくなります。
「本来の等身大」
を破り、
殻を破れたな、
と自覚できた人は、
ますます自分を
巨大化させ、
次の「本来の等身大」
を特定してみて
ください。
そしてそれを
「新たな自分の大きさ」
として意識をしながら、
毎日を過ごします。
・・・・・・
真本音度合いが
高まると、
次から次へと
殻を破るように
なります。
しかしそれを
本人が
自覚していないことが
あります。
もったいない
ことです。
常に自分の
「等身大」
を意識しながら、
より自己進化を
続けてくださいね。
つづく
自信のある人ほど、
そろそろ
「自分の論理」を
超えましょう。
これまで
培ってきた経験、
と
経験からくる智慧、
そして
智慧に基づいた
必勝パターン。
それらを今は、
壊すときです。
これまでは、
それをすることは
人として
極めて難易度が高く、
素晴らしい経験と
素晴らしい智慧を
持った人であればあるほど、
「その先」に行くことが
ほぼ、不可能でした。
ところが今は、
本当に
変わったようです。
それは
「時代が変わった」
という表現をすれば
普通ですが、
私なりの表現を
ダイレクトにさせていただければ、
「実在が変わった」
ということになります。
私達の「実在」。
つまりは心の中の世界。
それらは深いところでは
すべてが繋がっています。
そして、
深くなればなるほど、
次元が高まります。
その、
高い次元における
私達の実在の世界の
様相が、
大きく大きく
変わったのです。
しかも
短期間に。
いえ、
正確に言えば、
それは決して「短期間」ではなく、
長い長い準備と
試行錯誤を経て
きたのですが、
「よし、もう変わってよし!」
というレベルまで来て、
変わる決断をしてからが
速かったです。
一気に様々なことが
変わりました。
根本的に。
その変わりようを
一言で表現するならば、
「実在の世界は
以前とは比べものに
ならないくらいに
安定した」
ということになります。
「実在」が安定すれば
もう怖いものは
ありません。
「実在」という
土台の上で
私達は思う存分、
私達自身を
演ずればよいのです。
自分の
本当に望むものを
ダイレクトに
望み、
自分の本当に納得できる
一途を
ダイレクトに進めば
よいのです。
これまでのあなたの
「必勝パターン」は、
まだ、「実在」が
不安定だった頃に
培ったものです。
つまりは、
だいぶ自分自身を
抑えながらも、
慎重に様子を見ながらも
前に安全に進む
方法だったのです。
ひょっとすると、
先日書かせていただいた
「真本音優柔不断タイプ」
とは、
そういった
自分を抑えながら進んでいた
人達のことを
言うのかもしれません。
自信がある、
ということは、
これまでのこの世においては、
「上手く進める自信がある」
ということでした。
失敗せずに、
自分は「実在」が不安定な
世の中においても
上手く進む自信がある、
というのが
根本的な「自信」でした。
しかし、
その自信と
その経験に基づいて
先に進むことは、
これからの世界においては
「スピードダウン」
に直結します。
これまで上手くいったことが
上手くいかなくなるどころか、
根本的に何かがおかしい、
根本的に
不調和が起き続ける、
という現実を
起こしやすくなってしまいます。
ですから、
私は強く申し上げます。
自信のある人ほど、
その自信というエネルギーを
「これまで培った
必勝パターンを
壊す」
方向に
使ってください。
あなたになら
それができるはずです。
・・・・・・
そのための準備として
以下のことを
してみてください。
まずは
自分の全身に
意識を向けてください。
自分の
等身大を感じて
ください。
それができたら、
自分の等身大から
一歩だけ
後ろへ抜け出てください。
自分の体を
背後から
見ている感じになります。
自分の等身大から
抜け出たら、
抜け出た今の自分を
「私は真本音である」
と認識してください。
そして真本音である
自分自身を
好きなだけ
巨大化させてください。
巨大化すればするほど、
目の前にあった
自分の等身大の体が
小さくなっていくはずです。
小さくなってしまった
自分の体を
よく見つめてください。
その小ささが
これまでの
あなたです。
これまで
あなたが培って来た
経験による智慧とは
そんなちっぽけな
ものなのです。
あなたが
そんなちっぽけな
ものの中に
い続ける理由は
もはや
ないのです。
今の真本音の
あなたのような
その巨大さこそが
あなたの
「真の等身大」
です。
それをよく
実感したら、
あなたの体の中に
戻ってください。
そしてこれからは、
自分の背後に
「真の等身大」の自分が
いることを
感じながら、
日々を過ごしてみて
ください。
「真の等身大」を
感じ続けることで、
あなたは自然に
これまでのあなたを
壊し、
脱皮をすることが
できます。
ぜひ
お試しください。
つづく