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物事が
花開くかどうかは、
「継続」
にかかっている。
ほとんどが
そうではないか。
極端に言えば、
ちゃんと継続さえ
すれば、
何らかの成果は
必ず出る。
しかも
もしその「継続」を
真本音で望んでいたら、
そこで育まれた
芽は
ある時ある瞬間に
一気に開花し、
次の次元へと
進む。
つまりは
進化を始める。
でもやはり
その場合でも
「継続」は必要だ。
私は
真面目さとは、
継続すること
だと思っている。
物事を真面目に
継続させる人は
結局は強い。
・・・・・・
今日から一つ、
毎日
継続することを
新たに決めると
いい。
ちょっとした
努力が
必要なこと。
無意識でも
継続できること
ではなく、
あえて、
意図的に
ちょっと努力しなければ
ならないことが
お勧めだ。
それを、
一日置きとか
1週間に一度とか
ではなく、
毎日
必ず続けるのだ。
土日も
関係ない。
毎日
自分の中で
完了感が出るまで
続ける。
すると
それがちゃんと
できることで、
それは一つの
達成感と共に
自信にもつながる。
自分は
継続できる人間だ。
という自己イメージは
とても大事だ。
これがあるのと
ないのとでは、
人生において
手に入れられる
成果の量が
圧倒的に変わってくる。
継続力は
これからの時代
こそ、
必要となってくる。
継続力のある
自分を、
それこそ
継続的に育てる
べきだ。
つづく
一つ一つ
コツコツ、
今日一日を
大事にする。
一つを決めて
一つをする。
決めたことは
必ず
心を込めて
やる。
一つ一つ
コツコツ。
小さくても
わずかでも
着実に
地道に。
実は、
これが私が
ずっと大事にし続けている
生き方だ。
ずっと
変わっていない。
でも
質は明らかに
変わったと思う。
「一つ一つ」
が、
以前の私は随分と
心の淀んだ「一つ一つ」
だった。
常に迷いながら、
これでいいのかな、と
疑念を持ちながら
「一つ一つ」
を行なっていた。
しかも
やろうと思って
やめてしまうことも
多かった。
今から振り返れば
であるが、
一つを決めて
一つをする
ということに
全くなってなかったな
と。
でもそれが
わかるようになったのは
やはり
ずっとコツコツと
やり続けてきたからだ。
やはり、
継続は力なり
は
真実だな。
前にも少し
書いたかもしれないが、
今の私は
ほんのわずかでも
迷いがあることは
やらないことにしている。
つまり
淀みや濁りのある
「一つ一つ」
は、ない
ということだ。
淀みなく100%
「やろう」
と思うことのみを
決めて、
そしてそのまま
やる。
それだけの
ことだ。
真本音度合いが
高まるということは
それが
とても楽にできる
ということだ。
とはいえ、・・・
やはり私はまずは
質よりも量
でいいと
思う。
まずは質は問わず、
一つを決めて
一つをする
を、
愚直なまでに
丁寧にやり続ける
ことを
本当に
オススメするね。
そうすると、
ある時ある瞬間、
自分のまったく
及びのつかぬところで、
突然に
次元の変わった展開が
始まったり、
一気に何かが
開花したり、
成果が立て続けに
現れたり。
そんなことが必然的に
起こる。
でももちろんそれらを
期待してはならない。
期待したって
何も起こらない。
それよりも自分が今、
できること、
しようと思うことを
一つ一つ
することだ。
つづく
2年前の今日、
ブログを毎日更新しよう
と決めた。
あれから2年。
一日も欠かさずに
書き続けることが
できた。
でも、現時点では
本来書くべきこと
本当に書きたいことは
まだ何も
書けていない気がする。
でも
とても嬉しいことが
いくつもあった。
このブログを通じて
何人もの素敵な方々と
出会えた。
毎日、しっかりと
読み込んでくださっている人。
時折、
感想を送ってくださる人。
お知り合いの方々を集め、
私のブログ内容をもとに
語り合いを続けて
いらっしゃる人。
ブログの文章を印刷し、
大切な方にお手紙を添えて
送っていらっしゃる人。
外国の皆さんに
このブログをほぼ毎日
通訳した上で
シェアしてくださっている人。
こんなマニアックな
内容なのに、
本当に感謝しています。
そういった皆様が
いてくださるおかげで、
雨の日も、
風の日も、
仕事でエネルギーを
使い果たして
動けなくなった日も、
酔いつぶれて
ほぼ意識を失った日も、
書き続けることが
できました。
この場を借りて
お礼申し上げます。
本当にありがとう
ございます。
・・・・・・
ただ、
まだこのブログは
序章にしか過ぎない。
先ほども書いたが、
本当に書きたいことは
まだほとんど
触りくらいしか
書けていない。
ブログを配信しながら、
世の中の空気を
感じながら、
不特定多数の方々に
向けて
書けるギリギリの線を
いつも見極めている。
世の中は
「実在」のレベルでは
随分と整ってきた。
例えば2年前と比べれば
雲泥の差がある。
でも本当の変化は
ここからだ、
ということもわかる。
やっと
基礎ができてきた。
家を建てるのは
ここからだ。
・・・・・・
やはり、
この世界では
「継続」は力だ。
真本音で「やろう」と
決めたことは、
継続すると良い。
真本音の想いを
習慣化するのだ。
オススメは
毎日行なうことだ。
一日置きとか
毎週一回とか
ではなく、
一日一日、
毎日必ず行なうことを
決めるのだ。
なぜなら、
一日とは人生の大切な
一区切り。
最もわかりやすい
一区切り。
その一区切りごとに
必ず一つ
行なうことを決める。
これはやはり
力になる。
「私は何があっても
毎日、何を続けようか?」
と
自分にシンプルに
問うてみよう。
・・・・・・
このブログ、
一年後には、
もう少し踏み込んだ内容に
なれているといいな、
というのが
今の願いだ。
そのためにも
世の中に向かう
毎日の活動を
(日中の活動を)
さらに加速
させていこう。
つづく
「あなた」の道のりは
あなたが思っている以上に
長くて、深い。
あなたの中は
智慧と洞察の
宝庫だ。
外に情報を求めることも
大事だが、
それはあくまでも
あなたの内にある
智慧と洞察を
思い出すための
きっかけに過ぎない。
あなたは
自分が思っている以上に
神秘であり、
自分が思っている以上に
冒険心に溢れている。
無限の智慧と洞察が
あるにも関わらず、
さらに広く、
さらに深く、
さらに遠くへ、
あなたは
行こうとしている。
そのあなたの意志を
まずは
あなた自身が
尊重することこそが
大切ではないか。
・・・・・・
あなたがあなた自身を
枠にはめて、
窮屈にし、
そこから出られなくして
いったいどうすると言うんだ?
せめてあなた自身は
あなたの味方で
あってほしい。
あなたの志を
誰よりも応援するのは
あなた自身で
あってほしい。
人には
可能性がある。
これは
どうしようもない
事実だ。
真理だ。
しかし。
その可能性は
信じたからと言って
明日すぐに開花する
ものではない。
特にこの3次元の世界に
おいては。
この世界で
可能性を開花させるのに
必須なことは、
「継続」
だ。
毎日、コツコツと、
だ。
それをせずして、
あらゆる可能性は
開花しない。
と思っておいた方が
いい。
あなたの中にある
智慧も洞察も
「継続」なくして
発現はない。
そのようにできているのが
この3次元世界の
「ルール」だ。
・・・・・・
かと言って
何でもかんでも継続すればいい
ということでもない。
自分自身の
真の「願い」と「使命」の方向に
こそ、
継続はすべきだ。
もし「願い」も「使命」も
わからないのであれば、
純粋に
しかし真剣に、
毎日自分に問うてほしい。
「今日は本当は
何をしたいか?」
「今日は絶対に
何をしてはならないか?」
「今は本当は
何をしたいか?」
「今は絶対に
何をしてはならないか?」
ここに真剣になり、
これを「継続」すれば、
自分の「願い」も「使命」も
いずれ必ず
観えてくる。
・・・・・・
日々をもっと
真剣に生きよう。
真剣に生きるとは、
自分の意志に基づいて
生きるということだ。
すべてその人の
「生き方」
にかかっている。
「生き方」
が
「結果」
に反映される。
その度合いが
極端に
高まっている。
それが
今、だ。
つづく
人や組織のサポートを
させていただいていると、
結局は、
「継続」で
決まるな。
と思うことが
多い。
ある時ある瞬間に
人は脱皮し、
組織も次元を変え、
一気に
大変化を遂げる。
しかしそれは
日々の積み重ねが
あってこそである。
一日一日。
一刻一刻。
丁寧に自分と
向き合い、
丁寧に人と
向き合い、
丁寧に現実と
向き合い、
自分の
本当の意思、
つまりは真本音の意思
に基づき、
素直に
一つ一つ
行動をする。
一日の
始まりと終わりには、
必ず
静かな時間を
とり、
今日は
どのような一日に
するか?
今日は
どのような一日
だったか?
明日は
どのような一日に
するか?
を落ち着いて
発想する。
もし
反省することがあれば、
しっかりと
原因を見つめ
反省する。
後悔やモヤモヤが
あれば、
やはりその根本までもを
しっかりと
見つめる。
言うなれば
当たり前のことであるが、
そういった
一つ一つのことを
大切に
していく。
それが
自分を大切に
することであり、
人生を
大切にする
ことだ。
そういった人には
必ず、
脱皮の瞬間が
訪れる。
脱皮をすれば
世界が
変わる。
いや、
本当は世界は
変わっていないが、
世界への
向き合い方と
捉え方が変わり、
その人は
これまで体験した
ことのない
「自由」
を得る。
そしてその
「自由」の中でまた、
一つ一つ
一刻一刻
丁寧に
生きていく。
これの
連続である。
それをせずして
「私は脱皮を
したい!」
「私は急成長を
したい!」
と言っても、
どだい無理な相談だ。
この3次元の世界
においては、
やはり
「積み重ね」が
大切であり、
「継続」が
大切だ。
ただ、
それを反応本音で
行ない続けても
残念ながら
進みは遅い。
それらをすべて
真本音で
行なうこと。
それが最大の
近道だ。
最大の近道
とは
丁寧なコツコツ
によって
初めて
見出されるもの。
道は
そこにある。
一本道は
目の前に
ある。
しかしそれを
自覚するには、
毎日の
コツコツ
だ。
地道な一歩を
真本音で
進むことだ。
つづく
「自分には力がないなぁ・・・。」
「もっとこういう力がほしいなぁ・・・。」
そんな気持ちが
心の底から芽生えたとしたら、
喜んでください。
なぜならその力は
必ず手に入るからです。
心の底から、・・・というよりも
魂から
「ほしい!」
と思えるものは、
必ず手に入るように
できているのです。
「ほしい!」という欲求は、
「これから私はそれを手に入れるよ」
という、
自分自身からのメッセージです。
覚悟の証です。
ただしその「ほしい!」は、
中途半端では
ダメです。
淀みのない「ほしい!」
であることが重要です。
つまりは、
真本音で思う「ほしい!」
ということですね。
真本音で「ほしい!」と
思っていることに気づいたら、
顕在意識の私達は、
「それを手に入れよう」
と決めましょう。
できるかどうか?
ではありません。
そんなのできっこない、
と思ったとしても、
決めてしまうのです。
結果が出るかどうか
わからない。
それを手に入れるための
行動ができるかどうかさえも
わからない。
まったく
自信がない。
・・・それでもよいのです。
ただただ、
「それを手に入れよう」と
決めればよいのです。
決める、
だけです。
もしその「決める」ことすら
できないのであれば、
「私はそれを手に入れる」
という言葉を
心の中で口ずさんでください。
1万回くらい。
いえ、
10万回口ずさんでも
よいです。
とにかく、
一日中、心の中で
口ずさんでください。
ある時、
あぁ決めれたな、
と思える瞬間が来ます。
真本音で「ほしい!」と
思っていることを、
顕在意識が
「手に入れよう」と
決めることで、
私達の中では
『一貫性』
が生まれます。
魂と心が
一本の方向性で完全に
結ばれた状態です。
それが起こると、
自然に私達の行動が
変わります。
意図せずとも、
その「ほしい!」ものを
「手に入れる」ための
今この瞬間の判断を
自然にするようになるのです。
それは、
ひらめきや直観として
認識されます。
「あっ、今こうしよう」
と淡々と思えるのです。
そうしたら
その通りに行動します。
一つ一つの行動は、
そんなに奇抜なことでは
ありません。
「今こうしよう」と
自然に思えることを
ただ淡々と、
一つずつ
積み上げていくだけです。
その継続により、
その「ほしい!」ものは
必ず「手に入る」のです。
継続が大事だ、
というのは本当です。
継続することで
大抵のものは
手に入ります。
ただしその継続の前には、
魂と心の一貫性が
大事であり、
そのためには
本気の「ほしい!」、つまりは
真本音の「ほしい!」
であることが大事なのです。
こんな力がほしいけど、
今の自分にはない。
悔しい。
本当に悔しい。・・・
もし本気でそう思えるのであれば、
喜んでください。
それはもう、
手に入ったも同然なのです。
つづく
海に沈む夕日を眺めた時、
美しいなぁ、
と思う人は多いと思います。
しかし、
あの美しさは
私の中にもあるものだ、
という感じ取り方をする人は
どれだけいるでしょうか?
こんな書き方をすれば、
「いやそれは気持ち悪いでしょ」
とか
「そんな感じ方する人って
傲慢じゃないの?」
とか
「自己陶酔だ〜」
とか、
そんな声が聴こえてきそうです。
確かにそれを
頭(思考レベル)で思っていたら
そうかもしれません。
しかし
いかがでしょうか?
ほんのわずかでも
皆さんの中には
その「感覚」が
存在していないでしょうか?
あくまで
「感覚」
です。
世界は美しい。
だから私も美しい。
・・・という
「感覚」
です。
ほんのわずかでも
確かにそれ、
あるかもしれない、
と思えたのでしたら、
今度はその感覚を
体のどこで感じ取っているのか?
を特定してみて
ください。
すぐにはわからない人は、
美しいものを観察しながら、
身体中に意識を向け、
その美しさを最も敏感に
感じ取っている部分を
探します。
体の部分が特定できたら、
そこが皆さんの
高次元の自分の意識を
最も感じ取りやすい場所
です。
とても単純に言えば、
その、体の部分が
・気持ち良いという感覚にあるか?
・気持ち悪いという感覚にあるか?
にいつも意識を向けておいて
ください。
気持ち良い時は、
高次元の自分の意識が
出やすくなっている瞬間です。
気持ち悪ければ、
低次元の自分で
考えたり動いたりしています。
そして、
自分が
・どのような想いに基づいて、
・どのように物事を発想し、
・どのように行動している時が
気持ち良い時なのか?
を理解できるようになると
とてもよいです。
そういった自分の傾向を
大切にしながら
日々を過ごせば、
高次元の自分の意識が
出やすくなり、
真本音度合いも高まります。
大切なのは
すべて「感覚」で
行なうことです。
「感覚なんてわからない」
と言われる人も
いるかも知れませんが、
感覚というのは
養うことができます。
自慢ではありませんが、
昔の私は
こういうことが誰よりも
からっきしダメな人間でした。
でもやり続ければ、
ある時から途端に
わかるようになりました。
ほとんどの力は
継続によって
身につけることができます。
こういうことは
継続することを
お勧めしますよ。
つづく