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「自分」
という人間を
自分が潔く見つめる。
たったこれだけの
ことで
人生は
変わる。
私自身も
そうだったし、
それができた人は
皆、そうなった。
なぜ、
私の人生は
変わらないのか?
その理由は
自分をちゃんと
見つめてないから。
・・・究極は
そう言ってしまっても
良いのだな、
と
最近は改めて
思う。
人生を変える、
までは
行かなくても、
最近、物事が
上手く捗らないなぁ、
すぐに何かと
ゴタゴタに
ぶち当たるなぁ、
なんでこうずっと
モヤモヤが
続くんだろう?
と
思うのであれば、
やはり答えは
同じだ。
自分をちゃんと
見つめてない
のだ。
最後は
ここに行き着く。
自分を見つめず、
自分から逃げる。
そういう人が
現実から逃げる。
逃げていることを
誤魔化す。
本当は
現実から
逃げているのでは
ない。
自分から
逃げている。
結局は
そうなのだ。
私達には全員、
ただ
自分を
そのままに
見つめる自分が
いる。
本当は
自分のことは
よくわかっている。
なのに
わかっていない
フリをする。
それも
誤魔化しだ。
もういい加減、
そんなことは
止めよう。
時代は
変わったんだ。
誤魔化しで
進めるほど、
今の時代は
甘くはない。
つづく
人の面白さ
とは、
自分のことを
自分自身が
ちっともわからない
ところに
あるのかもしれない。
自分のことを
本当に理解できれば、
私達はもっと
楽に生きられる。
自分は確かに
ここにいるのに、
自分は自分
なのに、
自分のことが
わからない。
何を考えているのか
わからない。
何を願っているのか
わからない。
わからないという
ことすら
わからない。
だから誰もが
いつも戸惑う。
たまたま
その時に思いついた
答えが、
自分の答えだと
思い込む。
たまたまその時
大きかった気持ちが、
自分の気持ちの
すべてだと
思い込む。
本当は
それらは
答えの一部、
気持ちの一部、
でしかない
のに。
自分自身の
見えているところ
だけが
自分だと
思い込む。
自分が自分の
ことを
一番、わかっていると
思い込む。
だから余計に
わからなくなる。
これが
私達であり、
だからこそ
面白いのかも
しれない。
・・・・・・
自分のことを
理解したければ、
自分自身に
問うしかない。
問いかけ
続けるしか
ないではないか。
問いかけては
本当の答えだと
思えるものを
答えとし、
行動するしか
ないではないか。
しかし
それすらも
真面目にはやらない。
問うことすら
しない。
そりゃ、
なんとも
ならんわな。
内側を見つめ、
行動をし、
その結果
外側で起こる現実を
見つめ・・・。
その繰り返しで
私達は
生きていくしかない
のだ。
どうせなら
その一つ一つを
楽しみたい。
そのためには、
その一つ一つを
真剣にやろう。
真剣に
自分を
理解しようと
決めよう。
だって
自分とは
自分のことなの
だから。
つづく
静かな何もない
場所で
静かに一人
立っている自分を
イメージしよう。
周りには本当に
何もなく
つまりは
存在そのものが
なく
存在しているものと
言えば
自分だけ、
という状態だ。
私達は常に
「環境」の中にいるが、
その「環境」を
すべて取っ払ってしまう
イメージだ。
そんな自分を
側から見つめてみよう。
背中を
見つめるといいかな。
何もない中での
自分。
自分の背中は
何を語っているかな?
何を
訴えているかな?
私達は
自分自身からの訴えに
あまりに鈍感だ。
もちろん「訴え」とは
悪いものばかりでは
ない。
歓喜の訴えも
ある。
しかしそれにすら
気づかない人が
多い。
ただ単純なる
一つの存在「自分」
は、
「自分」の背中は、
何を語ってる?
つづく
私はまず、
企業様のサポートに
入らせていただく場合、
最初に
一日かけて研修を
行なうことが
多い。
そこでは
「真本音」「反応本音」
について
ゆっくりじっくりと
ご説明をするのと同時に、
自分自身のこと
について、
自分の人生に
ついて、
私が23問の問いを
投げることで
ゆっくりじっくりと
考えていただく。
すると
多くの人達から
「こんなに自分の
ことを、
自分の人生のことを
考えたことは
ありませんでした」
というお声を
いただく。
もちろんそれは
喜びのお声
なのだが、
いつも私は
そこで、
少し悲しくなる。
だって、・・・
私の講義を入れても、
たったの
6〜7時間。
これまで
何十年も生きてきて、
たったの6〜7時間
という短い時間。
そんな短い時間
自分や人生を
考えただけ。
それでそんな
感想、って。
いったいどれだけ
自分と向き合って
いないんだ、
ってことでしょ。
これまでの
何十年、
いったい何を
してきたの?
ってことでしょ。
でもそれが
ほとんどの人達。
今の社会の現状。
自分のことを
考えないという
ことは、
自分のことを
大切にしていない
ということ。
自分の人生を
大切にしていない
ということ。
まずはそんな
とても単純な
現実を知ることが
スタートなのであるが、
しかしやはり、
悲しい現実だ。
・・・・・・
自分のことを
知らず、
自分の人生の
ことを
知らず、
ただただ
人は
人生を生きていく。
それが
苦しいことである
という事実を
感じる人は
まだ、よいと思う。
しかし
その苦しさに
麻痺をしてしまい、
そのまま
人生を歩み続ける
人は多い。
今日、
私のセミナーを
受けてくださった
ある人が、
そのことを実感され、
「私はなんて
危うい人生を
生きてきたんだろう」
と言いながら、
目に涙を
溜めていた。
そう、
自分のことを
知らないままに
進むのは
危うい人生だ。
でも
その人はこう
続けられた。
「だから私は
これからは
自分の人生を
生きる。
まだまだ抽象的だけど、
私の本来の役割が
少し見えてきた」
と。
そして
その人から
真本音の風が
吹いてきた。
たとえ、
何十年も
自分を知らないままに
生きてきたとしても、
それでも、
「今」から始める
ことはできる。
もちろんそれは
少しでも早い方が
よいのだが、
それでも、
始まればそれは
「自分の人生」
だ。
自分の人生
を
生きてほしい。
自分の人生
として、
目の前の現実に
対峙して
ほしい。
それが私の
「コーチ」としての、
いや、
「人間」としての、
最も単純な
願い、かな。
つづく